東矢憲二の「気づきの経営」

経営コンサルタントとしての長年の経験を活かして、様々な気づきをご紹介します。
毎日読んでいただくと、心がホンワカ・・・

天からの授かり物②

2010-02-13 | 人生の気づき
私がこれまで入院した経験は、尿道結石のときの1回のみ。したがって、今回は2回目。前回も今回も、過労ストレスが引き金だ。猛烈ビジネスマンの勲章と言えなくもないが、出来れば願い下げである。

しかし、今回は「授かってよかった病」と言える。大いなる気づきを幾つか戴いたからである。その一つは休日であると、前回ご紹介した。今回は、二つ目の授かり物をご紹介する。それは、命の源である「食」についてだ。

私は、入院の前から腸の調子が悪く、絶食していた。そして入院後もその絶食が続き、併せて8日間絶食をした。病院で絶食しているときは、点滴をしているので空腹感はない。しかし、徐々に回復してくると、点滴をしていても空腹を感じる。先生の許可が出ないため、一日、そしてまた一日と、食事開始が遅れた。結局、8日の絶食を経て9日目に食事が許可された。

最初は、三分粥である。米はほんの僅か。殆ど「おもゆ」状態だ。でも、最高に美味しかった。私がこれまで生きてきた中で、最高の料理であった。涙が出るほどに美味しかった。これは、大げさな表現ではなく、本心である。命の基である「食べる」ことがどんなに大切なことか、ありがたいことか、体得できた。

それ以降毎日、食事は、一品ずつゆっくり時間をかけて、味を確認しながら食べている。煮付けの大根をゆっくり噛んで飲み込む。次にお粥。お粥もゆっくり噛んで、ゆっくり味わう。飲み込んでから、ニンジンの煮つけと言った具合だ。そして今も、一品ずつ、丁寧に噛み、飲み込んでから、次の料理に箸を向ける。なにしろ、食べられることが有り難いため、その食べ物に全神経を集中する。

その習慣は今も続き、家に帰って後も、テレビを消し、ゆっくりと感謝を込めて噛み締めている。しかも、腹八分で終了する。したがって、食を終えた瞬間であっても、次の食事を心待ちにする。食べ終えた瞬間だけど、もう次の食事が待ち遠しい。この感覚が、「命」を意識させる。味覚を楽しむための食事ではなく、命を永らえるための食事、その意識がしっかりと根付いたことが嬉しい。

体重は5キロ減ったが、生きる知恵は5ポイント増量した。やはり、病気は、生き方の間違いを正す危険信号なのである。したがって、病気を医師に任すだけでは駄目だ。自分の生活訂正が必要である。

奇跡のプレゼント、本当にありがとうございました。感謝です。