読書日記

いろいろな本のレビュー

喋る馬 バーナード・マラマッド スイッチ・パブリッシング

2010-06-19 13:54:32 | Weblog
 マラマッドはユダヤ系ロシア移民の子としてニューヨークのブルックリンに生まれ、大恐慌時代に青年期を過ごし、成人して教師をしながら小説を書き続け、1952年、アメリカ大リーグと聖杯伝説を組み合わせた長編『ナチュラル』でデビューし(これは後にハリウッド映画になった)、57年刊の、貧しい食品店経営主と流れ者の青年との交流を描く長編『アシスタント』と、58年刊の、戦後のアメリカを生きるユダヤ人を描きながらも大恐慌やホロコーストの影をしばしば感じさせる短編集『魔法の樽』で作家としての地位を確保し、その後も、1986年に没するまで執筆を続けた。本書は1950~1972年の発表された11篇の短編小説を柴田元幸氏の翻訳でまとめたもの。柴田氏は東大英文科の教授で小説家としても活躍している人物。推敲に推敲を重ねた原文を翻訳する困難をあとがきで吐露されているが、氏のおかげでニューヨークの下町の庶民の生活がリアルに伝わってくる。
 マラマッドの作品は1970年代には新潮文庫などで簡単に手に入ったが、近年すべて絶版になってしまい入手が困難だった。サリンジャーやアップダイクの作品はまだ店頭に並んでいるのとは対照的だ。今回こういう形で刊行されたことは大いなる喜びである。
 11篇の中で下町の庶民の雰囲気をもっとも感じさせて、いい気分にさせてくれるのは「夏の読書」である。高校中退の無職青年ジョージが近所の住人で駅の両替所で働いている中年独身男性のカタンザーラ氏(彼はニューヨークタイムスを読むインテリである)から夏の過ごし方を聞かれて、教養をつけるために100冊の本を読破すると豪語する。しかし、ある日カタンザーラ氏にどこまで読書は進んでいるか、何か読んだ本を挙げてご覧と言われ何も読んでいないジョージは何とか言いわけをしてその場を切り抜けるが、「ジョージ、私と同じことをするなよ」というカタンザーラ氏の言葉が家に帰っても耳に残った。その後カタンザーラ氏に会わないようにと最新の注意を払っていたが、ある日街の人から「君は100冊も読んだらしいな。すごいじゃないか」とほめられる。カランザーラ氏が噂をひろめた張本人だとジョージは合点して、秋のある晩、何年も行かなかった図書館に行き百冊の本を数え、机に座って読み始めたのだった。ここには本などほとんど読まない庶民の生活が点描され、しかし読むことが人生を切り開く糧になるというメッセージが込められている。人間の善意に対する賛美が込められたすがすがしい作品だ。