麒麟琳記〜敏腕Pの日々のつぶやき改題

還暦手前の身の回りのこまごま。
スポーツや映画演劇など。

記憶のイトマキ

2020年04月19日 | 身辺雑記
珈琲を淹れる。・・・と言っても、
豆を挽くとか、フィルターは布製、
なんて凝った淹れ方ではない。

スーパーで買える大袋の中挽豆を
無着色の紙フィルターで。
それでも。
フィルターの豆は平らに均して、
まず豆を蒸らすためにお湯をひと回し。
それから、ある高さからできるだけ細く、
同一方向に湯を回す、程度の作法は行う。

昔いた劇団の、制作部の部屋が何故だか
ショーケンのドラマみたいに屋上にあり、
そのマンションの一階にあったカフェの
マリちゃんに教わった……淹れ方
なので珈琲を落とす時はマリちゃんを思い出す。

これは一例。
そして、人にはモノやコトから繋がり出てくる、
糸を巻きとるような記憶が其々にあるだろう。

公園でキャッチボールをする父子がいる。
僕も父とした経験はあるけれど、むしろ。
母の弟。
だから僕からすれば叔父さんにあたる
「ミッキ兄ちゃん」とのキャッチボールが浮かぶ。
小三の僕に対して、少しずつ距離を伸ばし、
球速も徐々に上げていった兄ちゃんが
「次のは、もっと速いぞ」と投じた一球・・・
バッティングは苦手ながら守備には自信があり、
その瞬間も「いけた」と思ってグラブを出した。

パコーンと軟球はおでこに直撃
何故だか、この画が今でも良く浮かぶ。

塩の効いたおにぎりから引き出されるのは、
小料理屋のカウンターの隅っこの椅子。
弟が生まれ、幼稚園のない日曜日、
土建屋だった父は現場があって、僕を同行した。
仕事中は車の中で絵本を読んだり、
公園での一人遊びで時間を潰したのだろう。
夕食。
ファミレスなんて便利な店はなく、
父の普段使いで一番健全な(?)飲食店が
きっとその小料理屋だったのだろう。
刺身も煮物も焼物も……五歳児には
ずいぶんと大人な食べ物で、かつ当時の僕は
好き嫌いがとてつもなく激しかったりもした。

川崎区のどこか、鋼管通あるいは渡田か。
店の名前も、女将さんの顔も覚えていない。
ただ、塩の効いたおにぎりだけが鮮明

珈琲のくだりのドラマは、1974~73年、
日本テレビ系で放送の『傷だらけの天使』のこと。
我々世代には、本編はもちろんタイトルバックも
強く印象的な萩原健一と水谷豊コンビが
住んでいた「エンジェルビル」の屋上。

調べると、昨年ビルが解体されたらしい。
奇しくもショーケンの逝った同じ年に・・・。
我が父も今はなく。

そうそう。
最近多くの人が口にする「人は二度死ぬ」。
永六輔の言葉や松田優作の金言と言われるが、
意味は「一度目は肉体が滅びた時、
二度目は皆から忘れられた時」というもの。
記憶の糸巻は、それと少しく繋がっているかしら。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする