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アルゼンチン大豆育種技術協力の成果品(追録,その後の育成品種)

2012-02-09 10:10:49 | 海外技術協力<アルゼンチン・パラグアイ大豆育種>

アルゼンチン大豆育種技術協力の成果品(追録,その後の育成品種)

 

資料を整理していたら,アルゼンチン国立農業試験場(INTA Marcos Juarez)の大豆育種部長サリーネス(Luis Salines)のペーパーが出てきた200612月この試験場を訪問した時に頂いた資料で,当時の育種目標や育種規模,育成品種の一覧が記載されている。

実は,19771984年(昭和52-59),日本はこの試験場を研究サイトに大豆育種研究の技術協力を実施し,北海道立十勝農業試験場から研究者が派遣されていた(別添PDF:アルゼンチン協力年表)。時期はアルゼンチン大豆生産の揺籃期で(図:大豆作付面積の推移),生産が拡大の一途を辿っていた頃である。プロジェクトでは,アルゼンチン政府の大豆に対する熱意に支えられ,また大使館やJICA事務所の協力のもと,育種体制や育種技術の確立を図り,育種事業を開始し,事業がアルゼンチン独自で推進できること,を目標として進めた。

 

技術協力の最終年である1984年(昭和59),アルゼンチンで初めての育成品種「Carcaraña INTA」を発表し,プロジェクトの幕を閉じたことは報告されている。この品種は,いわばプロジェクト成果品としての象徴であった。

 

その後も,アルゼンチンの大豆育種事業は INTA Marcos Juarezを育種センターとして,日本で研修を受けた技師達を中心に継続され,プロジェクト時代の材料から新品種が誕生しているはずであるが,その資料は公表されていない。

 

25年の時を経て(2006年)訪れた試験場で,サリーネスが誇らしげに示した一覧表には,奨励品種として登録済みの17品種,登録申請中の6品種が記載されていた(別添PDFINTA MJ育成品種)。来歴欄,交配組合せを目で追えば,懐かしい品種名が飛び込んでくる。「Hood」「Prata」「MID10-100」「Planarto」等々。また瞼に浮かぶのは,パンパの炎天下,灼熱の太陽に耳を焦がしながら行った人工交配や系統選抜作業,一緒に働いたカウンターパート達の群像である。

 

育種は「継続」なりと,これまでも繰り返し述べてきた。継続によってこそ成果が出る。これは当然の帰結ともいえようが,資金力旺盛な民間企業と競いながら育種を継続した公立機関INTAの努力は如何ばかりであったろうと思う。経済が破綻した彼の国で,公的育種を支え続けたインヘニエロ(技術者)達。若い頃に日本で研修を受けて彼らの心に宿った侍魂が,今のアルゼンチン大豆の興隆を築いたといっても間違いないだろう

 

技術協力はプロジェクト期間が終了したら,それでサヨナラではない。派遣された日本の研究者と彼の国の技術者たちとの絆は強く結ばれている。アミーゴの世界だから。その後30年,私たちがアルゼンチンを訪れたのは,私事旅行を含めると10回を超えた。

 

サリーネスが渡してくれたペーパーは,良いお土産になった。

 

 

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