読書日記

いろいろな本のレビュー

慶應幼稚舎 石井 至 幻冬舎新書

2010-06-12 10:51:19 | Weblog
 幼稚舎は幼稚園ではない。小学校のことだ。慶應大学の付属小学校である。この学校が日本で一番入学が困難な小学校と言われているらしい。本書はこの小学校の実態を詳しくレポートしたもの。日本には表向き階層というものはないが、裏に回るとそれを意識せざるを得ない現実がある。それはどういう局面に現れるかというと、衣服・車・家などの可視化できるものとそうでないものの二通りがある。衣服・車などは貧乏人でも金さえ出せば手に入るが、生活習慣・言葉遣いはそうではない。いくら金を積んでも急にはセレブの身のこなしができるわけではない。学歴も入試さえ通れば基本的には問題ないはずだが、入学後のクラブ・サークル活動などで、出自の差を痛感させられる場合があるという点で後者に含まれる。特に名門私立の場合がそうだ。なかでも慶應大学は上層階級のこどもが多くいると言われている。そういう人びとが自分の子どもを入学させたいのが「慶應幼稚舎」である。
 著者が明らかにしたこの学校の特徴は、入学試験にペーパー試験はなく「行動観察」やお絵かきなどの「制作」が中心。コネ入学は最大で定員の25%。初年度納付金は153万6480円(寄付金と塾債の購入は除く)。K組には慶應フアミリーの子、E組とI組にはサラリーマン家庭の子、O組には開業医の子を多く振り分ける。K組は伸び伸びと育て、O組はしっかり勉強させ、6年間同じ担任でクラス替えなし。給食はホテルニューオータニ運営のカフエテリアで。保護者の付き合いは意外に淡白。卒業後の弱点は「出世競争に弱い」こと。これらが見えない階層の実態なのだ。労働者の子どもはハナから入学できないことになっている。これで国を動かす人物が生まれるかということだが、どうだろうか。福沢諭吉の教えを忠実に守ることと、福沢のような人物が生まれることは同義ではない。金持ちのサロンと化せば、それは貴族だ。貴族は現代社会を動かせない。ここにこの学校のディレンマがある。「出世競争に弱い」のは当たり前だ。純粋培養が弱いことは生物学的に証明されている。貧賤から成りあがって権力を握り粗雑な政治をするのもどうかと思うが、世間知らずのお坊ちゃんが為政者になるのも最近の我が国の例を見れば、ダメということがよくわかる。エリートを育てることは難しいのだ。

更に尽くせ一杯の酒 後藤秋正 研文出版

2010-06-12 09:34:48 | Weblog
 副題は「中国古典詩拾遺」。後藤氏は中国文学研究家で、本書は漢詩の小論と言うべきもの。漢語の典拠に関するものが多い。表題は王維の「元二の安西に使いするを送る」(七言絶句)の転句の「君に勧む更に尽くせ一杯の酒」の下部で、別離に際して酒を酌み交わす習慣がいつ頃から始まったのかということを調べあげている。それによると『文選』所収の李陵の「蘇武に与う」三首のその二に淵源があり、唐代に盛んに詠われたことを説いている。全体に資料を渉猟し的確に説明されており誠に読みやすく参考になる知見が随所に見られ、俗界を離れた別天地に逍遥する気分を体験させてくれる。資料批判とその扱いが実証主義的というか中国古典研究者的というか、誠に手堅い。
 その手堅さが特に発揮されたのが、『唱歌「箱根八里」の歌詞と漢詩文』という論考である。「箱根八里」の歌詞が唐の白居易の「初入太行路」を元に作られており、白居易の影は遠く明治のの御世にまで及んでいることが分かるという林望氏の指摘に対して、むしろ李白の「蜀道難」の方だろうと多くの漢詩を例に上げて反論している。林氏と言えば、人気の随筆家・研究者で自信家だ。一読してプライドの高さを感じる。ある時テレビで自分の出自は江戸の御家人だと豪語していた。ぽっと出の田舎ぺじゃござんせんという感じで嫌味なオーラが出っぱなしだった。したがってこの後藤氏の文は林氏の高慢な鼻をへし折ったという意味で胸のすく一編と言える。この後藤氏、実は私の同学の先輩で、私が学部生のころ大学院生だったと記憶する。本書で述べている通り御殿場生まれで、素朴な人柄は当時から異彩を放っていた。ある夜、宴会帰りに東海道線の東京から熱海経由で御殿場を目指したが、起きたら浜松だった。あわてて新幹線で熱海に向かったが、寝過ごして目が覚めたら東京だった。それからまた熱海目指してというように夜通し電車に乗っていたという話を面白おかしく控室で話していた。林氏と対極の後藤氏の人となりを懐かしく思い出した次第。