読書日記

いろいろな本のレビュー

間違いだらけのクルマ選び 徳大寺有恒・島下泰久 草思社

2015-01-01 11:59:08 | Weblog
 徳大寺氏は昨年11月、74歳で亡くなった。これが遺稿となる。この本は私の愛読書の一つで、毎年欠かさず読んでいた。辛口の評論で、メーカーに媚を売るということがない。それが人気の秘密だろう。いつも、「日本車のデザインに美が感じられない、日本の自動車会社は自動車の美というものがわかっていない」と嘆いておられた。この2015年度版の巻頭言にもそれが述べられている。曰く、絵画・彫刻に限らず音楽、文学、映画さらには建築、工業デザイン等々、「美」という共通項で繋がるもろもろは、私たちの暮らしに大きな価値をもたらしている。むろん自動車もそのひとつである。そう考えると毎年、世界中に何千万台と生まれてくるカーデザインの仕事は極めて重要だ。(中略)世界的なカーデザイナーはドイツでも日本でもなくイタリア出身者に多い。そいつはイタリアという環境のなせる技であろう。彼の地に生まれた者は一流の絵画、彫刻、建築等々(むろん自動車も)に囲まれ、それらのアートを空気を吸うようにして育つ。そのなかで美を美と感じるセンスが育まれていくのだ。こいつばかりは「お勉強」でどうにかなるというものではないと。以下、自動車立国の日本は、美の感性を持ったデザイナーを生みださなければならない。そのためには、われわれ庶民のひとりひとりが美を希求し、美を楽しむ心を持つことが大事だと述べる。誠に日本に対する遺言とも言うべきもので、蓋し至言である。
 私はイタリア車に乗ったことはないが、そのデザインは日本車にはない造形美があることは切に感じる。イタリア製のネクタイもその流れをくんでおり、愛用している。よって日本の車のデザインもパクリではなく、独自の美を追求する余裕が必要だ。文化の成熟度が車やネクタイのデザインに現れるのだ。
 日本人にとっての課題は美的感覚を養うことだというのは徳大寺氏の指摘だが、車を購入する際にも、「高級」ではなく、「高級感」に騙されてというか、妥協してしまうところが、美的感覚の要請に冷や水を浴びせていることも確かだ。某クルマについて、この車の狙いは明確。そこまで高価ではなく、でも見栄えがすることが重要だ。インテリアもやはり堂々としたというか立派に見える空間に仕立てられている。ダッシュボードはレザー張りだし、木目パネルは象嵌入り。でもこの日本的なベタな雰囲気に落ち着いてしまうのが悲しい。但しこのインテリアの素材は皆、フエイクだ。しかし、このようにフエイクであっても「高級感」に騙されて買ってしまうのである。これを徳大寺氏はヤンキー文化と呼んでいる。
 某メーカーのやり方について、インテリアの木目「調」過飾や「合成」皮革を多用することで高級「感」を演出する。まあ、高級とは言っていないから間違ってはいない。しかし商売、本当に上手であると感心しているが、これが支持されてこの手の車がよく売れることも確かで、ヤンキー文化全盛と言われる所以である。この図式は、中身のない政治家に騙される国民というアナロジーにもなりそうだ。

最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。