ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

憲法

2019-06-03 11:19:55 | 日記・エッセイ・コラム
私は一応大学は出ている。
勉強した記憶はないが、卒業証書は持っている。
まあそういうことです。
どうも経済学部に行っていたようだ。
なんの役にも立たない学部です。
そこの出身者は皆好き勝手に言っていて、
本当のところはさっぱり分からない。
それに財務省の官僚は皆法学部出身らしい。
経済官庁なのに。
面妖なことである。
・・・・・
そんな私が法律に疑問を持っている。
まあ素人の素朴な疑問ですが。
憲法は法律の中の法律と言われている。
各法律はその憲法に則って作られる。
それは人の行動に一定の枠をはめるもので、
社会を円滑に運営するには必要なものです。
それはそうだが、
法律が有って人が在るのではない、
人が在って為に法律が有るのです。
無くても支障がなければ、そも要らないのだ。
でも現実問題、それは無理なようです。
だから必要性に疑問はない。
にしても法律以前の生き方こそが根っこにある。
だから法律など持ち出さないで納められるなら、
それに越したことはない。
私はいつも「文化とは生き方の総体である」と言っている。
もし本当に優れた文化なら法律は要らない、
てか又はそれを最小限にすることができる。
日本には優れた文化があった。
元々それほど法律に頼っていなかった。
近頃は何でも法律問題にして鬱陶しい限りだ。
さらにヘイトやハラスメントとか謂うものを法律にする。
変な欧米化はもう止めようよ。
そも各法律は人の行動に枠をはめるものだ。
人の心(魂)に枠をはめるのは馴染まない。
心に枠をはめるのは自分自身である。
生活の中で学びつつ身に付けるのだ。
学びは強制ではなく自発的なものだ。
心(魂)こそ自由なのです。
本来の自由を取り戻そう。
為に文化の復興とその更なる高みを目指そう。
・・・・・
憲法は法律の中の法律である。
各法律はその精神を汲んで立法しようとする。
なら、憲法とは精神に如かず。
各法律が具体的に行動を律しようとするなら、
憲法は心の持ち方・立て方を律するものです。
勿論人間はその心と行動は本来一体であろう。
だから合わせて一体なのはその通りなのだが。
イギリスでは成文憲法はないと謂う。
過去の憲章や判例の積み重ねがそれに当たるらしい。
それはつまり生き方そのもであり、文化とも言える。
もしそうなら我が意を得たりである。
それは私の思いと同じである
とはいえ、
これは浅薄な当方の一方的な思い込みである、
ご容赦を…。
・・・・・
ちなみに、
日本には憲法と言われるものが過去にある。
聖徳太子の「十七条の憲法」である。
それに明治天皇の「五箇条の御誓文」もそうかも知れない。
どちらも心を立てている。
何にしても、私は思う。
憲法とは歴史・伝統・文化に他ならない。
生き方の総体としての文化そのものだと。
さすればである、
昨今の憲法改正論議は見るに堪えない。
押し付けられた、とかは横に置いてもよい。
要するに内容である。
実に堪えがたい箇所がある。
戦争はしないと宣言し明記するのはいい、
だが侵略してきたら、その時は徹底的に戦う、
ということも記すべきであろう。
それでこそ平和国家というものだ。
先の川崎市登戸の事件を思えば当然のことではないか。
自分の身を盾にしてでも守らなければならないものがある。
なのに憲法に新たに条項を加えるとも言っている。
教育無償化~である。
これはどうかと思う。
そんな具体的なことは不要だろう。
加えるなら、
子供は未来であり・宝である、
ということでしょう。
とにもかくにも、
そういう、
日本人の思いを結集すればいいのだ。
そしてそれを時代に沿って解釈する。
こんなもんで、どうでしょう。
・・・・・
ちなみに日本に憲法学者はほとんどいない。
憲法のことを真剣に考えてる者のことだが。
さりながら憲法教の原理主義者は沢山いる。
原理や信念は個人的に持つのは素晴らしい。
茫漠としたこの世界で己の心を立てるため。
それを他人に押し付けるのは止めてほしい。
です!

コメントを投稿