当面の利益やメリットを求めて活動をするのは人の習性であり、組織を作って活動する団体においても、既得権や目先の利害にとらわれて活動する。
これを推し進めると、強者の論理や数の力を過信して、思わぬしっぺ返しを受ける。
従来は通用していた論理や既得権でも、時代とともに転換しなければならない。
これが、潔く出来るかどうかが問われるが、それは、「品格」と言うレベルの話になる。
抽象的な話では解りにくいが、個人的な話では、横綱の品格が問題となった事件で、なんとなく、イメージは湧くであろう。
団体レベルの品格となると、小から大まであるので、まず、大きいところから国家の品格を採りあげたい。
具体的には、調査捕鯨の問題がある。
これは、読者もご存じのことが多いと思うが、問題の中身を要約すると次のようになる。
クジラの生息数は、19世紀の欧米の捕鯨競争の結果、大幅に減って絶滅の危惧に近い種類も増えている。
国際的には、これを保護しようということで、商業捕鯨(利益追求目的の捕獲)を禁止した。
これに対し、日本はクジラの中でも生息数が多い種類は捕獲して、クジラの資源を人間の生活に利用するのは昔から進めてきた自然資源の持続的な活用だから、全面禁止には賛成できない。
クジラにまつわる生態系を調べ、生息数や分布などを把握するために調査が継続的に必要である。
だから、毎年、一定数のクジラを捕獲して調査を継続することが、世界の為にもなる。
これが、日本を始めとする捕鯨推進国の論理である。
一方、19世紀に取り放題の乱獲をして、絶滅の恐れを引き起こした欧米の反捕鯨団体は、過去のことは先祖がしでかした不始末ではあるが、これからは、クジラは天然の保護すべき動物であり、商業捕鯨はもちろん、調査の名を借りた捕鯨も禁止すべきだと主張している。
毎年、国際会議の場の場において激しく対立する論理で、激論と駆け引きを交わしてきた。
この過程で、日本は未だに天然の動物を商業目的に捕獲をしている、けしからん国である。という悪宣伝に利用される。
はなはだしい団体は、船舶による違法行為の妨害行動で、調査船の安全航行を脅かしている。
違法行為の実力行使は論外としても、調査捕鯨を継続するのは日本の水産庁と昔の南氷洋の水産事業で利益を上げてきた企業の、既得権利益の保守行動とみられている。
それでは反対派の論理に対抗できないし、いつかは敗北の憂き目に逢うであろう。
将来に捕鯨活動の目的や持続性を十分に検討したうえでの、世界に堂々と訴えることのできる論理を創り上げで、その過程としての本当の調査捕鯨に転換しなければ、いつまでも野蛮な捕鯨国の誹り(そしり)を受けてしまう。
水産庁を管轄する農水省は、やっと嘘の論理を続ける非に気が付き、この6月に行われる国際捕鯨委員会で、従来の方針を転換することにした。
少しは品格ある国に近づいた。(以下、次回)
これを推し進めると、強者の論理や数の力を過信して、思わぬしっぺ返しを受ける。
従来は通用していた論理や既得権でも、時代とともに転換しなければならない。
これが、潔く出来るかどうかが問われるが、それは、「品格」と言うレベルの話になる。
抽象的な話では解りにくいが、個人的な話では、横綱の品格が問題となった事件で、なんとなく、イメージは湧くであろう。
団体レベルの品格となると、小から大まであるので、まず、大きいところから国家の品格を採りあげたい。
具体的には、調査捕鯨の問題がある。
これは、読者もご存じのことが多いと思うが、問題の中身を要約すると次のようになる。
クジラの生息数は、19世紀の欧米の捕鯨競争の結果、大幅に減って絶滅の危惧に近い種類も増えている。
国際的には、これを保護しようということで、商業捕鯨(利益追求目的の捕獲)を禁止した。
これに対し、日本はクジラの中でも生息数が多い種類は捕獲して、クジラの資源を人間の生活に利用するのは昔から進めてきた自然資源の持続的な活用だから、全面禁止には賛成できない。
クジラにまつわる生態系を調べ、生息数や分布などを把握するために調査が継続的に必要である。
だから、毎年、一定数のクジラを捕獲して調査を継続することが、世界の為にもなる。
これが、日本を始めとする捕鯨推進国の論理である。
一方、19世紀に取り放題の乱獲をして、絶滅の恐れを引き起こした欧米の反捕鯨団体は、過去のことは先祖がしでかした不始末ではあるが、これからは、クジラは天然の保護すべき動物であり、商業捕鯨はもちろん、調査の名を借りた捕鯨も禁止すべきだと主張している。
毎年、国際会議の場の場において激しく対立する論理で、激論と駆け引きを交わしてきた。
この過程で、日本は未だに天然の動物を商業目的に捕獲をしている、けしからん国である。という悪宣伝に利用される。
はなはだしい団体は、船舶による違法行為の妨害行動で、調査船の安全航行を脅かしている。
違法行為の実力行使は論外としても、調査捕鯨を継続するのは日本の水産庁と昔の南氷洋の水産事業で利益を上げてきた企業の、既得権利益の保守行動とみられている。
それでは反対派の論理に対抗できないし、いつかは敗北の憂き目に逢うであろう。
将来に捕鯨活動の目的や持続性を十分に検討したうえでの、世界に堂々と訴えることのできる論理を創り上げで、その過程としての本当の調査捕鯨に転換しなければ、いつまでも野蛮な捕鯨国の誹り(そしり)を受けてしまう。
水産庁を管轄する農水省は、やっと嘘の論理を続ける非に気が付き、この6月に行われる国際捕鯨委員会で、従来の方針を転換することにした。
少しは品格ある国に近づいた。(以下、次回)