庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

経済の発展は効率追求の集中化や規模拡大では崩壊する。

2012-10-15 | 経済問題
20世紀において「経済発展」と言えば、集中化によって効率を上げ、規模の拡大によるスケールメリットを追求するやり方であった。
行政規模でも、市町村単位では出来ることが限られるので、県単位の計画に拡大し、さらに、国のレベルで決める様に、決定手法を中央官庁の権限に集中するやり方で、いわゆる「生産効率を上げる」コトが、経済発展に貢献した。
しかし、生産効率向上は、「一言でいえば、人手を減らすこと」につながる。
つまり、人余りにドンドンして行くことが、経済発展だとしてきた。

発展途上の国で、生産効率が悪いために経済水準が低い時期は、「生産効率向上」によって、一人当たりの生産高を上げることは、そのまま、経済発展、生活水準の向上につながる。
しかし、日本が1980年代に達した生活水準になれば、モノ余り、おカネの使い道がドンドン、頭打ちになっていく。
そして、お金は土地や有価証券に流れ込み、不動産バブルをひき起こしたり、マネーゲームの横行につながっていく。

日本は1980年代の後半から1990年代に懸けて、不動産バブルに浮かれて、あえなく世界一の座から転落し、経済停滞の状態が20年以上も続いている。
この間に、世界は金融ビッグバンによって、お金が自由に駆け巡る様になった。
これを、金融のグローバル化で経済を発展させると、もてはやした専門家の判断は、完全に破綻してしまった。
アメリカは、金融工学の怪しげな錬金術におぼれて、サブプライムローンの麻薬に浸かってしまい、未だに後遺症から抜けられない。

もう一方の欧州諸国は、EU圏の拡大を野放図に広げてしまい、その上、経済の効率を上げる画期的制度として、共通通貨の「ユーロを導入」してしまった。
これが、今やEU圏の経済を奈落の底に突き落とす元凶となっている。
節度のない経済規模の拡大である【共通通貨制度】は、経済力の弱体な国を、ぬるま湯に浸からせて、とどめのない赤字体質の国に堕落させる。
ギリシャ程度の経済規模の小さい国ならば、経済力の強い国の全面的な支援で、何とか救済出来る。
しかし、スペインやイタリアの経済規模になると、支援の規模も膨大になるので、実施できない。

大きすぎて身動きが出来ない典型的な弊害である。(続)

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