読書日記

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良い占領? スーザン・L・カラザース 人文書院

2020-03-27 08:44:13 | Weblog
 副題は「第二次大戦後の日独で米兵は何をしたか」である。「占領」と一口に言うが、これはなかなか困難な仕事である。ヨーロッパとアジアの全域で彼らは戦争によって荒廃した町や都市や村々に入り、死者を埋葬し、飢えた者に食料を与え、病気が疑われる者を消毒し、人間の体を収容所や列車に押し込んだ。著者はこれを「身体化された経験」だったと述べている。日本の飢えた子供たちが、米兵に「ギブ、ミイ、チョコレート」と言った話は有名である。
 日独における占領の中でクローズアップされるのは、レイシズム(人種差別主義)の問題である。ドイツ人に対するのと日本人に対するのとでは米軍の対応は明らかに違う。

 まずドイツについていうと、第三帝国の住人を扱い始めた当初、アメリカ人を最も苛立たせたドイツ人の振舞いの一つがその潔白のポーズだった。ユダヤ人の収容所は、しばしば町や都市からほんの数マイルの距離に置かれたにもかかわらずそこでの出来事を知っているという者は誰もいなかった。収容所に隣接して住む人々が、強制労働と大量死の現場に入ったことがなかったというのは本当かもしれないが、間違いなく彼らは列車の到着と数々の煙突から立ち上る煙と不快な臭いを嗅いでいたはずだ。そして占領当初、ドイツ人女性との交際を禁じた「親交禁止令」が施行されていたが、後に撤廃されると、ドイツでのアメリカ兵の狂騒がますます激しくなって、ドイツ人女性と結婚する者も多くなった。昨日の敵であった者と手のひらを反すように親密になることについて兵士の間で批判も多かった。

 そんな中で、ナチの迫害の生存者であるユダヤ人に対する個人的な不快感が抑えられなくなっていた米兵が多くなっていた。パットン将軍などは反ユダヤ主義の代表格で、ユダヤ人(移住民)に他と異なるより良い待遇を与えるべしというアイゼンハワー大統領の命令に対して、この命令は「激しいポグロム」(ユダヤ人に対する暴力)を引き起こすだろうと主張し、「一種の改良版ゲットー」に入れることでアイゼンハワーの命令を実行してやると嘲るように語ったという。ユダヤ人のブラックマーケッツトに対する激しい非難が反ユダヤ主義的中傷を繰り返す口実になった。かつての敵(ドイツ人)が人種化された他者(ユダヤ人)に対して向ける偏見と不正をあらゆる階級のアメリカ兵がますます露骨に支持するようになった。これは日本人と朝鮮人の関係と同じだ。

 一方、米軍の日本人に対する態度が典型的に表れたのが、戦艦ミズーリ号における降伏式典だ。日本側全権の重光葵は1932年の朝鮮人による爆弾テロで片足を失っていたが、彼のぎこちない足取りは日本の無力さと弱さを強烈に印象付けた。そしてマッカーサーが現れるまで彼らは「約十分間」立ったまま待たされた。日本側の正装とアメリカ側の着くずした服装、巨大な二門の14インチ砲が45度の仰角でにらみ下ろす甲板上では日本人の体格や外見・態度などあらゆる要素がそれを見るアメリカ人に卑小な印象を与えた。まさに日本人を見下すレイシズムの発露である。

 そして沖縄を占領したアメリカ兵の述懐として「沖縄は多分クソみたいなところ」「一番びっくりさせられたのは、彼らは唯一人として泣かないことだ」が紹介されて、ハーバード・スパロー少将の「我々は、この惨めで不潔な人種(日本人)を嫌悪をもって眺め、冷徹な正しさでもって扱うべきだ」がとどめをさす。沖縄でレイプ問題が頻発するのも、この日本人観がアメリカ兵に共有されたからであろう。さらに沖縄の地元住民と白人将校は常に「レイプ」の第一義的な責任をアフリカ系アメリカ人の兵士に押し付けた。まさに環太平洋的なレイシズムが一点に収束していたのである。重層化するレイシズムと言ってよい。

 アメリカはこの蒙昧な日本に民主主義を定着させようと様々な試みをしたわけだが、映画においても実行した。その一つが「八月十五夜の茶屋」である。マーロン・ブランド、グレン・フオード、京マチ子出演のこの映画は、アメリカ軍政下の沖縄を舞台に民主主義の定着と村の復興のために派遣された軍人とその通訳そして村人達の交流を描く喜劇だ。京マチ子の国際派女優の側面ばかりが強調される作品だが、支配される側の論理を無視した能天気で不愉快な仮装パーティーといえる。しかし残念ながら日本人はこのアメリカのやり方に唯々諾々としたがってきた歴史がある。沖縄の基地問題の原点がここにある。日本の属国状態は延々と続く。

 

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