庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

中央政府がすべきことをしないで、責任の先送りばかり。 

2012-10-08 | 国創り政治問題
民主党は政権交代を訴えた3年前の選挙で「地域主権」を大きく謳っていた。
「中央政府の役割は外交・安全保障などに特化し、地方で出来ることは地方に移譲します。」と明確に、選挙民に約束をしている。
今までの、この約束は曖昧で実行された政策は、見当たらない。

原発政策に転換に当たって、安全性の確認は中央の集中した権限を持つ「原子力規制委員会」の判断に委ね、政治的な要素は立ち入れない様にした。
同時に、安全性が確認された原発を稼働する許可は、地域連合の自治体に判断を移譲したのである。

ここまでは、政権交代に当たっての基本方針「地域主権」を実行しているので、正当な政策の実施となる。
これに対して、マスメディアが「責任転嫁だ」と批判するのは、間違いだ。
しかし、原発の建設を認可して「すでに工事にかかっている原発」の3基を、政府は差し止めることはしない、と言うのは、まさに責任放棄である。
現状の成り行きに任せて放置しておき、「あえて工事の差し止め」をしなくても、その次の政権が何とか始末をつけるだろう、という他力本願の無能官庁である。
なぜ、今の段階で、工事を中止させる方針に転換出来ないのか。

電力会社に工事の中断を命令すれば、現在までの建設費を損失として国に要求されるのは必然であろう。
経済産業省は、自省の責任にさせられるのは、失敗の張本人になるので、法律どうりに、電力会社の自主的判断で工事を停止する、ことを暗に期待している。
電力会社が強引に工事を続行して、原子力規制委員会の安全審査を通るならば、原発を完成させたとしてもそれでよしとする。
稼働の是非は、地元での反対運動が起きても、自省の責任にはならない。

新規に建設した原発を完成してから、他力本願で稼働を止めることは、無駄な建設費を投入した揚句に、電気料金として国民から徴収することになるのだ。
これが解っていながら、現時点で工事の再開を容認するのは、「国民をバカにしている」本心の現れである。

では、どうするのが最も得策か、専門家からは、対案は何も提示されていない。
まず、「原子力規制委員会」で新規に作成中の安全基準が完成するまで、工事の保留を電力会社に要請をすることだ。
この要請を断って、工事再開を強行したら、おのずと世論は答えを出す筈だ。