豆の育種のマメな話

◇北海道と南米大陸に夢を描いた育種家の落穂ひろい「豆の話」
◇伊豆だより ◇恵庭散歩 ◇さすらい考
 

パラグアイ便り2005―国家経済を支える大豆

2011-02-11 13:50:36 | 南米の大豆<豆の育種のマメな話>

◆大農と小農に分化するパラグアイ農業

パラグアイ農牧省の「農産物累年統計」には38品目がエントリーされている。温暖な気候の同国では多様な作物の栽培が可能であるが,開墾が進み経営が大規模化した現在は大豆の作付けが圧倒的に多く,とうもろこし,綿花,キャッサバ,小麦がこれに次いでいる。大規模農家は,大豆(夏作)―小麦(冬作)の体系を主軸に,とうもろこし,ソルガム,ひまわり等を補完している。したがって,夏には360度見渡す限り大豆畑となり,誠に雄大である。なお,農耕に適さない場所には自然草地が広がり,背中にこぶを持つインド系の牛が点々と草を食んでいる。

一方,小農(10ha未満)は綿花,キャッサバ,ジェルバ・マテ等を主に栽培し,家の周辺には柑橘類,バナナ,マンゴーを植え,数頭の家畜を放し飼いしている。

 

◆大豆が国家経済を支える

 次に,輸出額と主要輸出品目の変遷を見てみよう。25年前の1980年パラグアイの輸出総額は約3億ドルで,綿花及び木材の輸出が過半を占めていた。特に1980年代の綿花は品質の評価も高く外貨獲得品目の筆頭であったが,虫害の発生及び収益性の低下から作付け意欲は衰退している。政府は小農対策として棉種子の配布や価格対策を講じているが,必ずしも十分な成果を上げていない。木材は資源の枯渇,環境保全の観点から抑制を余儀なくされている。牛肉は1990年代以降肉質の改善が進み輸出が少しずつ増えている。

 

1996年にパラグアイの輸出総額は10億ドルを超えたが,これは大豆の生産拡大に伴うものである。総輸出額に対する大豆及び大豆油の比率は,198014%4,200万ドル),1990年代前半に20~30%1.5~2.5億ドル)であったものが,今では40%4~5億ドル)を超え,大豆がパラグアイ経済を支えていると言っても過言ではない。

 

 2003年パラグアイの大豆生産量は400万トンに達し,世界で6番目(収穫量の多くが輸出に回されるため,輸出量としては第4位)である。南米3国(ブラジル,アルゼンチン,パラグアイ)の大豆生産量は合計で世界の40%を占め,世界市場に大きな影響を及ぼすまでに至った。

 

◆日系移住者が築いた大豆栽培

躍進著しい大豆生産をここまで築き上げたのは日系移住者の弛まぬ努力であった。文献によれば,パラグアイへ最初に大豆を導入したのは1921年医師Pedro Ciancioとされているが(イタリア留学の折持ち帰った),実際の栽培は1936年ラ・コルメナへ入植した日本からの移住者が味噌,醤油,豆腐,納豆など食品用として大豆を栽培したことに始まったと思われる。ラ・コルメナ日系入植地20年史によれば,1937/3826ha栽培し27.5トン収穫した記録がある。

 

さらに,輸出商品を目指しての本格的な大豆栽培は,1950~60年代パラナ河沿いに入植して穀倉地帯を拓いた日系農民の努力によるところが大きい。その後1970年代には,機械化の進展及び価格の高騰とあいまって大豆栽培は日系入植地以外へも拡大し,パラグアイの基幹農作物としての地位を確立するに至った。

 

そして今,日系移住者によってもたらされた一粒の種は,彼らの弛まぬ努力と彼らを支援し続けた関係者の力によって,豊穣の実りをパラグアイの赤い大地にもたらしている。

 

参照:土屋武彦2005「パラグアイの農業,最近の話題」北農72(1)101-106.

 
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« パラグアイ便り2005―牧歌的な... | トップ | パラグアイ便り2005―大豆の収... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

南米の大豆<豆の育種のマメな話>」カテゴリの最新記事