庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

効率追求一辺倒の経済は貧困化にまっしぐら。

2012-10-16 | 経済問題
モノがあふれかえっている先進国は、経済的に恵まれている様に見える。
しかし、必需品が満たされてしまえば、それ以上のモノは、不要品になって価値が下落する。
現代の先進国では、モノの値段が落ちて行くばかりになっている。
モノやサービスの値段が下がることは、企業で働く人の収入が減ることだ。
収入が減るから、マスマス、必需品は安いモノを求めて買うことになる。
そして、今すぐ必要なモノ以外には、おカネを使わずに備えとして貯めておく。

この悪循環に陥った日本は、政府が借金をして「需要を喚起」しても、おカネは国内では回らずに、企業の内部保留か、海外への投資に向かって、国の借金は膨れあがっていく。
この隘路から抜け出すためには、国民が「豊かで安心出来る生活」を求めている要求に、商品やサービスの提供で応えることである。

企業は常に生活必需品を提供しているだけでなく、プラスアルファの価値を創りだして、消費者がもっと価値の高い商品に、おカネを積み増ししてでも購入することを、追及し続けなければならない。

自動車では、より一層の燃料消費の少ない「低燃費車」や「ハイブリッド車」など、使用者の利得と満足度を向上させた商品を、提供し続けることである。

家電製品の分野では、「大型薄型テレビ」を開発して、日本の狭い部屋でも使えるサイズを提供してきた。
多くの消費者は、手ごろな価格になったところで、大型薄型テレビに買い替えて、必需品として爆発的に普及した。
その普及拡販競争の段階で、価格は下がるだけ下がってしまい、国内の家電メーカーは、どこも赤字になってしまった。

豊かな生活の商品が、必需品になった段階で、貧困化の道に落ち込んで、家電メーカーは、人員整理をせざるを得ない状況に追い込まれてしまった。
負荷価値が、より一層高い商品を開発し続ける努力を少しでも緩めると、一流企業でも転落の道に落ち込んでくのが、先進国での宿命なのだ。

欧州の経済破綻をしている国は、付加価値の高い商品やサービスを提供出来なくなった状況を放置した国では、借金漬けになって信用不安をひき起こした。
この状態になったら、共通通貨に守られることから離れて、生活水準を半分程度に下げるしか、生き残れる道はなくなっている。

そこで、日本はどうする?

経済の発展は効率追求の集中化や規模拡大では崩壊する。

2012-10-15 | 経済問題
20世紀において「経済発展」と言えば、集中化によって効率を上げ、規模の拡大によるスケールメリットを追求するやり方であった。
行政規模でも、市町村単位では出来ることが限られるので、県単位の計画に拡大し、さらに、国のレベルで決める様に、決定手法を中央官庁の権限に集中するやり方で、いわゆる「生産効率を上げる」コトが、経済発展に貢献した。
しかし、生産効率向上は、「一言でいえば、人手を減らすこと」につながる。
つまり、人余りにドンドンして行くことが、経済発展だとしてきた。

発展途上の国で、生産効率が悪いために経済水準が低い時期は、「生産効率向上」によって、一人当たりの生産高を上げることは、そのまま、経済発展、生活水準の向上につながる。
しかし、日本が1980年代に達した生活水準になれば、モノ余り、おカネの使い道がドンドン、頭打ちになっていく。
そして、お金は土地や有価証券に流れ込み、不動産バブルをひき起こしたり、マネーゲームの横行につながっていく。

日本は1980年代の後半から1990年代に懸けて、不動産バブルに浮かれて、あえなく世界一の座から転落し、経済停滞の状態が20年以上も続いている。
この間に、世界は金融ビッグバンによって、お金が自由に駆け巡る様になった。
これを、金融のグローバル化で経済を発展させると、もてはやした専門家の判断は、完全に破綻してしまった。
アメリカは、金融工学の怪しげな錬金術におぼれて、サブプライムローンの麻薬に浸かってしまい、未だに後遺症から抜けられない。

もう一方の欧州諸国は、EU圏の拡大を野放図に広げてしまい、その上、経済の効率を上げる画期的制度として、共通通貨の「ユーロを導入」してしまった。
これが、今やEU圏の経済を奈落の底に突き落とす元凶となっている。
節度のない経済規模の拡大である【共通通貨制度】は、経済力の弱体な国を、ぬるま湯に浸からせて、とどめのない赤字体質の国に堕落させる。
ギリシャ程度の経済規模の小さい国ならば、経済力の強い国の全面的な支援で、何とか救済出来る。
しかし、スペインやイタリアの経済規模になると、支援の規模も膨大になるので、実施できない。

大きすぎて身動きが出来ない典型的な弊害である。(続)

20世紀型の新産業創出支援から脱皮する改革をせよ。

2012-10-14 | 国創り政治問題
日本は産業の育成に当たって、全国におけるバランスをとりながら、中央政府が富の配分を決めて、地域の格差を減らす役割をしてきた。
これは、20世紀を通じての経済成長の進め方が、各地域に産業活動の基盤となるインフラを、できるだけ均衡する様に、充実して行くやり方であった。
脆弱だった道路網は、よほどの奥地を除いて、ほとんどの地域社会で自動車が利用出来る国土になった。
電力供給は、全国10電力体制の独占事業として、発電と送電網を拡充してきたおかげで、停電のない社会とどこでも電力が利用出来る地域社会ができた。

この様な基盤インフラは、中央政府のバランスをとる機能と、地域社会の住民に密着した行政の機能が、先進国としてのレベルを達成することが出来た。
だが、モノ作り立国の優位性は21世紀になって急速に失い、普及型の工業製品は、ほとんどが新興国の生産に移行していったので、多くの生産地では仕事が流出する状況になっている。
地域に残れるモノ作りは、「特別の付加価値」が生かせる商品しか、成り立たない状況なのである。

日本が21世紀を通じて、豊かな生活基盤を維持して行くには、その費用を生みだす『特別の付加価値を持った商品開発』が、地域の自立的な活動で継続されることが、もっとも大事な時代に入っている。
これを「中央政府が指図をして、地域産業を振興させる」ことは、ほとんど失敗に終わることを覚悟するべきだ。
『特別の付加価値』を、2年毎に交代して行く中央官僚や、地域に派遣されるエリート官僚には、生み出すことはもちろん、評価することすら出来ない。
地域社会に長期間に渡って密着出来る人の感性で、育成出来るモノなのだ。

科学技術の最先端を行く研究や、民間では出来ない様な、基礎研究、国家的な戦略技術研究は、中央政府の重要な役割である。
しかし、それ以外の開発の支援は、東京でコントロールすることは止めて、県レベルの開発支援に移管することが、地域密着の着実な活動になる。
県レベルでは支えきれない重要課題は、今後に具体化される『道州制導入』によって、経済規模が欧州の一国相当になる総合力を活かす制度にすべきである。

21世紀の前半は、この壮大な「国創りの転換」を着実に実施出来るか、の重要なチャレンジの時代になるのだ。

日本再生は地域主権の公約を実行するのが中核なのだ。

2012-10-13 | 国創り政治問題
地域のことを決める権限を出来る限り、任せて行く制度は、「地域主権」と呼んでいるが、これは、「自民党が地方分権を公約にした」ことに始まる。
2003年の衆議院選挙で、自民党が「道州制の検討」を政権公約に掲げて選挙で勝利した。
当時の小泉内閣での基本方針として【骨太の方針2004】に『地方分権の更なる推進に向けて将来への道州制の導入に関する検討を本格化させる』と明記した。
2006年には、「道州制に具体的な制度設計を検討すべき」と、地方制度調査会が答申を行った。

小泉内閣の後を受けた「安倍内閣」では、道州制にビジョンを策定すると所信表明し、「道州制担当大臣」を新設して、その元に「道州制ビジョン懇談会」を設立した。
福田内閣において「道州制調査会」の中間報告をまとめ、調査会を『推進本部』に格上げして、道州性導入に向けた活動を加速した。
2008年5月に経済広報センターが行ったアンケート結果、道州制に賛成が39%、反対12%、「どちらとも言えない・わからない」が48%であった。
国民の理解を深めるため、今後の適切な情報提供が、行われるべきとしている。

さて、それから4年以上経過したが、「道州制の導入」は、野党の「みんなの党」の選挙公約になり、「地域主権型道州制の導入で格差を是正する!」と謳って、改革色を打ち出している。
民主党は3年3カ月前の政権交代選挙で、「地域主権を確立し、地方の自主財源を大幅に増やします」と、大きく宣伝したが、全く実行に取り掛かっていない。
何も決められない民主党にとって代わろうとして「日本維新の会」が旗揚げして『地方政府に主権』を移譲し、中央政府は外交、安全保障、など、国でなければ出来ない役割に限定する、とおおきく改革の旗を掲げている。

本家の自民党は4年間は野党ボケでもしたのか、【道州制導入】に向けた活動は一切進展していない様だ。
それとも、政権与党にならないと「政策の検討は実行できない議員」ばかりの集まりなのか。
この様な中央政界の与党の堕落と野党ボケの怠慢、そして、掛け声だけが元気な新進野党の改革スローガンだけの言葉遊びなのか。

次の総選挙までには、少しは具体的な実行の議論でも戦わせて国民に示せ!

地域主権を実行に移す機会を捉えてまず一歩を踏み出す。

2012-10-12 | 国創り政治問題
北海道は欧州の国と比べると、デンマークやフィンランドの国のGDPと同等の規模の経済力である。
酪農が盛んで地域に恵まれた風況を利用して「風力発電」では、世界の最先端を走る企業を生みだしている。
また、1979年には、アメリカのスリーマイル島原発事故の影響を受けて、国民運動が原発ゼロを打ち出して、国の政策転換を要求した。
当時は、15基の原発をつくって将来のエネルギー増加に対応しようとしていた政策を、風力発電や省エネルギーによって、「原発ゼロ」を政府の方針とさせた。
1985年のことで、ソ連のチェルノブイリ原発事故の1年前である。

今や、地域の特性を活かした産業に支えられて、教育レベルでの成果は世界一流であり、EU諸国の中での最優等国である。

同程度の規模の国に、ギリシャがある。
恵まれた観光資源がありながら、国創りの方向のビジョンもないままに、【福祉と公務員の優遇ばかりにおカネを回し】て来た為に、完全に国の経済が行きづまってしまった。
いまやEUの経済力のある国(ドイツなど)にすがって、とにかく、国の財政再建に取り組まざるを得ない状況であり、EU中央の指図を受ける始末である。

北海道は、この冬の電力需給の問題を、東京の中央政府にすがろうとしている。
電力会社から出された需給見通しでは、厳寒期でも原発稼働ゼロで[5.8%以上]の予備率がある。
北海道電力は、予備率の余裕がないと、火力発電のトラブル発生などで不足する懸念が大きいとして、節電規模を7%以上にする様に求めている。
節電の強制を要求する電力会社に対して、国の指図を求める姿勢は、北海道の将来を中央政府に依存している「親方日の丸」の、甘えの姿勢ではないか。

今こそ、エネルギー政策の転換を機会にして、「地域主権」の実行を『同政府が決断』する体制に移行するチャンスである。
確かに、最悪時の想定もしておき、「北海道電力の火力発電所トラブル」で、供給量が不足した場合に、本州からの電力供給体制を、中央政府のバックアップで補強しておく必要はある。

中央政府に依存するのは、この様に北海道だけでは無理な状況に限るのだ。
地域の将来の「エネルギー政策や産業振興策」は『道政府が決める』ことだ!

最も難関の課題に挑戦する政党こそが国民の支持を得る。

2012-10-11 | 国創り政治問題
日本の政治家と官僚は自分の身が危なくなるまで、ムズカシイ問題を先送りする習性がある。
だから、尖閣諸島問題や竹島、北方領土問題は、すべて、【さわらぬ神にたたりなし】の日本的な感覚で、何もしないで過ごしてきた。
そのツケが一気に回って来たのが、昨今のどうにもならない状況である。

財政問題も、小泉内閣が郵政族退治に政治生命を懸けて取り組むまでは、野放図に官僚の言いなりに赤字予算を汲んで、国の借金を膨れ上がらせてきた。

政権交代した民主党は、税金のムダ使いを減らすどころか、一層のムダバラマキをして、財政の悪化に拍車を懸けている。
国民が圧倒的な多数で、脱原発路線を要求しているのに、野田政権は未だに、「2030年代の原発ゼロ」を閣議決定することも出来ない、優柔不断ぶりである。
そのために、【核燃料の再処理施設】への税金のムダ使いを延長し、実現不可能な【高速増殖炉(もんじゅ)】の廃炉決定も出来ない。
さらに、新規原発が必要がないことが明確であるのに、着工済みの工事を差し止めることも出来ず、次世代の負担を積み上げる愚策を放置している。

意思を明確にしなかった【JA(農協)】は、遂に、放射能被害の広がりに我慢しきれず、「原発ゼロを早期に達成」を、組織の基本方針に据えた。
先に全国的労働組合の【連合】は、脱原発依存を決めて打ち出している。

ここまで来ても、決断できない組織はどこか。
それは、何のビジョンも持たないで、官僚の担ぐオミコシに乗ることしか能がない「自民党(与党ボケ)」である。
民主党のテイタラクによって、政権に返り咲きをする【たなぼた待ち】の姿勢で、「脱原発依存への転換」は、まだ、アイマイなままで何も決められない。

これほど「選択が容易な問題」を、決断も出来ない組織に、中央政府が取組むべき困難な課題を、任せてみようという国民がいるとは思えない。
「領土問題」「財政再建問題」は困難な課題であるが、それよりも『将来の高付加価値社会』を、どの様にして構築して行くか、は最も難関な課題である。
この夢の持てる将来を描き、それに向けての戦略、具体策を提示できるところに、本当の政治力が期待される。

民主党も自民党も期待できないのは明確だから、それを提示できる新規政党は、次期総選挙で、大躍進を遂げるのは間違いない。

中央政府がやるべき重要課題を後回しにする安易な仕事。

2012-10-10 | 国創り政治問題
野田内閣が「今冬の電力需給」の不足を懸念した、節電対策の検討を開始した。
福島原発の大事故以来、各地での電力不足の問題が、各電力会社の管内での、会社側の出すデータの不確かさに、需給不足に対する国民の疑問が沸騰した。
これに中央政府が関与して、データの正確な再検討を実施して、今年の夏場を節電要請によって乗り切ったコトは、緊急避難的な措置として、政府の役割を果たした実績になる。

特に関西電力管内で、原発依存が極端に大きかった反動もあって、やむを得ずに「安全確認が不十分」なままの、大飯原発2基を稼働容認した。
実際には、原発の稼働をなしでも、電力供給量は足りたことが判明した。

今回は冬場に電力需要が増加する北海道の電力需給問題である。
これに対して、北海道の自治体が何を要求したのか不明だが、1000km以上も離れている永田町に集まって、北海道では「節電要請が10%程度」は必要である、などと、議論を始めている。
当事者の北海道は何をしているのか、報道もないので分からないが、「マスメディア」も、北海道に対して東京が指示することに、何の異論もはさまない。

北海道地区が、「自分たちでは決められないから、中央政府で決めて欲しい」と要請したなら、国の役割として、支援するのは妥当であるかもしれない。
しかし、電力会社は北海道に存在し、北海道の道民と企業が電力を使っているのに、イチイチ、東京にお伺いを立てるコトが必要ないのに、全く不可解である。
中央政府は、その作業を始めることで、経済産業省や内閣府の仕事が動きだす。
経産省は、本来の国全体のエネルギー政策の重要な課題を決めることが出来ず、次々に先送りをしている。
これによって、膨大な税金の無駄使いが発生しているにも拘らず、だ!

人間は、仕事が錯綜してくると、ムズカシイ【困難な仕事を後回し】にして、従来のやり方でカタズク「易しい仕事を先に取り掛かる」習性がある。
北海道に任せれば済む仕事を、自分でやると言い出して、それをキチンとやり遂げることで、官僚と政治家は自己満足に浸るのだ。
目の前に、困難な課題を突きつけられるまで、現状維持を保つ習性は、こうして体の芯まで染みついてしまう。

領土問題、財政再建問題、エネルギー問題、すべて、困難な課題は現状のままで先送りに終始する。
それを助長しているのは、【無策なマスメディア】である。

地域主権の実例を国民に示すことが総選挙の争点になる。

2012-10-09 | 国創り政治問題
国内世論は2030年までのできるだけ早い時期に、原発依存から離脱したい、との意思を表している。
これに対して、既存の電力会社は、自社都合ばかりが優先して、稼働する必要のない原発の維持を固守して、廃炉になることをかたくなに避けようとする。
それは、現状のままで、原発が廃炉になると、建設時の投資を回収する目途が立たなくなり、損失となるからだ。
つまり会社経営の責任にされて、経営陣の責任問題になるからで、つまり、国民の為よりも自分の首の方が大事なのである。

もう一方の経済産業省の官僚は、原発をできるだけ維持して、たとえ運転を止めていても、建設費の償却費を電気料金にもぐりこませれば、電力会社も官僚の責任を問わない、とみている。
なし崩しに、電力会社の原発を国有化に持ち込み、その後に、国民の意思で廃炉にする方向に転じれば、官僚としては責任を問われることがない。
経産省の官僚も、自省の権益と責任回避のために、知恵を絞っているのだ。
しかし、「工事中断した新規原発」の再開問題については、さすがの官僚も【検討に抜かり】があって、世論とマスメディアから、総批判を浴びている。

電力会社と官僚が責任ノガレに走るのは、従来の既得権を持っているから、直接に国民から首にされることはない。
しかし、それを監督し最終決断する権限を持っている政治家・政権が、自分の責任を回避しようとする姿勢では、忍耐強い国民も次は交代させるのだ。

青森県の大間原発は、従来ならば建設地の地元、大間の自治体だけの同意を得ればよかったが、今後は少なくとも30km圏内の自治体の同意も必要になる。
対岸の北海道の函館市は、大間原発の工事再開には絶対承認しないとして、強行すれば、裁判に持ち込むと明言している。

地域自治体の間での意見が分かれた場合に、調整をどの様に図るか、「地域主権」「地方分権」を政権公約に掲げている各政党は、対処方針を用意して国民に説明をするべきである。

特に、「原子力の拡大政策」を進めてきて、原発大事故の原因をつくった「自民党の原発政策」と「地方分権」との関連で、原発の工事再開問題に対処する方針を明確にする段階であるが、一向に国民への説明はない。
総選挙を早期に実施する様に要求するなら、答えを用意して言い出すべきだ。

中央政府がすべきことをしないで、責任の先送りばかり。 

2012-10-08 | 国創り政治問題
民主党は政権交代を訴えた3年前の選挙で「地域主権」を大きく謳っていた。
「中央政府の役割は外交・安全保障などに特化し、地方で出来ることは地方に移譲します。」と明確に、選挙民に約束をしている。
今までの、この約束は曖昧で実行された政策は、見当たらない。

原発政策に転換に当たって、安全性の確認は中央の集中した権限を持つ「原子力規制委員会」の判断に委ね、政治的な要素は立ち入れない様にした。
同時に、安全性が確認された原発を稼働する許可は、地域連合の自治体に判断を移譲したのである。

ここまでは、政権交代に当たっての基本方針「地域主権」を実行しているので、正当な政策の実施となる。
これに対して、マスメディアが「責任転嫁だ」と批判するのは、間違いだ。
しかし、原発の建設を認可して「すでに工事にかかっている原発」の3基を、政府は差し止めることはしない、と言うのは、まさに責任放棄である。
現状の成り行きに任せて放置しておき、「あえて工事の差し止め」をしなくても、その次の政権が何とか始末をつけるだろう、という他力本願の無能官庁である。
なぜ、今の段階で、工事を中止させる方針に転換出来ないのか。

電力会社に工事の中断を命令すれば、現在までの建設費を損失として国に要求されるのは必然であろう。
経済産業省は、自省の責任にさせられるのは、失敗の張本人になるので、法律どうりに、電力会社の自主的判断で工事を停止する、ことを暗に期待している。
電力会社が強引に工事を続行して、原子力規制委員会の安全審査を通るならば、原発を完成させたとしてもそれでよしとする。
稼働の是非は、地元での反対運動が起きても、自省の責任にはならない。

新規に建設した原発を完成してから、他力本願で稼働を止めることは、無駄な建設費を投入した揚句に、電気料金として国民から徴収することになるのだ。
これが解っていながら、現時点で工事の再開を容認するのは、「国民をバカにしている」本心の現れである。

では、どうするのが最も得策か、専門家からは、対案は何も提示されていない。
まず、「原子力規制委員会」で新規に作成中の安全基準が完成するまで、工事の保留を電力会社に要請をすることだ。
この要請を断って、工事再開を強行したら、おのずと世論は答えを出す筈だ。

責任回避の典型的な原子力政策の転換。大間原発の再開。

2012-10-07 | 核エネルギー・原子力問題
既存の原発を再稼働するには、「原子力規制委員会」の安全性の評価が不可欠で、その上で、原発立地の防災重点区域(避難計画の準備が義務付け)となる自治体の了解は絶対に必要である。
防災重点区域は、30km圏内では甘い想定で、80km程度に拡大すべきであるが、300kmから2000kmも離れた「中央政府が判断する責任を負う」とする論者の、言い分は理解に苦しむ。
重点地域の住民、自治体の意見がまとめられないから、「中央で決めてくれ!」という合意があるとは、全く考えられない。

再稼働の判断は「地域主権」に移行すべきだが、【大間原発の様な新規の増設(工事の再開)】は、地元が同意すれば進めて行く、と言う電力会社の言い分は、全く通用しない説明である。
この工事再開問題に対して、国は【いったん、着工の認可を出している】から、今から工事を差し止めることはしない、としている。
これこそ、責任放棄の【無能で無責任の中央政府の典型】である。
特に「大間原発」の場合は、プルトニウムを混合した【MOX燃料】の専用原子炉であり、【使用済み核燃料の再処理路線】の転換が議論されているのに、従来の計画を強引に進めて、既成事実を積み上げてしまう魂胆だと見える。

国民への説明を意図的に捻じ曲げて、「再処理路線」を国策として進めてきた原子力政策を、根本的に再検討する責務は、中央政府が全責任を負うべきである。
青森県の「六ヶ所村の再処理工場」の先行きも、曖昧にしたままに、地元の再生計画もないままに転換すれば、大問題に発展するのは確実である。
だから、政権末期の内閣にとっては、これを次の政権に先送りをしようとして、アイマイ姿勢に終始している。
しかし、受け皿となりそうな、「自民党の原子力政策の転換」は、もっと疑問だらけの、「中身が何もない日和見主義」である。

大間原発を進める【電源開発】は、民間企業であるために、ここで、工事を中断することを自社で言い出せば、今までに投下した建設費は、すべて損失として計上することになる。
当然、大赤字を出すことになり、経営陣の首が飛ぶことは確実であろう。

無理を承知で「工事再開」を宣言し、政府が止めることを待っているのだ。
国が工事再開の差し止めをすれば、今までの建設費の損害を国に請求出来る。

山口県は中央政府から自立して独自の創意をうみだせ。

2012-10-06 | 国創り政治問題
山口県の上関原発の計画が中断することになった。
原発の前段階工事の埋め立て申請を、山口県知事は許可を取り消す方針を示して、工事は中断することになる。
申請をした中部電力は、国が新規の増設をしない方針を打ち出しているから、やむを得ないとして【いったんは引き下がる】が、政権が交代して【新規増設を認める】方向に転じた場合は、再度、申請をして原発を造るとしている。
何事も中央の政府が意向を示せば、それに呼応して自治体も民間企業も動き出す体質が、染み込んでしまっている。

日本が1990年代から経済成長が止まり、国内需要が衰退し続けている。
これは、多くの識者や経済専門家が、東京一極集中による「地域活力の減退」が、大きな原因であると指摘している。
地域社会が自発的に地域の特性を活かした産業や施設を創出して、「魅力のある地域資源を開発」して行く必要性を訴えている。
一部の地域での成功事例はあるが、大部分は【国が音頭取りをして予算をつける】施策に便乗して、「新しい創意もなく、ただ右へならえ」の、安易な取り組みばかりである。

【安易に取り組んだ案件】は、補助金予算が尽きればそこで、取組は終わる。
国からの助成金をアテにした「地域おこし」は、地元での熱意もないのがほとんどで、【失敗事例】ばかりを生みだした。
原発の新設も、計画が始まれば「国からの交付金が支給」されて、まずは地元の土建業者が恩恵を受ける。
地元の自立的な努力は皆無で、原発計画が中断すれば、後には何も残らない。
むしろ、その間の【自発的な努力の芽を摘み取ってしまう】ので、やる気のある起業家は、他の地域に立ち去ってしまうのだ。

原発の新増設計画が、いかに地元の自立心を奪ってきたか、中央政府は、その弊害を自覚するべきである。
「原発依存をどうするか?」に対して、国が旗振りするのを止めて、地域の自立的な判断に委ねることが、『地域主権の第一歩』である。

民主党は公約に『地域主権』を高々と謳っていたが、3年間は何もしなかった。
ところが、今回の原発再稼働の是非の判断は、地域に委ねる姿勢になった。
「マスメディア」は責任回避と言うが、やっと地域に主権を移譲する始まりだ。

大新聞も旧時代の中央集権思想から抜けられない再稼働。

2012-10-05 | 国創り政治問題
原発の再稼働の是非をどこが最終判断をするか、議論が空回りをしている。
本日の朝日新聞(10月5日朝刊14面)の社説でも、【政治は丸投げするな】の表題で、「中央政府(野田内閣)が、再稼働問題を原子力規制委員会にすっかり丸投げしている。おかしいではないか。」
と論説している。
つまり、規制委員会が技術的、行政的(避難計画)に安全性を一定以上に保っていると判断した原発は、「再稼働の段階に移る必要条件を満たした」、という。
しかし、条件を満たしたから電力会社は勝手に自社都合で稼働をすることは、あり得ない。

そこで、電力会社は中央政府の再稼働許可のお墨付きをもらって、嫌がる地元住民を【お上のご意向に沿う】ことが、下々のなすべきことである、として、「上意下達」の江戸時代、明治時代の姿勢で、原発政策を推進してきたのである。

時代の最先端を進んでいる大手新聞の論説委員でも、いまだに、明治時代の感覚から抜けられない。
140年も続いた「中央集権国家」「殖産興業立国」の【旧時代的な国創り】姿勢に囚われたままの状態である。

何事も【お上のご意向が大事】と言う姿勢が、日本を一極集中の非効率体制を生み、地域の自発的な発想と努力を、押さえつける風土を生んでしまった。
「マスメディア」そのものも、中央集権社会だから、地方に任せたらロクでもない仕事になるから、「判断と決定権は中央が握るに限る」と思い込んでいる。
それでは何故に、関西電力の原発の再稼働の必要性を、東京の霞ヶ関・永田町の官僚と政治家が判断する必要があるのか。
間違いなく、関西地区の政治家、自治体の責任で、地域連合圏内の住民の意向と経済への影響を考えて、決断をするべきなのである。

関西地区はその体制に移行しようとしているから、邪魔することはない。
では、北海道はどうするのか?「泊原発の再稼働」は、今冬は安全基準も出来ていなから再稼働なしで冬越しをする。
その結果を踏まえて、来年の冬場に向けて、本当に安全性を満たした「泊原発」を、再稼働した方が北海道の住民と経済活動に良いのか、自治の精神で判断することを選ぶだろう。

自分たちでは決められないから、「永田町にお伺いを立てる」とは言わない。(続)

再稼働は中央政府で決定する制度から抜け出す絶好の課題。

2012-10-04 | 国創り政治問題
野田政権の末期症状の代表例としては、2030年代までに「原発ゼロ」を目指すとしていながら、「大間原発の工事再開」を認めてしまったことだ。
また、国民の税金を無駄使いし放題であった、「高速増殖炉(もんじゅ)」を未だに廃炉決定も出来ず、経産省の苦肉の策である【使用済み核燃料焼却】の研究炉に転用する案を、いい加減な理由で採用して、無駄使いの上乗せをしようとしている。
さらに、あらゆる面からみて、【使用済み核燃料の再処理(プルトニウムの抽出)路線】を、無駄使いを承知で継続させようとしている。

これほど決められない中央政府の実態には、呆れかえるばかりであるが、そうは言って、どこかがシッカリと判断をすべきであろう。
まずハッキリさせておくべきは、電力会社が画策している【大事故の不安が残るママの原発の再稼働】を、どこが最終決定するのが良いか、の問題である。
新規に発足した「原子力規制委員会」は、原発の重大事故時の防災重点区域を30km圏内の「21道府県」、「136市長村」、「対象人口480万人」とした。
原発の稼働には、この人たちに人命を懸けてもらうことになる。

規制委員会では来年7月までに、「新しい安全基準」を作り安全性を審査する。
この基準を満たさない原発は再稼働を認めない方針である。
規制委員会の役割はそこまでで、「防災重点区域住民」の避難計画が出来て、新規の安全基準を満たしている、と判断がでても、再稼働を決定するのは「原子力規制委員会」ではない。
中央政府(野田内閣)は再稼働に当たって、近隣の『自治体住民の了解を取り付ける責務は電力会社にある』として、政府の立場では決めることはしない。

原発を再稼働したい電力会社は、「近隣住民の了解を取り付ける責任がある」と言うことが、今後の基本的な方針である。
今までのやり方では、原子力ムラの経済産業省が「大臣名」で、【定期検査終了証】を出せば、再稼働は電力会社の都合だけで実施できた。
今後は『近隣住民の了解』という、全く曖昧な決め方に移行することになる。

そこで「原発の再稼働問題」は、近隣住民の判断を、原発を抱える『広域連合自治体』が主導して決定権を持つことが、『地域主権の始まり』になるだろう。
関西地区では、すぐに取り掛かる、実質的な地域主権維新の始まりである。
この絶好の機会を捉えられない地域は、中央支配のまま取り残される。(続)

原子力規制委員会は大甘に避難対象を設定してお茶を濁す。

2012-10-03 | 核エネルギー・原子力問題
新たに発足した「原子力規制委員会」は、原発事故時に避難や屋内退避の備えをしておく「重点区域の対象地」を拡大した。
福島原発の大事故前には、わずか10km圏内の自治体だけに限定していたが、
事故の実態から見直して、30km圏内の自治体にまで拡大する案を提示した。
しかし、福島県内の60km圏内の自治体は除外されている。
60kmも離れた川俣町にまで「放射性物質」が大量に飛散した事実に対して、何の説明もなしに、重点区域ではない、とされている。

アメリカでは、重大事故時には、50マイル(80km)圏内まで、避難勧告が出されるルールがある。
日本人はアメリカ人よりも「放射性物質には強い」とでも言いたいのだろうか、
とにかく出来る限り、避難する準備をする自治体の数を減らしておきたかった様である。
それでも、事故前には対象市町村が45であったのを、135に増えるので、少しは改善されることになる。
この対策の費用は、当然、原発を稼働する電力会社の負担になる。

旧の組織「原子力委員会」の近藤駿介委員長は、「日本の過酷事故対策は詰めがあまかった。」と、人命よりも「原発事業者の都合を優先してきた」日本の原子力政策の誤りを語っている。
新組織の「原子力規制委員会」は、この様な最悪事故に対応する、「防災計画の体制整備」を優先的にあげていた。
しかし、この程度のことで、住民の安心を得ることが出来ると考えていたら、やはり原子力ムラから抜け出られない【原発企業に甘い】体質は変わらない。
135の市町村も、その外側周りの住民も、これで「原発の再稼働」を容認することは、全くないであろう。

世界で最も地震と津波被害大きい日本で、避難計画が出来たから安心などとは、誰も思わない。
天災、人災、テロ災害の可能性を最悪時まで想定し、「悪い時には更に悪いことが起こると考えるのが、事故対応を考える人間の基本」である。
これは、先の原子力委員会の近藤駿介氏の言葉だ。

新原子力規制委員会のメンバーは、大事故を防げなかった【前委員長】よりも、安全思想は後退してしまった様である。
【のど元過ぎれば熱さを忘れる】のか?

末期的内閣と再生不能の野党のチキンレースが始まる。

2012-10-02 | 国創り政治問題
野田内閣の改造が行われたが、何をしようとしているのか分からない新閣僚ばかりで、シャッフル内閣と言うしかない。
どうせ何もできない【末期の野田政権】だから、選挙対策でもない上に、解散先送りだけが目的の、錯乱組閣の結果と思える。
特例公債法案が成立しなければ、日本の行政機構はマヒ状態に陥るのは確実だ。
対抗する自民党、公明党は、解散期限を明示しない限りは、特例公債法案を審議拒否する、と断言している。

政党支持率が最悪のレベルの民主党は、絶対に解散したくない。
自民党は民主党が迷走している最中に、総選挙を実施して、敵失の中で再浮上するしか、政権への返り咲きは望めない。
だから、野田首相が解散期限を明確にしない限りは、民主党の提出法案をことごとく審議拒否か否決する。
財務省では、行政への支出を絞りに絞って、11月末の財源枯渇を延ばすかも知れないが、それでも年内には行きづまる。
責任を負わされる財務大臣にはなり手がいなくて、素人大臣しか選任できない。

国民生活への悪影響は、計り知れないほどに広がるであろうが、「尖閣問題」の国有化宣言のやり方の不備で、中国での反日騒動が広がることも読めないレベルの無策官僚と閣僚では、同じ過ちを繰り返すことは間違いない。
結局は、国内各方面で批判のあらしが巻き起こり、矛先は「特例公債法案」を審議拒否している「自民党」と「公明党」の執行部にも及ぶ。
解散を確約しない【野田首相】の責任だと、大声を出してもドジョウ首相の耳には届かない。
原発の再稼働反対を要求する多くの市民の声も、騒音が大きいくらいにしか聞こえない人には、国の将来などは考える度量もないのだ。

結局は財務省官僚の人脈で、自民党の新執行部の「官僚依存型政治家」に、特例公債法案だけは成立させることを画策して、官僚達が駆け回ることになる。
二世政治家ばかりの自民党執行部は、官僚にたてつく習慣はないから、最後まで審議拒否をすることをためらい、チキンレースの勝負は終わる。

しかし、国民生活を明らかに犠牲することは止めても、じわじわと悪影響の出る様に、民主党の法案を棚上げにするだろう。
最後は来年の夏場に、完全に行き詰るところで、内閣総辞職になるのだ。