ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

悪夢ちゃん

2022-10-10 08:37:03 | 日記・エッセイ・コラム
昔こんな名前の番組があった。
このこと実は何の関係もない。
要は科学的な話である。
生命が誕生してから今日までの経過である。
実に壮大な話なのだ。
ここにはちょっと騙しがある。
科学的という言葉だ。
どこが科学的なのか?白々しい。
てか当方は適当に言ってるだけ。
口からのデマカセに近い。
でも本人はいたって真剣。
そんなとこです。
・・・・・
現今の科学的知見は知らず、
昔日の記憶によれば、
人間は受精して母親の胎内で成長する。
そして赤ちゃんとして生まれでる。
その間に生命進化のすべての過程を経験すると。
人間が進化の頂点にいるなら、
植物は横に置いて動物として、
単細胞から始まり、
昆虫、魚類、爬虫類、哺乳類そして猿から人へ、
そして生まれでる。
てことに違いなし。
この間は人は直接は関われない。
無事に生まれてくれと祈るだけ。
医学的には多少関われると雖も、
でもそれはことの本質ではない。
ことの本質はその奥の奥にある。
今ならそれはDNAと言うのか。
そして生まれたら、
そこから人の世界である。
しかして成長し最後は元に還る。
最後は還るのだがそれは於いて、
成長までのこと、
それは人類誕生から今日までの、
すべての過程を経験すると、
何とも?なことながら、
多分そうだろうと。
誕生までの生命進化の経験と、
成長までの人類発展の経験は、
それらは途切れず線上にある。
これは人間だけに限らないと。
犬猫や他の動物もそうだろう。
そして個人は必ず元に還るが、
人類と謂う種も又そうだろう。
尤もずっとずっと先だろうが。
・・・・・
思うに、
生まれでて成長までの過程は、
人類発展の過程そのものだと。
実に?な話に聞こえるだろう。
そこでの一番の特記事項は言葉である。
言葉を持つということである。
これは人類と謂う種が過去に経験したこと、
それを必ず個人も経験するのです。
しかしてそれは教えられない。
各々が自ずから手に入れると。
この一点があるからこそです、
人類発展の過程をたどるとは。
ここでも例外はある。
昔のことでいきさつは知らないが、
狼に育てられたという少年がいた。
発見された後、
人間としての教育をしても、
結局人間にはならなかった。
狼に育ってしまっていたのです。
もとよりDNAは最後まで関わるが、
そこは誰が育てるかによると。
だから話す言語も違ってくる。
狼少年は一生狼であったのだ。
それを想えば人類発展の過程とは、
別の言葉で言えば「歴史伝統文化」そのもの。
人間は皆それを背負っている。
それは心魂に染み付いている。
もとより蔑ろにはできないと。
てか基本・土台・主柱である。
それら根本の要に言葉がある。
何度でも言う、
人間は言葉の生き物である、
良くも悪くも。
・・・・・
今次の不幸はここにある。
これらを踏まえて今に至るのに、
それを踏み外す人がいる。
すべてを踏み外し、
ただ今時の言葉を、
無味乾燥な今時の言葉だけを繰返す。
多様性など無くなったことなし、
持続性など無くなったことなし、
歴史伝統文化はどこまでも続く。
一体何をしたいのか、
彼女彼らはリベラル人士たちは。
今目の前に起こっていることは、
悪夢としか言いようがない。
それを惹起してるのが彼らなら、
彼らを悪夢ちゃんと呼ぼう。
彼らは言葉を武器に攻撃(宣伝)するが、
自分の言葉以外は認めない。
気に入らなければ排除する。
ときにファクトチェックはし放題。
だから自分の非は一切認めない。
まことにアッパレアッパレぱ。
一寸こちらはしどろもどろ。
とはいえ我ながら、
悪夢ちゃんとは何とも可愛い命名。
てか彼らは皆良い人たちなのだ。
わずかな悪魔ちゃんを除いて。
ともかくもそういうことで、
今夜もうなされるだろう。
てか今夜だけではない、
ありがたや白昼夢も。