竹取翁と万葉集のお勉強

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万葉雑記 色眼鏡 二六一 今週のみそひと歌を振り返る その八一

2018年04月07日 | 万葉集 雑記
万葉雑記 色眼鏡 二六一 今週のみそひと歌を振り返る その八一

 今回は今週 鑑賞しましたものの中から鴈(かり)の歌に遊びます。

集歌2129 明闇之 朝霧隠 鳴而去 鴈者言戀 於妹告社
訓読 明け闇(ぐれ)し朝(あさ)霧(きり)隠(こも)り鳴きに去(い)く雁は言ふ恋(こひ)妹し告げこそ
私訳 夜明け前の闇の朝霧に姿を隠し「駈り、駈り(=駈けていく)」と、鳴きながら飛び去って行く。その雁が語る恋を私の愛しい貴女に告げて欲しい。
注意 万葉時代の鴈は「カリ」と云う種類の雁(ガン)です。その「カリ」の名の由来は「カリ、カリ」と啼くことにあります。

集歌2139 野干玉之 夜度鴈者 欝 幾夜乎歴而鹿 己名乎告
訓読 ぬばたまし夜渡る雁は欝(おほほ)しく幾夜(いくよ)を経(へ)てか己(おの)し名を告(の)る
私訳 漆黒の夜を飛び渡る雁は、その姿が定かではないが、一体、幾夜を経てからか雁は自分自身の名を、鳴き声を上げて名乗るのでしょうか。
注意 鴈の啼き声は「カリ、カリ」で、これを「仮、仮」と聴いたのでしょう。

 現在、カリと入力・漢字変換しますと一般に「雁」の表記となります。この雁と云う表記の読みは「ガン、カリ」と紹介され、「ガン」が最初に来るようです。実際、万葉集では鴈の表記を使用しますし、現在 鴈は雁の異体字とし、読みは「カリ、ガン」と紹介します。こうしますと、ある時代までは鴈と雁との漢字使い分けはあったと思われます。
 前段で漢字の使い分けで遊びましたが、本題は鳥の鳴き声にあります。鴈は「カリ、カリ」と啼くから「カリガネ」であり、雁は「グァン、グァン」と啼くから「ガン」と名前の由来を説明する事があります。他方、歴史において鎌倉時代前後の地球寒冷化などの自然環境変化から日本に飛来する冬鳥に変化があり、飛鳥・奈良時代には中心を為した「カリガネ」から鎌倉時代以降は「ガン」に交代しました。ご存じのように奈良時代後期から平安時代後期は現在よりも気温は二度前後の高温期でしたが、鎌倉時代以降 江戸中期に向けて気温は現在よりも二度前後 低下します。これらの自然環境の影響か、現在、「カリガネ」は絶滅危惧種であり、日本ではほぼ観測されないものとなっています。このために「カリガネ」と云う冬の渡り鳥にも、その鳴き声にもなじみはありません。
 今回の歌の鑑賞は「カリガネ」の啼き声をどのように見なしたかを鑑賞するものです。さて、弊ブログは行き過ぎでしょうか、それとも叶うでしょうか。

 なお、弊ブログでは「見なす」と云う言葉を使いましたが、和歌技法では標準には「見立て」と云う言葉を使います。ただし、この「見立て」と云う言葉は「ある事柄を他の事柄になぞらえたり、みなしたりする技法」と紹介しますが、研究者により「比喩(直喩・隠喩)」と同一視する考えと、「見立て」は目で見えるものをなぞらえた表現技法とする考えがあるようです。この区分や考え方ですと、ここで紹介した「鴈」からその鳴き声を想像し、鳴き声「カリ」から「駈り」や「仮初」を想像するのは「隠喩」と云うことになるでしょうか。しかしながら、「見立て」などで紹介される次の歌などとここでの鑑賞態度は相当に違いますので万葉集での「見なし」と和歌技法「見立て」には理解の上で距離があるかと考えます。ある種、枕詞的に隠された比喩が定まった定型の「見なし」と云うことになるでしょうか。

古今和歌集
歌番号88 紀貫之
さくら花ちりぬる風のなごりには水なきそらに浪ぞたちける

 他方、同じように鳥の鳴き声を見なしで鑑賞するものに霍公鳥があります。ただし、万葉集では霍公鳥はホトトギスと訓じますが、実際は「キョッキョッ キョキョキョキョ」や「テッペンカケタカ」と啼く霍公鳥と「カッコウ」と啼く郭公と混同しています。同じカッコウ目カッコウ科に属する鳥ですが別種です。なお、中国故事からすると中国語の「杜鵑」は「啼いて血を吐くホトトギス」の異称に相応しい霍公鳥を指します。

集歌1476 獨居而 物念夕尓 霍公鳥 従此間鳴渡 心四有良思
訓読 ひとり居に物思ふ夕(よひ)に霍公鳥(ほととぎす)こゆ鳴き渡る心しあるらし
私訳 独り部屋に座って居て物思いをする夕べに、ホトトギスがここを通って「カツコヒ(片恋)」と啼き飛び渡る。私の気持ちをわかってくれる心があるようだ。

集歌1467 霍公鳥 無流國尓毛 去而師香 其鳴音手 間者辛苦母
訓読 霍公鳥(ほととぎす)なかる国にも行きにしかその鳴く声を聞けば苦しも
私訳 不如帰去(帰り去くに如かず)と過去を慕い啼くホトトギスが居ない国にでも行きたいものだ。その啼く声を聞くと物思いが募る。

 集歌1476の歌に例を取りましたが、万葉集では霍公鳥の鳴き声「カッコウ」を「カツコヒ=片恋」と聴き、恋の歌では定番の表現となっています。これはある種の言葉の洒落です。同様に鴈の啼き声の聴きようによっては言葉の洒落が生まれます。
 斯様に万葉集時代初期、発音が似ている言葉から別の言葉を導き出す作歌技法が好まれたようですので、歌の鑑賞で言葉の発音からの洒落や遊びに数多をひねるのも面白いと思います。
コメント
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