豆の育種のマメな話

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マレー半島の旅,母を尋ねて千五百里

2011-02-19 13:57:34 | 北海道の豆<豆の育種のマメな話>

1991年の2月,豆類遺伝資源収集を目的に,マレー半島を1か月かけて約6,000km走り回った彼の国の印象記である

 

◆マレー半島の旅

この旅は,野に山に農家の庭先に,マメの変異種を探し求める旅。マレーシアは,大豆など乾燥豆類の生産が統計上は極めて少ないが,消費は多く,食文化としてのマメの歴史は長い。農家の庭先で,あるいは野生化した遺伝資源が,きっと見つかるだろうと考えて旅立った。

 

マレーシアは,マレー系60%,中国系30%,インド系10%の人々で構成されている。イスラムを国教としているが,同時に信仰の自由が認められているため,マレー系はイスラム教,中国系は仏教,インド系はヒンズー教が多く,しかも,農業はマレー系,商業は中国系,労務にインド系が多いなど,宗教を背景にした階層分化が見られる。宗教が背景にあるので,これら集団は容易に溶け合うことが出来そうもない。

 

さらに,州によって休日が異なったり(イスラムでは金曜日が休日),民族ごとの祝祭日があったり難しい問題を含んでいる。美しい海岸線や涼しい高原地帯は観光地として知られ,高級リゾートホテルが西洋文化を偲ばせる。一方では,高層建築の合間に未整備の下水が流れ,貧しい農村がある。そうかと思えば,筑波の研究施設に劣らぬような試験場。経済発展のアンバランスは階層分化が背景にあるからかも知れない。

 

◆マメのことをカーチャンと言う

探索旅行は,夜明けの空に聞こえるコーランの声に目覚め,日の出と共に出掛ける旅であった。農家の庭先では言葉は通じない。通訳を兼ねて雇用した運転手に頼ることになるが,最初に覚えたマレー語は次の言葉。マレー語で豆(マメ)のことをカーチャンと言い,大豆はカーチャン・ソヤ,ササゲはカーチャン・パジャンと呼ぶそうな。マレー語の挨拶もろくに出来ないうちに,これだけは頭にピンと来て,脳裏に焼き付いた。そう言えば,スペイン語でいも(馬鈴薯)のことをパパと呼ぶのでした。

 

ホテルの部屋の天井には,メッカの方向を示す矢印があり,休日には正装してモスクに礼拝する。各地にあるモスクの尊厳な姿は,イスラムの威厳と戒律を偲ばせる。同時に,穏やかに建つ仏教寺院,賑やかな中にも朽ち果てそうなヒンズー寺院が並立する。町の食堂には,ガラスケースに各種の料理(鶏肉,羊肉,魚,野菜を素材として香辛料をきかしてある)が入った皿が並べられており,それを選んでご飯の上に載せ,右手で直接食べるか,スプーンとフォークで食べる。ナシ・ゴレン(マレー風チャーハン),ラクサ(マレー風うどん)など少々の辛さを我慢すれば,結構美味しい昼食。

 

街角の食堂で「飲み物は何にしますか?」と聞かれ,暑さにつられついつい「ビア」と答えても,ビールは出てこない。清涼飲料やミルクテイが主体。ミルクテイは,カップの底にコンデンスミルクをたっぷり入れて,熱い紅茶を溢れるまで注ぎ,最初の一口をスプーンで啜る。蠅が飛んできても決して慌てない。デザートは,車を止めて道ばたで買うがいい。高速道路の脇でさえ,彼らは商売熱心。マンゴスチンにドリアン等々。

 

◆トーチカが残る峠

この探索旅行は,湾岸戦争の時期と重なった。イスラムが国教であることから日本との関係も微妙な時期であったが,マレーシアの人々は暖かく迎えてくれた。一方,探索行の路傍で,マレーシアの研究者が1本のエノコログサを引き抜き,「この草の名前は,ジャパニーズ・アーミイ・グラスと呼ぶ(日本軍の侵攻とともに軍服に付着してタイ国から帰化したと言う)」と話したり,日本軍のトーチカが保存されていたり,キャメロンハイランドの小さな博物館に当時の軍札が陳列されているのを見て,運転手が「私の父は沢山持っているが,今は価値もない」と歴史を語るとき,戦争が例え正義の名の下にあろうとも,民衆の心に残すものは果たして何だろうと,考える旅でもあった。

 

◆四角マメを探す

天然ゴム,オイルパーム,木材など一次産品の生産と輸出に特色づけられるマレーシアではあるが,稲作は70haあり,果樹や野菜の作付けも多い。豆類の中で注目するのは四角マメ。子実の成分,蛋白組成が大豆に比肩される(蛋白33%,脂肪17%)ほどで,根粒も桁外れに大きい。農家は昔から庭先に数株植えて,適当な大きさの莢を適宜サラダに供している。蔓性の多年草で棚づくりしているが,近年大規模な栽培も見られるようになっている。

 

ラムリ博士によれば,多くの変異種の中からわい性の個体が見つかり,機械化も可能になるだろうとのこと。その他にも,豆類の栽培を定着させようと熱意を持って頑張っている研究者達の顔が浮かぶ。彼らの農業振興に賭ける情熱と成果を期待しつつ,また何時の日か「母を訪ねて」みようと思う。サンパイ・クトウム・ラギ(また,お会いするまで)。

 

参照:土屋武彦1991「母を尋ねて千五百里,マレーシア遺伝資源探索旅行記」十勝野25,28-30. 

 

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