庵KM

技術屋OBの環境問題独り言

経済問題。交通問題。健康問題。そして、日本の国創り問題。快適社会問題。

1990年からの20年間の発想を転換することが必須。

2010-02-15 | 経済問題
1990年代のバブル崩壊後の経済停滞期に、価格破壊という潮流が一世を風靡した。
高止まりをしていた物価を、海外製品に切り替えたりしてコストダウンを図って、消費者に販売する価格を引き下げてきた。
これは消費者の味方が出現した神風のようにマスコミは採りあげて、正義の行動であると持て囃してきた。
今はこの流れが止まらずに価格破壊の言葉も地下に沈みこみ、価格の低下はデフレ経済の象徴として、ナントカ物価の安定か上昇を目指そうと必死である。

同じころに経済の停滞の原因として、規制に守られた既得権業界や競争的な市場にさらされない商売がやり玉にあがり、規制緩和、構造改革をすべきだと、大きな声になっていた。
金融業界がその代表であり、一律の銀行利率とか、新たな企業の参入を規制するややこしい制度に守られて、金融業界の非効率な経営が批判された。
これに対し、その時の政府は聖域なき規制緩和をして、金融業の効率化を図ることで、経済の活性化を図る方向に転じた。

ここまでは、要するに、市場競争原理主義に染まった、アメリカの要求に従っただけである。
確かな経済原則の検討もせずに、新自由主義という美名に惑わされた「似非経済学者」が輸入学問を各方面に吹聴して、それが正義であるかの様に広めたのである。
小泉構造改革内閣の方針は、これを徹底してやることで国民の大きな支持を得て、郵政民営化という象徴的な改革を実行した。
しかし、今になってそれがどのような意味を持っていたのか、マスコミも途方にくれている。

経済の停滞は、国民生活の維持に直結するとともに、将来に大きな不安を持つことになって、日本国民の性分からすると、節約志向に走ることは当然である。
バブル時代の様に、いたずらに消費は美徳の様に囃したてるのは論外だが、生活水準に見合った消費をしなければ、現代の経済はうまく回らない。
だから、今の政権は消費を増やすことに懸命になっているが、簡単には転換出来ない。

価格の低下は善。これは必ずしも正しくない。
規制緩和、撤廃。これも必ずしも正しくない。
消費節約は美徳。これも必ずしも正しくない。
1990年からの停滞期に学んだことは、いずれも節度をもったレベルが大事であるということ。

そこで、規制緩和の面でもう少し、具体的に考えてみよう。
既得権業界の利益を守る規制は、撤廃することが必要であり、新規の参入企業を促して、市場における競争を活用して、商品やサービスの向上を図ることは重要な経済活動である。
しかし、規制の中でも、安全性や環境保護の面の規制を緩めることは許されない。
むしろ、この面では規制を時代の変化や、世界情勢の中において、先進的なレベルに規制を強化することが、経済活動を活性化することに、気が付くべきである。
この事例は、だれでも知っている自動車の排気ガス規制が、その実例である。(以下、次回に)