庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

日本の産業界の保守的な考えによって意図された風潮。

2010-12-16 | 経済問題
日本における温室効果ガス(CO2&フロンなど6ガス)の排出削減に要する【削減費用】は、割高であり、それを実施しようとすると経済成長の足かせになる。
これが、今までの政府首脳陣がとらわれている、日本のジレンマの原因である。
この従来の経済成長論を信奉する「旧産業の経営者&似非経済学者」のグループから、長年に渡って流され続けてきたために、頭が凝り固まってしまっている。

日本の温室効果ガスの【削減費用】(円/tCO2)が、実際の機器の使用年数を短めに想定することで、割高の印象を与える数値が出されていた事実を、12月13日~15日のブログに書いて、説明をした。
なぜ、その様な意図的な説明をして、温室効果ガスの削減対策を抑制しようとしたか、については読者諸氏も推測はしていると思います。

これは、旧産業界の経営者は、いつも2番手戦略に慣れきった経営によって、リスクを最小にすることを長年に渡って学んできた。
2番手戦略とは、いつも一番最初に挑戦することを避けて、うまく先行している企業の真似をして、後追いの経営をすることである。
これは失敗するリスクを最小にすることで、経営効率が良いので日本のお家芸となっている。
成功者の後追いにより、最小の投資リスクでソコソコの成功の余剰利益を追求する経営である。

しかし、こと温室効果ガスの削減対策においては、先行している企業は見当たらず、心ならずも先頭を走らされることになってしまった。
1番手を狙う事は、チャレンジ精神に富んだ経営者のもとでなければ、技術者も経営陣も能力を発揮できない。
2番手戦略で成功した実績で出世してトップ経営者に上り詰めた人にとっては、先頭を走ることは不得意か、避けてきた道である。
当然の様に、温室効果ガスの削減対策において、できるだけ先頭を避けてリスクを最小にすることが、経営戦略としては妥当と考える。

だから、【削減費用】は割高につく様に説明して、できるだけ対策の先送りをしたい。

これが旧産業の経営者によって大多数を占める経済団体によって、日本の【削減費用】は割高であって、「無理な削減の義務化は、経営の足かせになる」との大合唱となってしまった。
自民党政権時代は、この声一色であったが、民主党に政権交代したあとも、あらゆるルート、方策を講じて、この割高論を社会に流し続けてきた。

多くの国民は、今や「日本の環境立国の高い理想を実現したい」という理想と、そのためには、割高であっても「負担を進んでするのは無理だ」という現実論の狭間を揺れ動いている。
しかし、今回の数値の公表によって、日本の【削減費用】は割高である、という説明は意図的な操作であった事が分かる。
でも、国民負担が増えることは事実としてある。

しかし、新たな国民負担が経済成長の足かせになると言う説明も問題がある。(以下、次回)

国民の税金を海外に投資するよりも国内の削減費用に投資を。

2010-12-15 | 経済問題
温室効果ガスの削減には、新技術の採用をする為の費用、国民負担が生じる。
その費用を【削減費用】(円/tCO2)と呼び、日本は世界に中では割高となっている。
経団連をはじめとして産業界の大部分は、この割高な費用負担を強いられるのは、国際競争力の面で不利になると長年に渡って主張し、新聞などにも大金を使って全面広告を出してきた。

京都議定書による6%削減の目標に対しても、日本は既に省エネルギー効率は世界の先端を実施しているので、これ以上の削減に必要な技術は割高になる、と主張している。
その数値は、前回にあげた様に、25%削減に向けての対策を実施すれば、平均の【削減費用】(円/tCO2)は、3万2100円/tCO2になるとしている。

これが、世界における削減費用からは大幅に高い事は事実である。

しかし、この【削減費用】(円/tCO2)の算出に使う、機器の平均使用年数が短めに想定されている事実を、ほとんどの人は知らない。
別に隠していたわけではないが、本来の機器の使用年数よりも、あえて短めに想定した理由については、のちに触れるとして、実際の使用年数による【削減費用】(円/tCO2)を算出するとどうなるか。

国立環境研が提出した資料によると、平均【削減費用】(円/tCO2)は、1850円/tCO2になる。
これは、使用年数を短めに想定した場合よりも、17分の1の【削減費用】となる。
この削減費用は、国際的に見ても割高になっている数値ではない。

ちなみに、最近の海外との排出量削減枠の取引価格と比較してみる。
ポーランドから排出削減量の枠を、「400万トンCO2」を買取った価格は、約50億円である。
これは、「削減費用で、1250円/tCO2」に相当する。
この50億円は日本政府が国民の税金で、ポーランドにおいて、CO2排出削減事業」を実施したことと同じであり、せっかくの税金が海外の事業に使われてしまった。

この投資を日本の国内において実行すれば、派及効果によって、その資金の1.5倍~2倍の投資効果になることは知られている。
つまり、同じ50億円でも、日本国内で使えば、75億円から100億円を使った効果が出る。
ということは、「削減費用1850円/tCO2」は、海外で使う「削減費用で、1250円/tCO2」よりも、経済連関における波及効果が大きい。

この様な事実は経済の専門家ならば、当然の様に解っていることであるが、何故に、国内における【削減費用】が割高であって、日本経済の足かせになると主張しているのか。
温室効果ガスの削減に貢献する機器の【使用年数を実際よりも短めに想定】し、その上、海外における排出枠の購入に国民の税金を使いながら、国内での省エネ機器や再生可能エネルギー関連への投資を割高であるとして、抑制しようとしている。
この意図は、表面には出てこないので、推定するしかない。次回にそれについて書いてみよう。

意気込みだけでなくスジを通した説明をして国民の合意を。

2010-12-14 | 環境問題
日本の産業界の言い分は、グリーン産業はまだ未成熟の技術である、としている。
CO2削減目標を高めに国際公約すると、割高な削減策におカネを使わざるを得なくなる。
それによって、コスト高の製品で国際競争に臨むことになって、不公平な競争を強いられる。
この理屈を、1997年の京都議定書を締約してきた時期から、ずっと言い続けている。
だから日本の産業界は割高と思われるグリーン産業技術には、最小限の投資しかしてこなかった。

割安になる技術は、手近な省エネルギー関連の技術であり、設備の更新時には省エネ投資を実行して、エネルギー費用の経費削減に邁進してきた。
その成果は出ているので、生産コストは下がっている企業も多い。
しかし、同時に働く人の人件費も大幅に削減した為に、国内消費の減退を招き、2000年以降のデフレ対策において実効性が上がらないで、経済の停滞においては先進国の中でも著しい。

ここでもう一度、「温室効果ガスの削減費用が日本は割高である」という通説を、洗い直して見る必要がある。
前回に【削減費用】(円/tCO2)についての中身を引用したが、ここで、【年価に換算する係数】についての疑問点を挙げた。
経済産業省が使う数値、「使用年数」(その設備、機械を使う平均年数)を、短めに想定している事実である。
この数値が、「実際の使用年数」よりも短い事は、明らかであるが、その理由の説明はない。

麻生内閣当時の政府(経済産業省)は、短めの年数を使うことを当然として、温室効果ガスの削減に要する費用、【削減費用】(円/tCO2)を計算して、それを根拠に、日本の削減目標設定の基礎数値とした。
この数値で、2020年までに25%削減を実行する場合には、平均の【削減費用】(円/tCO2)は、『3万2100円/tCO2 』になるとしている。

この数値をもって、日本が25%削減目標を掲げることは、割高な削減費用を使うことになるので、目標数値は低めにすることが、日本の国益になるとした。
その結果、麻生内閣は、「1990年比で8%削減」が日本の目標としては妥当である、との政策決定をした。
これが世界からは、日本は積極的な取り組みを回避しようとしているとの批判を受けることになってしまった。
国民からも、麻生内閣、自民党政権のやる気の無さに愛想を尽かして、実力の方は未知数だが、
意気込みだけは魅力的に見える「民主党に政権交代」をさせることを選択した。

民主党のマニフェストには、「温室効果ガスの2020年削減目標は25%」と謳っている。
2009年9月に発足した鳩山政権は、威勢よく、この公約を国連本部の演説で打ち出している。

しかし、25%削減に必要な平均【削減費用】(円/tCO2)は、不透明なままになっていた。
今回、新政権のもとで進められてきた、数値の見直しがやっと公表された。(以下、次回)

日本の高い志は公平性という凡人の発想によって挫折したか?

2010-12-13 | 環境問題
地球気候変動対策において、全世界が同じ目標に向かって「温室効果ガスの排出削減」を実施することに合意した。
日本はその行動において、世界最先端の「環境、省エネ技術」を駆使して模範となる行動を実践すべきである。

昨年の鳩山内閣が、国連において、「2020年までに1990年比で25%削減を目標に取り組む」と宣言した時には、多くの国から賞賛と期待が込められた声が上がった。
しかし、前提条件とした「世界の主要国(アメリカや中国、インド、ブラジル)を巻き込んだ公平な削減目標を引き出した場合」は、今や望むべくもない状況に陥っている。

つまり、日本の高い理想の目標は、よそが一緒にやる場合に限ってのこととしている。
「よそがやらない場合は、うちもやらない」では、当たり前のことで賞賛も期待もされない。
その反動もあって、今回の国連の[COP16]では、終始、悪玉国家の役割を演じる事になってしまった。
その言い分は、アメリカ、中国が参加しない「気候変動対策条約は、無意味である」という正論であるが、イメージとしては抵抗勢力とみられる。

日本の言い分は、高い削減目標を掲げると、割高な削減策にもおカネを投じることになって、経済成長の足かせになる。という、従来の経済論理である。
しかし、ここでもう一度、それが本当なのか、根幹の部分を洗い直してみるべきである。

麻生内閣のときに、削減に要する技術手段を細部に渡り検討し、【削減費用と削減量】を洗いだしている。
【削減費用】(円/tCO2)=【対策費用】(円/年)÷【GHG削減量】(tCO2/年)
(GHGは、温室効果ガス。CO2とフロンなどの6ガス)
ここで、問題は【対策費用】(円/年)についてである。
【対策費用】(円/年)=「追加的投資費用」×【年価に換算する係数】+「維持管理費用」-「エネルギー費用の節約額」

ここで、【年価に換算する係数】という見慣れないモノが使われている。
つまり、省エネルギー設備を購入した場合に、その使用年数を何年に想定するかで、この係数が変わり、【対策費用】(円/年)は、大きく変わってしまう。
自民党政権のときは、産業界に配慮して、この「使用年数」を3年~9年に想定した。
しかし、実際に導入した設備は、12年~15年は使用するのが実態である。

家庭用の設備(冷蔵庫、エアコンなど)を購入した場合の使用年数は3年としている。
しかし、普通の家庭であれば、少なくとも8年は使用するのが実態である。
この想定年数の違いにより、何が結果として出てくるか。
【対策費用】(円/年)の数値が、高い金額となってでてくる。
これがどう影響するか、もう少し立ち入って書いてみよう。(以下、次回)

国内政治の面で国際交渉におけるカンクン合意を重視して進めよ。

2010-12-12 | 国創り政治問題
メキシコ・カンクンで開かれていた国連気候変動枠組み条約締約国会議[COP16]が、新たな対策の骨格を「カンクン合意」として採択した。
主要な各新聞には、トップ記事で扱われているので、読者諸氏は、すでに内容をご存じだと思います。
アメリカや中国、インドなどの、削減義務を負っていない国にも、一定の削減を初めて求める内容で、主要排出国が参加する新しい国際体制の始まりである。

削減目標の数値が甘い上に、法的拘束力がないということで、批判する国や勢力が多くあるが、その様なナイモノねだり的な不満は残してでも、一歩前に進んだことは確かである。
長年に渡って、地球気候変動問題に取り組んできた「国際NGO」のメンバーからは、ここ5年の間でもっとも成果のある決議が出された、として大きく評価している。

京都議定書の延長を求める途上国やEUの域内事情優先の思惑から、日本に大きな負担のかかる
圧力が会議の前からでて、日本は苦しい立場に立たされる場面があった。
しかし会議の冒頭において、日本の姿勢を鮮明にした演説によって、大きな批判を受けたが、これがかえって、今回の妥結に貢献したと言える。
姿勢をあいまいにしたまま、国際会議に臨むのが常であった日本の、いつにない強硬な毅然とした態度は、会議の進展に危機感をもたらし、妥結を図る必要性を植え付けた。

また、議長国のメキシコ外務大臣は、前回の失敗(一部の主要国だけで、採択案を秘密会議で作り上げて提示したことで、多くの国が反発した。)を繰り返さない様に、各国の意向を丁寧に、かつ透明性のある会議だけに絞って、合意できる接点を詰めて行った。
これが最後には、納得できる進め方の上で、各国の妥協策を引き出すことに成功した。

これから得られる教訓を繰り返すと
「譲れない線を明確に相手に伝えること。態度をあいまいにして駆け引きと思われる愚はしない。」
「妥協できる線を、着実に言い分を引き出し、透明な場での折衝に限って丁寧に実行する。」
「最終的には、権限を使って毅然とした姿勢で裁断する。」
これが、[COP16]の採択決議を生み出した土壌である。

【カンクン合意】は、今後の国際政治、経済の場面で大きな影響が出てくるであろう。
来年の[COP17](南アフリカ)までに、日本政府のやるべき事は山積みにある。

日本の「菅君」は、あらゆる課題で態度をあいまいにし、秘密裏な裏舞台での折衝を続けて、
双方に不信感を持たれて不満だらけの状態になっている。
民主党の公約である「温暖化対策基本法案」は、前鳩山内閣のときに衆議院で可決している。
何をモタモタと9カ月もタナザラシにしているのか、毅然とした態度に欠けること著しい。

大きすぎることは混乱を招く。「規制のある自由」を目指すべき。

2010-12-11 | 国創り政治問題
規模の拡大という方向は20世紀社会が目指す、ひとつの手段であり、モノやおカネの面でグローバル化を目指すとして、1990年以降の潮流となってきた。
しかし、大量に出回る事が、自由になりすぎると、弊害をもたらすことも明らかになった。

「大きいことはいいことだ!」は、一時期の流行語の様にはやったが、これからの多様性を価値とする社会と文化においては、適切な大きさ、規模、範囲を対象とした「規制のある自由」を創造していく必要がある。

いきなり【規制のある自由】と言いだしても、何のことやら解りかねるでしょうが、事例を挙げて説明していきたい。

今、気候変動枠組み条約の会議[COP16]において、日本は孤立化しながらも日本の国益として断固とした姿勢を貫いた。と報道されている。
これは詳細は後日に書いていくが、国益同士のぶつかりあいで、国際条約としては合意ができる解決策、妥協策ができない状態になり、来年の会議[COP17]に先送りされる事になった。
しかし、その中でも課題を限定した場合には、合意に達する事も出来る。
下記にその報道内容を引用する。

国際線のCO2排出を削減へ COP16に報告  2010/12/09 09:55 【共同通信】
 【カンクン(メキシコ)共同】増加傾向が続く国際線航空機からの二酸化炭素(CO2)排出について、国連の国際民間航空機関(ICAO)は8日まで に、燃費規制の導入などで排出量を2020年レベルで頭打ちにするとの削減 計画をまとめ、メキシコで開かれている気候変動枠組み条約第16回締約国会議(COP16)に報告した。
 国境を越えた移動による排出は国の責任が不明確なため、先進国の温室効果ガス削減目標を定めた京都議定書の規制対象外となっている。
一つの産業分野で世界共通の削減目標ができるのは初のケースで、議定書に定めのない13年以降の国際枠組み交渉を後押しする効果も期待できそうだ。

以上の様に、国際線航空機の分野に限定すれば、多くの国の利害が相反する状況が緩和され、お互いの利益になる合意点ができる課題の実例である。

国連は世界政府ではないし、そこに枠組みを限定する必要もない。
さらに、気候変動問題という大きな対策を必要とする分野において、さらに対象を絞った課題を合意していくやり方が、これからの時代には必要になっている。

国際航空というひとつの産業分野を、「二酸化炭素(CO2)排出抑制」という規制を懸けて、
その範囲で自由な経営とサービスを競うことになる。
これが【規制のある自由】の事例になっていく。(以下、次回)


マスメディア自ら【KM】に邁進する大風呂敷を論じるべき。

2010-12-10 | 国創り政治問題
このブログの12月1日から9日に渡って、地域主権と国がやるべき役割について、多くの問題が放置されている状況を書いてきた。
期せずして、朝日新聞の12月10日の社説は「地域主権改革:大風呂敷をたたむな」である。
論旨は「ひも付き補助金を廃止して、一括交付金化する制度づくり」と、「国の出先機関改革の具体案づくり」に早急に取り組め!という主張である。

この取り組みを3月の社説で、地域主権改革について「大風呂敷を歓迎する」と書いて、民主主義そのもの改革として位置づけ、中央集権型の「分配と依存の政治」から抜け出そうとする姿勢を応援する意味を込めていた。
ところが、鳩山政権のだらしない終焉と、菅内閣のふがいなさに、業を煮やしたことで、再び「大風呂敷」を進めよとの提言である。

この方向はおおいに歓迎するべきであるが、3月に言った事を実行しない政治家のだらしなさは当然、批判されるが、マスメディアの代表である大新聞が、地域主権改革の停滞に久しぶりの論陣を張るのは9か月振りというのは、いかにも危機感の欠如があるのではないか。
この様な重大な国家的課題があるのに、大した問題でないことばかりに目を奪われて、読者受けする記事や話題に大きな紙面を割いている。
現代のマスメディアの問題も、今後の大きな課題である。

政治家と官僚のだらしなさを言うならば、まず自分の領域、「報道、論説の分野」でもっと意識改革をしてもらいたいものである。
こちらは、個人ブログという。『ナノメディア』であるので、こだわって「地域主権改革」をどう進めるか、どうして進まないのか、をあらゆる視点から書いてきたが、解っていただける人の範囲は限定的になってしまう。

愚痴を言っても始まらないから、関心を持ち続け(KM)、考え方を揉み(KM)、改革の芽を産みだす(KM)事を目指して、書いている夢想者となるばかりである。

幸いなことに、地域の一部では国に頼ることは止めて、地域のことを自分たちの責任で実施できることを取組始めている。
大阪府の橋本知事と名古屋市の河村市長は、「大阪都・中京都」の構想を打ち上げて、3割自治の下請け行政から抜け出し、2重行政の無駄を徹底排除して、中央集権、主都東京の一局集中を変えていくキッカケづくりに動き出している。

その一方で、民主党政権はハローワークの仕事を国の管轄下に置こうとしている。
地域でやる方がはるかに効率的な仕事を、国がやりたがるのは、もっと難しい「新産業の創出・育成」などの重要課題に失敗し続けているので、できるだけ易しい仕事を自分のところにおいて置きたいだけである。
いかにも風呂敷の小さい政治家、中央官僚のやりたがる権限を守る姿勢に徹している。


日本の中央政府は本来やるべき事をせずに安易なことに専念。

2010-12-09 | 交通問題・自動車
日本の将来の産業を担う新技術の開発が、このところ停滞し始めて、新興国の台頭、特に中国の追い上げと大胆な挑戦に脅かされている。
中国では、広大な国土をカバーできる新高速鉄道の建設がすごい勢いで進んで、今では世界最長の高速鉄道網が実現している。
その勢いを背景にして、北京で世界高速鉄道大会を開催し、各国の政府や鉄道事業の関係者を集め、将来の輸出産業として育成する姿勢を鮮明にしている。

日本は鉄道が下火になりかかった時期に、果敢に新幹線技術に挑戦して、当時としては世界最速の210km/hの営業運転を実現した。
この技術により、日本の東海ベルト地帯の産業活性化に多大に貢献し、さらに、今では北海道から九州鹿児島までを結ぶ大動脈が完成に近づいている。

同時に、万年赤字体質の国鉄改革を進め、各地域の根差した鉄道網のレベル向上を、分割民営化の各社が競って、技術とサービスを向上させてきた。

これは、分割民営化の成功面であるが、一方では高速鉄道の進化において、JR東海の様に、東海道新幹線の代替策、次世代路線の開発には、大きなリスクを抱える研究に勢いを削がれている。

本来は、次世代の高速交通手段を、国の総力を挙げて挑戦する課題であるが、一時期の流行的な技術である『リニアモーター鉄道』の技術開発にのめり込んでしまい、いたずらに研究開発費と時間を浪費している。

一方の中国では、20005年に高速鉄道の建設を始めてから、わずか5年間で7500kmを超えて、2020年までには、1万6千kmに達する計画である。
一部の路線では、営業運転速度を350 km/hを目指している。
さらに、日本の東北新幹線の技術を土台に、中国の技術者で開発した試験車両で486 km/hを実現し、将来には最高速度600 km/hを目指して研究を重ねている。

ところが日本では、車輪方式による鉄道では450 km/h程度が限度である、との技術者の理屈を鵜呑みにして、500 km/h以上を目指す東京―名古屋間の新路線を、リニアモーター式列車にすることに限定をしてしまった。
このリニアモーター方式は、大変にエネルギー効率が悪く、しかも、路線の建設費用は膨大にかさむ。
いまは、東京―名古屋間以外の計画は一切ない状態で、JR東海のみが、研究開発の責任を負わされて、体力に見合った資金を投じて感発を続行中である。

しかし、この状態では完成した時期には、とっくに中国の高速鉄道方式にあらゆる面で、負けてしまう新鉄道になり、将来の輸出産業になる技術革新には、何も結びつかない。

つまり、責任を持つべき国土交通省、または、文部科学省は、何もしない事で、みすみす、日本のお家芸である、高速鉄道産業を衰退させてしまう政策をとっているのである。(以下、次回)

全政党が地域社会の疲弊を憂いながら、何もできないのは? 

2010-12-08 | 国創り政治問題
過度の中央集権制度が日本の地域社会の疲弊を招き、無駄な公共事業の乱立に突き進んでしまったことは、今や自明のことである。
それに対する政策として、自民党政権時代には、「地方分権」と称して、小泉内閣の「三位一体改革」などが行われたが、内容が全く不備で地域はさらに困窮した。
それに対応する形で、民主党は政権交代の目玉政策として、わざわざ「地域主権」と言いなおして、もっと積極的に地域の活性化を図る姿勢を打ち出してきた。

しかし、いざ政権をとって見ると、小泉内閣以下の具体策しか実施できていない。
この様な二大政党の主要政策が、看板と中身の違いが鮮明であるのに、マスメデヂィアは、報道も解説も批判もしていない。
第3勢力を結集しようとしている「みんなの党」は、『脱官僚と地域主権による成長』を主要政策にあげている。
「国レベルの最適基準の必要性を精査し、真に必要性が認められた場合を除き、すべての規制制度を廃止または地方移管する。」
この様に、日本の全政党が地域社会に権限と責任を移管する方向に政策を打ち出し、国民の大多数が賛同しているのに、なぜか少しも動かない。

これは、集中することが効率を高めるという20世紀のやり方に、考えが凝り固まっているからである。
国土環境や地域の気候、地域の文化や特産品など、独自の条件に沿った進め方と判断を任せることこそが、地域の自立的意識を高めていく。
なんでも集中管理、統制することの弊害の方が、21世紀には問題になって来ている。

では、中央の政府で集権的に進めなければならない課題は、何であろうか。
国土交通省関連と農林水産省の役割の大半は、地域主権に移管した方が活性化に貢献するはずである。
このブログで書いてきた様に、『中央集権事業移管仕分け』を実施して、実効性の期待が高いモノから段階的に移管していく「地域主権国家への転換戦略」実行組織を創る必要がある。
そのために、「民主党政権は、国家戦略室を創設」した筈であるが、何のことはない、単なる首相の諮問機関になり下がった。
今では民主党の族議員の要求を交通整理する役割で、政権に対するガス抜きの役に陥っている。

地域主権に当たって、分割民営化の路線での成功事例、『国鉄改革』について、良い点を学び、不足している課題や問題点解決を実施し、進め方のモデルとするべきである。
「農業政策のレベル向上と競争力アップ」「国土保全と森林・林業の活性化」など、農水省の課題も、地域社会に主権を移すことを真剣に取り組む段階である。

そして中央の官庁は、真に国家として必要な先端の課題に、戦略的な取り組みをする責任組織に生まれ変わるべきである。
そうしないと中国などの新興国に、あらゆる分野で抜き去られるであろう。(以下、次回)

無駄な公共工事の愚策を止められない霞が関の病根。

2010-12-07 | 国創り政治問題
本日のトップニュースには、無駄な公共事業の象徴として、自民党政権の土木工事優先主義、
【諫早湾干拓事業】に対する高栽判決が出された。
有明海の漁業に対する悪影響を認め、今後の5年間を「潮受け堤防」(俗称:ギロチン)を開門して、潮流を自然にもどして、海産物の回復を調査することになる。

現首相の菅直人は、野党時代にこの公共事業の無駄と害悪について、自民党政治を批判する先頭に立っていた。
今度は、国の敗訴を受けて、幕引きを負う役割となったので、ここでふらつくようでは、首相の資格は全くない。

ところで、この事業は今までに2500億円もの税金を投入してきている。
それによって、失われた漁業資源の損失は、いったい、どれほどになるのか、検討して公表して欲しいモノである。
得られた新規の農地は、700haにすぎず、耕作物はジャガイモや玉ねぎなど、他の土地でも大量に栽培できる種類である。
日本全国に広まる、耕作放棄地や休耕田を利用して作れば、代替はいくらでもできる。

いったい、何を得ようとして、この膨大な無駄な公共事業を強引に進めようとしてきたのか、理解に苦しむ。

1989年に着工した事業であるが、当時から日本のコメ余りにより休耕田政策が始まっていた。
農地が不足するから、干拓事業が国としては、ぜひとも必要との理由はなくなっていた。
しかし、現地から程遠い霞が関の役所では、国土交通省(当時は建設省)と張り合って、バブル時代の予算をとり合い、何かと理由を作り上げて大型の公共工事を手掛けたい、「農林省」の官僚の意地があった。

公共工事を地元に持ってきたい、農林族議員と結託した結果が、自然環境を破壊する危険性のある、大型の干拓工事の愚策である。
バブル崩壊後の国庫の悪化と、耕作放棄地の激増により、1997年には工事を止めるチャンスがあった。
潮受け堤防の閉め切り工事、ギロチンの執行(293枚の鋼板が次々に海に落とされた)が行われて、20世紀の愚策が、後世におぞましい映像として残された。

誰にも、愚かな行為と解って来た段階でも、大型公共工事が止められない。
これが日本の活力を削ぎ、経済の停滞、地域の疲弊を増進している原因と同じところにある。
つまり、「過度の中央集権による硬直化」による現代病、日本病と言えるかもしれない。

この病気を治す治療法としては、病気のもとである脳死省、いや「農水省」の解体である。
中央でなければできないこと以外は、すべての権限と予算を地域社会、この場合は、有明湾沿岸の各県に移管することである。
出来れば、九州を一国とした九州州の地域主権に転換する。(以下、次回)

日本の優秀な官僚の意欲を引き出し能力を存分に発揮させる。 

2010-12-06 | 国創り政治問題
ここ数回に渡って「インフラ整備の課題と競争力」に関連することを書いてきた。
私の提案は、国鉄の分割民営化による鉄道の復権を、真摯に分析して、その成功した要因を他のインフラ整備とレベル向上に反映することが、日本全体の再活性化につながると考える。
その具体例として、優秀な官僚を、日本全体を覆う計画する責務から解放し、地域に根差した分権を進めて、適切な国土の領域と人口規模の『道州レベルの戦略的展開』の責務を負う自治体に張り付けて、存分に活躍してもらうようにすることである。

日本全体ではなく、分割した自立的な自治州に任せるとなぜ、活性化が進むのか。
これには、日本の専門家やマスメディアのジャーナリストは、理解している人が少ないので、日本の基本政策としての優先度が低くなっている。
何かと言うと、中央政府が何とかしろとか、責任があると、批判するばかりである。

一言でいえば、何でも中央に頼る、「お上崇拝思想」が日本中にはびこってしまったからである。
確かに、外交問題、防衛、食料、エネルギー、資源の自給率向上による安全保障など、国が総力を傾注して、取り組まなければ世界から立ち遅れる分野は、地方分権は適さない。
しかし、国土の保全、森林&林業、農業などの分野で、何でも国が関与して取り仕切ることは、既に硬直化してしまって、非効率きわまりない。

この様な分野から、地域特有の条件に沿った、自立的な目標を独自に設定して、「お上が言うからとりあえず従って、形だけはやっておこう」という、消極的、受け身的発想を止めて行く。
中央政府は、日本全体に共通する課題を、地域では無理、または、不都合が起きる課題だけに絞り込んでいく。
事業仕分けならぬ、「事業の権限と責任仕分け」を実施していくべきである。

日本全体を把握しながらの政策立案と実施を責められ続けてきた中央官僚の、優秀な人材を日本全国を10~15の道州レベルに分割した地域に栄転させて、戦略的に進める政策を立案、実施に権限と責任を持たせれば、思う存分に能力を発揮する機会が到来する。

中央で全体を見ながらの無難な統制的政策から、地域(道州)毎の、独創性のある政策立案が活発になるであろう。
しかし、10~15に分割した州の中では、政策立案の消化不足を起こす自治体も出るであろう。
その様な地域の要請がある場合には、中央の政治家、官僚が救済策を講じる、「自治体のセーフチィネット」を構築しておくことで、不利になる国民は公平に救う制度としておくべきである。
その救済策に必要な人材と予算を確保しておいて、あとはすべて『道州レベルの総合自治体』の
予算と権限、そして、中央の優秀な人材を移転する「地域主権改革」を実施する。

今、中央で政治主導などと能力のない政治家に翻弄されて、エネルギーを浪費しているよりも、地域に骨をうずめる覚悟で、存分の能力を発揮する方が、官僚の道を選んだ人材の活性化につながることは間違いない。
国鉄の分割民営化の成功面を真摯に学び、日本全体を有意義な競争(協創)社会に転換する。

日本の技術力は世界の一流だが、国際競争力は別次元の問題だ。

2010-12-05 | 国創り政治問題
国内のインフラ整備について、国土交通省が全国の空港整備と国内路線の認可権限で取り仕切った20年間は、失敗の連続であった。
赤字空港の乱立を引き起こし、空港利用料のレベルは世界最悪である。
それに引きずられて、半国営体質に染まった日本航空[JAL]は、大きな負債を抱えて倒産してしまった。

一方で、万年赤字の体質となってしまった国鉄を、分割民営化した「JR7社」は、経済活性化に貢献したと言えるであろう。
JR四国、北海道など人口の少ない地域での経営は難題だが、よく頑張っている。
JR東、JR西、JR東海の3社は、分割民営化後の技術革新と経営刷新によって、経営は黒字に転換し、民営化以後は運賃の値上げはしないで、利用者へのサービスは大幅に向上している。
この技術とシステムは、お互いの競争意欲もあって、世界の最先端レベルに達している。
これからの課題は幹線鉄道だけでなく、地域社会を結ぶ地方路線をいかにして、サービス向上と黒字化を果たしていくかで、この面でのよい意味での競争を期待したい。

ところで、日本の優れたインフラ技術を海外に展開する動きが活発になっている。
しかし、本日の朝日新聞(朝刊6面)には、価格面などで、国際競争には不利な状況がカベになっていると報道された。

インドの「デリー・ムンバイ産業大動脈構想」の推進に日本が協力し、その周辺の工業団地や道路、港などを整備する、総額7兆4千億円の事業で、日本のコンサル企業が入札したプランが、次々に敗北している、という。
日本の企業の技術はどこにも負けないが、総合すると、価格が高すぎる事が欠点に浮かび上がり、
事業の実施面でノウハウの立ち遅れが、不利となっている。

インド政府は民間資金を活用した【PPP】(公民連携)方式を採用する方針だが、日本では実施例が少なく、成功例がほとんどない。
この様に、土木工事産業は、長い間の中央集権体制と、地域自治体の弱体(3割自治といわれる)の体制に浸かりきって、談合体質と官民癒着によって、価格競争力と開発推進の効率化において、世界の水準から、大きく遅れてしまっている。

日本の政権はインフラ輸出に力を入れると言っているが、この様な実力では成功はおぼつかない。
それには、まず国内でのインフラ整備の効率性を、地域主権、道州制の導入と併せて、戦略的に向上していく事が先決である。

【PFI】(公設民営)方式、【PPP】と言っても、理解している市の職員、県レベルの職員はどれほどいるのか、はなはだ心もとない。

中央官僚が道州の職員に転換して、地域主権の中枢を握って運営することで経験を積みあげる。
その官僚と民間のインフラ事業者の間で、良い意味での協創関係をつくりだすことによって、日本のインフラ事業の国際競争力が大幅に向上するであろう。
「まずは地域主権から始めよ!」

地域社会の空港の民営化を国鉄の分割民営化の実績に学べ。

2010-12-04 | 交通問題・自動車
地域社会の活性化が日本の再生には不可欠であることは、誰にも異論はない。
問題はその進め方において、相変わらずの中央集権思想がはびこっていることである。
地域の国土における治山治水は、権限と責任を地域に任せて、できれば道州レベルでの自主的な長期計画を基本として進める制度を提示した。

また、地域経済と暮らしの基本となる交通体系の長期計画も、地域自治体の協議を通じて、効率的な交通網を優先度を決めて、着実な実施を積み重ねていくべきである。
鉄道と自動車道路、生活道路(自転車、歩行者)のレベルの向上を、地域の主導で活発にしていくことで、地域社会を創りだす公益活動の充実も期待できる。
ところが、相変わらずの中央集権至上主義に凝り固まった中央官僚とそれに担がれている政治家は、なんでも問題があると、霞が関と永田町の場で権限を振り回したくなるようだ。

国が管理している空港について、大半が赤字である問題を、またまた、国土交通省が取り仕切って「民営化のあり方を議論する検討委員会」を発足させて、初会合を開いたと12月4日に報道された。
全国の各県にひとつの空港を造るという、おかしな空港政策の結果、2007年の「連結収支」で黒字の空港は、わずか7空港のとどまり、大半は赤字で国の税金を投入している。

この赤字の原因には、空港に敷設するターミナルビルや駐車場の経営を、国土交通省の天下り団体に委託して、そちらの営業を有利にして黒字分をあまくだり役員が高給をとっていた、などの不条理な経営実態が明らかにされた。
これを関連事業なども一体にしての運営で採算を改善する狙いで始めた「空港政策」転換ではあるが、その程度の改革では、赤字空港はかなり残ってしまう。

すべての空港とは言わないが、ほとんどの空港の運営と改善の権限を、地域自治体、それも県では規模を小さいので、道州単位での再建計画を立てる体制に転換すべきであろう。
羽田と成田などの国の政策としての一貫性が必要なハブ空港は国土交通省の責任として、それにエネルギーを集中させるべきである。
地方空港は地域社会の長期的な交通網計画(鉄道と道路)と連携する様に、空港の利用価値を州単位の総合的な観点に立って、改革案を決定して税源を投入し、レベルを大幅に向上させる。

鉄道網を国鉄に統一した戦前から戦後にかけての時期に、運営も技術も硬直化して、大幅な赤字の累積を重ねた国鉄を、民営化によって改革した歴史を見直して、参考にすべきである。
この国鉄問題において、分割民営化の路線を決断して、政治が主導したことは記憶しているであろう。
要するに官僚が中央で統制する計画を立てて、権限を行使する時代はトウの昔に終わっている。
空港関連の整備とレベルアップ、旅客に対するサービス向上は、官庁の役割にはそぐわない事は、もはや明確である。
「民営化のあり方を議論する検討委員会」は政治主導で地域主権の公約に沿って、分割(道州単位)して、州レベルの総智を結集し、改革の中身と進め方を競うことが地域の活性化になる。

地域主権を進めるためには中央の権限の仕分け作業が必要。

2010-12-03 | 国創り政治問題
昨年の総選挙で民主党は政権交代を高らかに掲げて、5原則を打ち出した。
その主要な原則には、「中央集権から地域主権へ」として、「政権党が責任を持つ政治家主導の政治へ」と明確にしている。
しかし、1年と3カ月がたっているのに、未だに地域へ主権を持たせる政策の具体案は、一向に提示されていない。

一端、権力を持って政治の要に座ると、中央官僚の中で祭り上げられて、あらゆる権限を手放すのは惜しくなってしまうのであろうか。
国家レベルでやるべき事は、最優先で取り組む必要があるが、地域の自立的な権限の移管した方が良いことまでも、手元に留めておきたくなるようだ。

しかし、これでは今までの官僚主導の硬直的な政策ばかりになって、地域の活性化は停滞してしまう。
地域によっては、知事を先頭にして早く権限を移管する様に迫る動きも始まっている。
このブログでも、2009年9月1日2日、5日、6日には、地域主権の進め方を書いた。
民主党の取り組む課題の第一優先には、地域に権限を移管して自治体の自主的な活性化努力を引き出す事であるとした。

地域で出来ることは地域に任せる。
これをやらないで、中央の政治家と官僚がいつまでも、自分の仕事に抱え込んでいるから、地域は活性化しないし人材は育たない。

どうも、民主党の政治家は、まだ地方自治体のことを手掛けている方が、気持ちが楽になるようである。
国政レベルでの難題は、未熟な政治家の手には余るようで、あちらを立てれば、こちらが立たずの連続で、迷走ばかりしている。
マスメディアからはボロクロにたたかれて、具体的な政策立案を、すべて官僚の筋書きで進めるしかなくなっている。
難しい問題に直面した場合、もう少し手に届き易い課題に取り組みたくなるのが人間のサガである。
中央の政治家が口を出す必要のない課題に取り組んで、自分の存在感を示したくなる。
現在、民主党が進めていることは、半分以上が地域に任せる方が効率的である課題ばかりである。

民主党は「国民の生活が第一」との観点で、官僚のムダ使いを洗い出す「事業仕分け」の作業を大々的に実施した。

これからは、中央官庁での仕事にする必要のない課題を、どしどし仕分けをして、中央官僚を地域に移していく結論をだす『中央集権事業移管仕分け』を実行する段階にきている。(以下、次回)

国造りの基本に地域の活性化と自立を目指す道州制を据える。

2010-12-02 | 国創り政治問題
地域主権を主張する政権党の公約は、この一年以上の間、タナザラシ同然になっている。
地方経済の停滞を転換して、活力ある事業を次々に興していくためには、やる気のある地域に財源と自主決定権を移管して、付加価値を生み出す事業や製品を創出してもらうことが必須である。

しかし、相変わらずの中央官庁からの指令を金科玉条の様に重視する風潮は、未だに全国に蔓延している。
地方自治体の大半は、「中央の指示待ち」の習慣に染まって、財源をもらうには中央官庁詣でが不可欠と思い込んでいる。
この様な時間の浪費は地域の為には一切ならないことは明白である。

住民に接する行政サービスは、市町レベルの基礎自治体が責任を持って担当して、住民に対する満足度を最大にするように努力する。
しかし、新たな製品を創りだしたり新事業を育成するには、市レベルの人材と財源では難しい面がある。
そこで、その役割を県単位で実施してきたが、これでは県をまたいでの広域的な事業は興しにくい。
やはり、自民党政権時代に提唱されて検討が進められていた『道州制』のレベルの、戦略的な展開が可能になる大型の自治体組織が必要になってくる。

北海道、九州、四国がひとつの広域自治体になる必然性は、議論の余地がないほど明確になっている。
この3地域だけでも、早々に道州制に移行する具体策を議論の俎上に載せるべきであろう。

例えば、鉄道の計画でいえば、ひとつの国と考えて、道路との連携をどのようにするかを、道州単位で検討する必要がある。
これを、はるかに離れた中央の国土交通省で、権限を握っていることに停滞に原因がある。
また、国土の保全と治山治水、それに森林の保全、林業再生などは、気候の違いを良く検討して、長期の計画を立案する必要がある。
これを東京の霞が関にいる官庁が、権益を保持している事自体が、不適切な政策を長年に渡って続けてしまった原因となっている。
北海道の自立的な長期計画を立案する権限と責任を早々に移管するべきであろう。

本日の朝刊には、参議院選挙の1票の格差を是正する為の方策として、全国を11ブロックに分けての選挙区制に転換する案が民主党から提示された。
しかし、選挙区の問題から入るのは、間違いの元になる。
やはり、地域の活性化と自立を、どのように図っていくかの視点で、ブロックに権限を移管する考え方をベースにおくべきである。(以下、次回)