庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

意識転換は呼び方から変える。議員は「先生」ではない。

2010-02-27 | 国語・日本語・漢字
日本は大きな意識の転換を必要としている時期である。
どのような意識を捨て、これから必要としていく感覚は、まだ多くの人には見えていない。
大きな問題はすぐには変われないであろうが、身近なことは、意識さえ変えればすぐにでも実行できることが多い。
自分が使う言葉から、この実行をしてみてはどうか。

以前のブログで(2009年7月14日)、政権交代の前ではあるが、国会中継やニュース報道のなかで、議員のことを「先生」と呼んでいる場面が多いことに、違和感を感じたので、
「これからは議員を先生と呼ばない。」という趣旨のことをかいた。
小さなことではあるが、このようなことからも意識の転換を図ったらどうかと言う趣旨である。
これが、議員の中にも実践している人がいることが解り、やはり少しが時代の流れの意識転換が進んでいると実感した。

本日の朝日新聞、(朝刊4面)のコラム欄での記事を引用しよう。
枝野幸男行政刷新相は会見で、記者団に要請したという。
「議員として『先生』と呼ばないでとお願いしてきた。皆さんは『大臣』と呼ばないでほしい。不自然な慣習には乗っからなくてもいい」と述べた。
枝野氏は閣僚就任前も地元の会合などで、「先生」と呼ばれると「 『先生』ではないので『枝野さん』でお願いします」とその場で訂正を求めてきた。
「国民目線」を重視する枝野氏としては、「大臣」と呼ばれる事で、特別扱いされないよう、自ら戒める意味もあるようだ。
行政刷新会議などの周辺のスタッフにも同様のことを求めており、「枝野流」を徐々に浸透させたい考えだ。

枝野氏は、大臣と言う役割を国民目線で実行しようという意識を重視している。
日本の経済の停滞や活力の減退は、官僚による支配体制がながく続いたことに大きな原因がある。
その官僚も長期の日本を置き去りにした、「省益、局益重視」の時代遅れの政策に固執して、
世界の流れの変化から大きく取り残されている。
国民からは、政治家の力でこれを打開して転換して欲しいという、意識が芽生えていた。
しかし、自民党政権は政治家になれば「先生」と呼ばせて特権意識をもち、当選、5回から6回に達すれば、能力いかんにかかわらず、『大臣』の役職を与えて、一時的な名誉職のような経歴で、箔をつける政治家の養成を繰り返してきた。

まさに、官僚支配の内閣、官僚統治の政治立国であって、政治不在が長く続いた。
国民が選んだ政治家が、中長期の日本のあり方をブレーンと一緒に賢い選択をして、国民の目に正確に伝えて、その実行の信を問うのが、国民の望むあり方である。
その結果が政権選択となり、適任者が国民の代表として行政の責任者である「大臣」と言う役職を真剣勝負でまっとうする。
官僚に祭り上げられた『メクラサイン大臣』などは、百害あって一理なし。
議員を『先生』と呼ばない意識転換をしたその先には、『大臣』と呼ぶのも変える時期が来たようだ。