竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二六二 今週のみそひと歌を振り返る その八二

2018年04月14日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六二 今週のみそひと歌を振り返る その八二

 今回は少し変わった視点から和歌を鑑賞します。
 最初に和歌の世界の秋は七月から九月ですが、これは旧暦のため新暦ではおおむね八月中旬から十月中旬となります。また、近年、地球温暖化の話題がありますが、これは西欧の十八世紀を基点としての議論です。古代からの気象関係記録が残る東アジア圏では飛鳥・奈良時代は現代と同様な気温情況ですし、平安中期から後期はそれよりも高温期です。日本では桜などの草花の開花時期の記録からも奈良時代と現代とは同じような気温であったと推定されています。

 今回は秋の草木 萩の花を観賞の対象とします。
 この萩は「ヤマハギ(L. bicolor):朝鮮半島、中国から日本全国の山野に自生する品種で、ハギというとこの種を指すのが一般的です。7~9月に明るい紅紫の花を咲かせます。木の高さは1.5~2mと高く枝がやや細いのが特徴です。」と解説される草木で、開花時期は七月から九月で、奈良の萩の名所 白毫寺の盛りの季節は九月中旬から九月下旬と紹介しますし、秋篠寺の盛りも九月中旬頃と紹介します。
 一方、二十四節気の白露はおおむね新暦では九月六日頃に当たります。中国漢詩の世界ではこの日以降では露霜の季節と云うことになります。ただし、この暦二十四節気は中国大陸 黄河流域地方を基準としたもので日本 それも畿内でのものではありません。そのために新暦九月上旬に白露(初めて露を置く)という季節設定になっています。つまり、畿内での萩の盛りと露の時期とは微妙にずれていて、本来、観察したものを歌にするのですと萩と露は相性が悪いことになります。ほぼ、常夏とも異名を持ち、萩と花の時期が同じとなる女郎花(花の時期:新暦七月~九月)に露と云う言葉は似つかないと思います。
 このような季節感覚から次の集歌2169の歌は尾花に付く水滴を狭霧からとします。

集歌2169 暮立之 雨落毎 春日野之 尾花之上乃 白霧所念
訓読 夕立ちし雨降るごとし 春日野(かすがの)し尾花(をばな)し上(ほと)りの白霧(しらきり)そ念(も)ふ
私訳 夕立ちの雨が降るたびに春日の野の尾花のほとりに流れる霧を思い出します。
注意 原文末句は「白霧所念」であって「白露所念」ではありません。夕立の後の風景ですから、露ではなく野を流れる靄や霧となります。校本では白露に直します。

 ところが、観察よりも和歌作歌規定を重要視しますと、尾花は秋の草ですから白露以降のものとなります。そのため、原歌が白霧(靄のような狭霧)と表記していても白露と校訂します。夕立の雨の雨上がりの野辺に、さて、霧が立つのか、露が置くのか、どちらでしょうか。
 紹介が前後しましたが、集歌2168の歌もまた「白霧」です。

集歌2168 冷芽子丹 置白霧 朝々 珠斗曽見流 置白霧
訓読 秋萩に置ける白露(しらつゆ)朝(あさ)な朝(さ)な玉とぞ見ける置ける白霧
私訳 秋萩に置いた白露。毎朝、毎朝、それを美しい玉として眺める萩に置いた白霧よ。
注意 初句「冷芽子」の「冷」は「秋」の戯訓とされています。また、原文二句目と末句は「置白霧」であって「置白露」ではありません。校本では白露に直します。

 こうした時、次の歌はどのように鑑賞しましょうか。漢詩と暦の二十四節気からの約束に従って詠った歌としましょうか。集歌2170の歌は花や葉が落ちた萩の枝の風情でしょうか、それでは風流ではありません。つぼみや花を持つ枝の風情ですと、それは漢文・漢詩の世界が詠う「露霜」では無く白霧の雫でしょう。さて、どうしましょうか。

集歌2170 秋芽子之 枝毛十尾丹 露霜置 寒毛時者 成尓家類可聞
訓読 秋萩し枝もとををに露(つゆ)霜(しも)置く寒くも時はなりにけるかも
私訳 秋萩の枝を撓めるほどに露や霜が置く。寒さを感じる時節になってきたのでしょう。

 一方、集歌2175の歌は萩の花を散らす秋風の冷たさを詠います。盛りの過ぎた萩の花ですから九月下旬から十月上旬です。これならば白露の季節感に沿うのではないでしょうか。

集歌2175 日来之 秋風寒 芽子之花 令散白露 置尓来下
訓読 このころし秋風寒し萩し花散らす白露置きにけらしも
私訳 今日このごろの秋風は寒い、きっと、萩の花を散らす白露を置いたようです。

個人の感覚ですが、これらの歌は宮中か貴族の邸宅で持たれた宴で詠われた歌でしょう。その時、写生と云う態度よりも漢詩・漢文の世界を踏まえた常識的な歌の方が好まれたのかもしれません。それならば集歌2170の歌は優等生が詠う常識的な歌になります。

 和歌心を持ち合わせていませんが、今回、つっかかってみました。ご容赦を。

 おまけとして、露の季節は稲刈りの季節でもあったようです。早稲としても奈良盆地の九月中旬は稲刈りには早い気がします。

集歌2176 秋田苅 苫手揺奈利 白露者 置穂田無跡 告尓来良思
訓読 秋田(あきた)刈る苫手(とまて)揺(ふる)なり白露は置く穂田(ほた)なみと告(つ)げに来(き)ぬらし
私訳 秋の田を刈る刈庵の苫が揺れ動く。白露を置く稲穂が残る田はもうないと告げに来たらしい。

 もう一つ、次の萩の歌は解釈が難しいところがあります。末句「芽子之遊」が云う若い女性とする遊びとは、いったいどのような遊びなのでしょうか。

集歌2173 白露乎 取者可消 去来子等 露尓争而 芽子之遊将為
訓読 白露を取らば消(け)ぬべしいざ子ども露に競(きほ)ひに萩し遊びせむ
私訳 白露を手に取れば消えてしまうでしょう。さあ、愛しい貴女、その露に競って、萩と風流を楽しみましょう。

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