豆の育種のマメな話

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安定多収大豆「トヨムスメ」の誕生

2011-02-20 09:33:37 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

大豆「トヨムスメ」育成経過を振り返る

 

「20年間にわたり北海道のリーデイングバラエテイとして君臨した大豆「トヨムスメ」は如何にして育成されたか」を検証する。

 

◆輸入自由化後の救世主,白目大粒品種「トヨスズ」

1961年(昭和36)に大豆の輸入が自由化されると,生産者の生産意欲は坂を転がり落ちるがごとく低下し,北海道における大豆作付面積は1960年の68,000haから1970年の10,000haまで急激に減少した。大豆生産の安楽死を予感させるようなこの時期,北海道大豆生産を支えたのは,白目大粒で実需者の煮豆加工適性評価が高い「トヨスズ」(1966年,十勝農業試験場育成)であった。海外から輸入される大豆の中に,「トヨスズ」のような煮豆加工適性が優れる白目大粒品種が存在しなかったためである。

 「トヨスズ」は強茎で倒伏しにくく,しかも当時被害が大きかったダイズシストセンチュウに対し抵抗性であったため生産者に受け入れられ,1970年以降10年間北海道大豆作付け率の首位を占めた。北海道に「トヨスズ」ありと評価され,北陸地域を中心に普及した「エンレイ」(長野県中信農業試験場育成)とともに,わが国大豆生産に一時代を画した。しかし,熟期が遅く,耐冷性が劣ったことから,早生の良質品種の育成が強く要望されていた。

 

◆安定多収品種「トヨムスメ」の誕生

十勝農業試験場大豆育種グループは,「トヨスズ」の早生化を緊急の課題として取り組み,「ヒメユタカ」(1976),「キタコマチ」(1978)を育成したが,両品種にはダイズシストセンチュウ抵抗性が付与されておらず,さらなる改良が求められていた。

 このような状況の中,十勝農業試験場が14年間の年月をかけて育成した「トヨムスメ」は,「トヨスズ」より早熟で生産が安定しており,ダイズシストセンチュウ,黒根病,茎疫病等に抵抗性を有し,しかも良質多収である等優れた特性を有することから,道東畑作地帯及び道央の転換畑を中心に作付けが拡大し,1988年以降20年間にわたり全道作付けシェアの第1位を占めることになる(最大普及面積は約5,300ha)。この間,「トヨムスメ」は北海道の代表銘柄「とよまさり」の実質的基幹品種として,道産大豆の評価を担ってきた。大豆の価格が抑制され,農家の生産意欲が大きく減退する中で,煮豆や豆腐原料として評価が高い「トヨムスメ」の果たした役割は極めて大きいものがある。

 

選抜の経過

「トヨムスメ」が愛された理由は,収量性が優れ生産が安定している,線虫抵抗性である,黒根病・茎疫病に抵抗性である,煮豆や惣菜としての評価が高い,しょ糖含量が高く美味しい豆腐が作れる等いくつか考えられる。「トヨムスメ」の収量性は現存する白目品種の中で間違いなく最高であり,また線虫及び茎疫病は道東の畑作地帯及び道央の転換畑でそれぞれ被害が大きい病虫害であることから,双方に抵抗性を有することは安定生産に貢献するものであった。さらに,実需者から加工適性の評価が高いことも,広く栽培される要因であった。

それでは,このように優れた特性を有する「トヨムスメ」選抜のポイントは何処にあったのだろうか。どのようにして選抜が進められたのか。

 

◆交配親の能力を知る

「トヨムスメ」の開発は,1971年十勝農業試験場において「十系463号」を母,「トヨスズ」を父として77花の人工交配を実施し,わずか11粒の種子を得たことからスタートした。母親の「十系463号」は,「白鶴の子」に由来する「十育129号」の大粒・多収性と「上春別在来」に由来する早生・耐冷性の遺伝子を引き継いでいる。一方,父親の「トヨスズ」は,強茎の優れた草型と線虫抵抗性を有しており,母親の欠点を補うものであった。

「トヨムスメ」育成の第一ポイントは,「十系463号」の大粒・多収性の潜在能力を見出し,交配母本として採用したことにあったとの思いが強い。「交配母本に何を採用するか」は品種改良の第一歩で,育種が成功するか否かは交配組合せによって50%以上決まると言っても過言ではない。さほど,品種改良にとっては,「育ち」より「氏」が重要なのである。この場合,母親や父親となる品種の特性を十分に把握していることが大切で,そのため育種家は,品種保存栽培と称して育種圃場の一角に遺伝資源となる品種や系統を毎年栽培し,きめ細かい通年の観察を大事にしている。

◆選抜の効率化を考える

「トヨスズ」の早生化をねらった育種の中で,「ヒメユタカ」や「キタコマチ」に抵抗性が付与されなかった要因として,選抜の場に問題があった。場内に造成した線虫検定圃場は,優先レースがレース1に変化し,主として「Peking」系抵抗性系統の選抜に使われていた。場内の選抜圃は供用面積が狭小で,「トヨスズ」を片親にした抵抗性選抜が可能な組合せについては,後期世代になって初めて検定を実施するような状況であった。

砂田喜與志氏(当時豆類第一科長)は温室ベッドを線虫検定用に造成することを決断し,上士幌町から汚染土壌を搬入した(その後,線虫抵抗性の選抜は,音更町と更別町の農家圃場に現地選抜圃を設置して,初期世代から実施できるようになる)。「トヨムスメ」の育成には,初期世代の雑種第3代から線虫抵抗性選抜を実施できた点が功を奏している。

◆極晩熟集団からの選抜をどうするか

「トヨスズ」の交雑後代の集団は,ほとんどが極晩熟・長茎個体となり,少数の早生・短茎個体群に大きく分離する。そのため,早生個体は競合のため生育が貧弱となり,集団評価は概して劣り廃棄するのが一般的である。「十交4602」も,雑種第2代の評価は晩熟個体の頻度が極めて高く倒伏も目立つと評価されている。このような晩熟個体を多く含む組合せでは,初期世代で集団選抜を実施し,希望個体の頻度を高めた集団から個体選抜することが有効である。すなわち,雑種第2集団の中から開花後極晩熟個体を刈り出して廃棄し,熟期と草型を希望型よりやや範囲を広げて集団採種し,脱穀後粒大と子実品質で選抜を加える。さらに,次世代集団では観察により,系統選抜に移行するか集団選抜を継続するかを判断する。

◆黒根病,茎疫病抵抗性など新病害へ対応

十勝地方の本別町勇足地区で「トヨスズ」の根が黒変枯死し,地際で折れるように倒伏する被害が発生し,問題になったのは昭和50年代初めであった。青田盾彦氏(十勝農業試験場病虫科)は,この病害をわが国での新発生病害と認め,ダイズ黒根病と名付けた。十勝農業協同組合連合会の協力を得て,本別町勇足の発生圃場で多数品種・系統の検定を実施したところ,「十育191号」(後のトヨムスメ)は幸運にも抵抗性を示した。

また,道央地域で水田転換大豆栽培が拡がるにつれ,ダイズ茎疫病が重要病害として認識されるようになった。土屋貞夫氏(上川農業試験場病虫科)は,北海道内における発生実態や防除法を検討した結果,いくつかのレースの存在を認め,「十育191号」は道内に分布する主要レースに抵抗性であることを示した。この抵抗性は,「十育129号」から受け継いだものと推測されるが,後に本品種が道央地域で広く普及にする際の有利な特性となった。

「トヨムスメ」の育成段階で,これら病害抵抗性について病理専門家の協力により柔軟な対応ができたことが成功に結びついたと考えられる。品種開発は多くの分野の専門家との連携によって成功するものである。

◆育種法にルールはない

当時の大豆育種は,育種面積の制約などから系統育種法による選抜が主体であった。しかし,「トヨムスメ」の場合は,集団育種法と派生系統育種法の変形で選抜が進められた。選抜手法は固定化すべきでなく,組合せによりベストの方法を模索することが大切である。

また,「トヨムスメ」の育成過程では,「十育129号」に由来する種皮色の白さと茎の弱さ,「トヨスズ」に由来する低温時の臍周辺着色が,繰り返し選抜の対象となっている。障害の発生は選抜のチャンスであるとの認識で,後期世代であってもわずかな系統間変異を見逃さずに繰り返し選抜が続けられた。育種目標への飽くなき追求が重要である。選抜はマニュアルに従えば良いと言うことにはならない。

参照:土屋武彦2000「豆の育種のマメな話」北海道協同組合通信社 240p.

 

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