万葉雑記 色眼鏡 二六四 今週のみそひと歌を振り返る その八四
今回は巻十の歌から時雨について遊ぼうと思います。万葉集時代、大和言葉では「しぐれ」と云うものはありましたが、漢字での「時雨」と云う表現はありません。当て字として「鐘礼」や「四具礼」と云う表記で表していました。また季節としては九月から十月となっています。
他方、秋の時雨と云うものは大陸では四季として発生しないようで暦での二十四節気にはありませんし、漢詩でも季節物の詩の題材とはならないようです。
集歌2180 九月乃 鐘礼乃雨丹 沾通 春日之山者 色付丹来
訓読 九月(ながつき)の時雨(しぐれ)の雨に濡れ通り春日(かすが)し山は色付(にほひ)にけり
私訳 木々の葉が九月の時雨の雨に濡れ通り、春日の山は色付いて来た。
集歌1590 十月 鐘礼尓相有 黄葉乃 吹者将落 風之随
訓読 十月(かむなつき)時雨(しぐれ)にあへる黄葉(もみちは)の吹かば落(ち)りなむ風しまにまに
私訳 神無月の時雨に遇った黄葉は、風が吹けば散り落ちてしまうでしょう。風の吹くままに。
時雨は気象では「時雨(しぐれ、じう)は、主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨である」と解説する降雨です。また、気象学者の定義ではつぎのようなものを云うようです。
• 晩秋から初冬にかけて多い
• 日本の各地にみられる。
• 朝、昼、夕といった特別の時刻はない。
• 細雨ではないが、だからといって雨量は多くない。やや強い雨を伴い、雲足は速い。
• 広い地域に一様に降るのではなく、密集した雲の団塊から降る。
• 気温は低めである
この定義からしますと、平安時代の旧暦十月を時雨月と異称した季節感が相応しく、旧暦九月には秋雨や秋霖の方が似合う感覚があります。
当然、気象と地球・地域の平均気温は関係するでしょうから、季節の移り変わりが飛鳥・奈良時代前期と奈良時代後期・平安時代前期とが同じ肌感覚でなかった可能性があります。屋久杉を使った気温解析では飛鳥時代 大化の改新前後を底に年平均気温は現在よりも1~2度ほど低く、その後 平均気温は上昇に転じ、藤原京から前期平城京時代には現在と同じ平均気温になっています。平均気温はさらに上昇し、古今和歌集が編まれた平安時代初期には平均気温は現在よりも2から2.5度程度 高かったと推定されています。つまり、現在、話題となる地球温暖化で予測されるピーク平均気温は平安時代に訪れた高温期に匹敵するものです。
研究者によっては万葉寒冷期と大仏温暖期とも称すようで、万葉集前期に詠われた歌と万葉集末期に詠われた歌では年平均気温では3度程度の相違があります。これは近畿 大阪と東北 仙台との平均気温差に相当します。大阪を基準都市としますと、万葉集前期では新潟や仙台の四季の移ろい、万葉集中期は大阪の四季の移ろい、万葉集後期では宮崎から鹿児島の四季の移ろいに相当するようです。暦が同じであっても、これほどの四季の移ろいの差があることを認識する必要があります。なお、弊ブログでは万葉集中期頃の現在と年平均気温が同じであった気候を基準に鑑賞しています。そのため、梅、桜、藤などの開花時期の調整はしていませんし、萩、尾花、黄葉も現在に等しいとしています。
およそ、先に紹介しました集歌2180の歌は旧暦九月に時雨を詠いますから万葉集でも早い時期、対して集歌1590の歌は旧暦十月に時雨を詠いますから遅い時期に詠われたものと推定することも可能になります。
長い前置きとなりました。ここから今週の鑑賞になります。
集歌2214の歌は畿内での渡りを終えた冬鳥の鴈と時雨の組み合わせです。まず、現代の十月末から十一月の風景でしょうか。そこに紅葉が始まるとしますから、十一月の方が季節感に合うと思います。すると平安時代の十月の異称 時雨月に似合う季節感です。
集歌2214 夕去者 鴈之越徃 龍田山 四具礼尓競 色付尓家里
訓読 夕されば鴈(かり)し越え行く龍田(たつた)山(やま)時雨(しぐれ)に競(きほ)ひ色づきにけり
私訳 夕暮れになると鴈が飛び越えて行く龍田山は、時雨と季節を競って色付いたよ。
次に集歌2215の歌は時雨に紅葉を終えた木の葉が散ると詠います。まず、現代の十一月下旬の風景です。これもまた、平安時代の十月の異称 時雨月と唱える季節感です。まず、旧暦九月の風情ではありません。
集歌2215 左夜深而 四具礼勿零 秋芽子之 本葉之黄葉 落巻惜裳
訓読 さ夜(よ)更(ふ)けに時雨(しぐれ)な降りそ秋萩し本葉(もとは)し黄葉(もみち)散らまく惜(を)しも
私訳 夜が更けてから、時雨よ、降らないでくれ。秋萩の黄葉した下の方の葉が散ってしまうのが残念だから。
最後に集歌2217の歌を鑑賞しますが、西本願寺本のものと校本のものとでは歌の表記が違い、特に二句目「之黄葉早者」の鑑賞態度が違うために歌の解釈は変化します。西本願寺本では妻問った先で見た紅葉が夜来のやや強いにわか雨で予想外に早く葉を散らし始めた風情ですが、校本は昼間に訪問した家の庭に散る紅葉を見ての感想と云うところでしょうか。
集歌2217 君之家乃 之黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
試訓 君し家(へ)のこの黄葉(もみち)葉(は)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
試訳 貴女の家のこの紅葉した葉は早くも散ってしまいました。時雨の雨に濡れたのでしょうか。
注意 原歌の「君之家乃之黄葉早者」に対し、校本では「君之家乃黄葉早者」と記し、そこから歌の句切れ位置と解釈が異なります。校本の表記を次に紹介します。なお、「もみち葉早く」などの異訓もあります。
<校本>
集歌2217 君之家乃 黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
訓読 君が家(いへ)の黄(もみち)葉(は)今朝(けさ)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
意訳 あなたの家の黄葉は、今朝散ったようですね。時雨の雨に濡れてしまったらしい。
集歌2217の歌の時雨の時期は不明ですが、西本願寺本解釈では紅葉途中での葉散らしのやや強い雨に葉を散らします。旧暦十月後半ではなく、前半ぐらいでしょうか。一方、校本ではそうろそろ葉を落とす時期に、たまたま、訪問の日の夜明け前に時雨が降ったような感覚です。およそ、旧暦十月後半の時期でしょうか。
ただ、最初に説明しましたように万葉集前期と万葉集後期では季節は二~三週間ほど違います。つまり、歌が詠われたのが万葉集時代の早い時期としますと、旧暦九月後半に時雨と黄葉の組み合わせがあっても良いことになります。
和歌では季語を大切にしますが、江戸時代中期と現代では年平均気温は三度ぐらいの差があり、暦と季節感は一致しません。同じように万葉集初期と後期では同じほどの差があります。知識としての季語と観察からの季節感は違う可能性がありますし、主に関東・信州を中心とする東歌と九州地域での筑紫文壇や防人歌ではその季節感は大きく違います。
今回もまた与太話と馬鹿話に終始しました。正統な和歌鑑賞では、今回のような気象と季節感なぞは対象外の事柄です。
今回は巻十の歌から時雨について遊ぼうと思います。万葉集時代、大和言葉では「しぐれ」と云うものはありましたが、漢字での「時雨」と云う表現はありません。当て字として「鐘礼」や「四具礼」と云う表記で表していました。また季節としては九月から十月となっています。
他方、秋の時雨と云うものは大陸では四季として発生しないようで暦での二十四節気にはありませんし、漢詩でも季節物の詩の題材とはならないようです。
集歌2180 九月乃 鐘礼乃雨丹 沾通 春日之山者 色付丹来
訓読 九月(ながつき)の時雨(しぐれ)の雨に濡れ通り春日(かすが)し山は色付(にほひ)にけり
私訳 木々の葉が九月の時雨の雨に濡れ通り、春日の山は色付いて来た。
集歌1590 十月 鐘礼尓相有 黄葉乃 吹者将落 風之随
訓読 十月(かむなつき)時雨(しぐれ)にあへる黄葉(もみちは)の吹かば落(ち)りなむ風しまにまに
私訳 神無月の時雨に遇った黄葉は、風が吹けば散り落ちてしまうでしょう。風の吹くままに。
時雨は気象では「時雨(しぐれ、じう)は、主に秋から冬にかけて起こる、一時的に降ったり止んだりする雨である」と解説する降雨です。また、気象学者の定義ではつぎのようなものを云うようです。
• 晩秋から初冬にかけて多い
• 日本の各地にみられる。
• 朝、昼、夕といった特別の時刻はない。
• 細雨ではないが、だからといって雨量は多くない。やや強い雨を伴い、雲足は速い。
• 広い地域に一様に降るのではなく、密集した雲の団塊から降る。
• 気温は低めである
この定義からしますと、平安時代の旧暦十月を時雨月と異称した季節感が相応しく、旧暦九月には秋雨や秋霖の方が似合う感覚があります。
当然、気象と地球・地域の平均気温は関係するでしょうから、季節の移り変わりが飛鳥・奈良時代前期と奈良時代後期・平安時代前期とが同じ肌感覚でなかった可能性があります。屋久杉を使った気温解析では飛鳥時代 大化の改新前後を底に年平均気温は現在よりも1~2度ほど低く、その後 平均気温は上昇に転じ、藤原京から前期平城京時代には現在と同じ平均気温になっています。平均気温はさらに上昇し、古今和歌集が編まれた平安時代初期には平均気温は現在よりも2から2.5度程度 高かったと推定されています。つまり、現在、話題となる地球温暖化で予測されるピーク平均気温は平安時代に訪れた高温期に匹敵するものです。
研究者によっては万葉寒冷期と大仏温暖期とも称すようで、万葉集前期に詠われた歌と万葉集末期に詠われた歌では年平均気温では3度程度の相違があります。これは近畿 大阪と東北 仙台との平均気温差に相当します。大阪を基準都市としますと、万葉集前期では新潟や仙台の四季の移ろい、万葉集中期は大阪の四季の移ろい、万葉集後期では宮崎から鹿児島の四季の移ろいに相当するようです。暦が同じであっても、これほどの四季の移ろいの差があることを認識する必要があります。なお、弊ブログでは万葉集中期頃の現在と年平均気温が同じであった気候を基準に鑑賞しています。そのため、梅、桜、藤などの開花時期の調整はしていませんし、萩、尾花、黄葉も現在に等しいとしています。
およそ、先に紹介しました集歌2180の歌は旧暦九月に時雨を詠いますから万葉集でも早い時期、対して集歌1590の歌は旧暦十月に時雨を詠いますから遅い時期に詠われたものと推定することも可能になります。
長い前置きとなりました。ここから今週の鑑賞になります。
集歌2214の歌は畿内での渡りを終えた冬鳥の鴈と時雨の組み合わせです。まず、現代の十月末から十一月の風景でしょうか。そこに紅葉が始まるとしますから、十一月の方が季節感に合うと思います。すると平安時代の十月の異称 時雨月に似合う季節感です。
集歌2214 夕去者 鴈之越徃 龍田山 四具礼尓競 色付尓家里
訓読 夕されば鴈(かり)し越え行く龍田(たつた)山(やま)時雨(しぐれ)に競(きほ)ひ色づきにけり
私訳 夕暮れになると鴈が飛び越えて行く龍田山は、時雨と季節を競って色付いたよ。
次に集歌2215の歌は時雨に紅葉を終えた木の葉が散ると詠います。まず、現代の十一月下旬の風景です。これもまた、平安時代の十月の異称 時雨月と唱える季節感です。まず、旧暦九月の風情ではありません。
集歌2215 左夜深而 四具礼勿零 秋芽子之 本葉之黄葉 落巻惜裳
訓読 さ夜(よ)更(ふ)けに時雨(しぐれ)な降りそ秋萩し本葉(もとは)し黄葉(もみち)散らまく惜(を)しも
私訳 夜が更けてから、時雨よ、降らないでくれ。秋萩の黄葉した下の方の葉が散ってしまうのが残念だから。
最後に集歌2217の歌を鑑賞しますが、西本願寺本のものと校本のものとでは歌の表記が違い、特に二句目「之黄葉早者」の鑑賞態度が違うために歌の解釈は変化します。西本願寺本では妻問った先で見た紅葉が夜来のやや強いにわか雨で予想外に早く葉を散らし始めた風情ですが、校本は昼間に訪問した家の庭に散る紅葉を見ての感想と云うところでしょうか。
集歌2217 君之家乃 之黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
試訓 君し家(へ)のこの黄葉(もみち)葉(は)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
試訳 貴女の家のこの紅葉した葉は早くも散ってしまいました。時雨の雨に濡れたのでしょうか。
注意 原歌の「君之家乃之黄葉早者」に対し、校本では「君之家乃黄葉早者」と記し、そこから歌の句切れ位置と解釈が異なります。校本の表記を次に紹介します。なお、「もみち葉早く」などの異訓もあります。
<校本>
集歌2217 君之家乃 黄葉早者 落 四具礼乃雨尓 所沾良之母
訓読 君が家(いへ)の黄(もみち)葉(は)今朝(けさ)は散りにけり時雨(しぐれ)の雨に濡れにけらしも
意訳 あなたの家の黄葉は、今朝散ったようですね。時雨の雨に濡れてしまったらしい。
集歌2217の歌の時雨の時期は不明ですが、西本願寺本解釈では紅葉途中での葉散らしのやや強い雨に葉を散らします。旧暦十月後半ではなく、前半ぐらいでしょうか。一方、校本ではそうろそろ葉を落とす時期に、たまたま、訪問の日の夜明け前に時雨が降ったような感覚です。およそ、旧暦十月後半の時期でしょうか。
ただ、最初に説明しましたように万葉集前期と万葉集後期では季節は二~三週間ほど違います。つまり、歌が詠われたのが万葉集時代の早い時期としますと、旧暦九月後半に時雨と黄葉の組み合わせがあっても良いことになります。
和歌では季語を大切にしますが、江戸時代中期と現代では年平均気温は三度ぐらいの差があり、暦と季節感は一致しません。同じように万葉集初期と後期では同じほどの差があります。知識としての季語と観察からの季節感は違う可能性がありますし、主に関東・信州を中心とする東歌と九州地域での筑紫文壇や防人歌ではその季節感は大きく違います。
今回もまた与太話と馬鹿話に終始しました。正統な和歌鑑賞では、今回のような気象と季節感なぞは対象外の事柄です。