この世に勘違いは幾らでもある。
当方にも勿論沢山あるだろうし。
それに普通は気付かないものだ。
しかし以前から気になっていたことがある。
それは世間ではまったく言わないが、
私には大きな勘違いに思えることが。
まったくもって、
・・・・・
聖書は永遠のベストセラーである。
その聖書に曰く。
人間は禁忌を犯し楽園(エデンの園)を追放された、と。
神の怒りに触れたのだ。
しかして追放されたのは人間である。
他の生物が追放されたとは聞かない。
翻ってこの世界を見れば、あらゆる生物が存在している。
彼らが追放されたとは聞かないのに。
なら彼らは未だ楽園にいる筈だ。
その彼らと一緒にいるのなら、人間も楽園にいるというのか。
それはおかしい?
同じ場のように見えて、実は違うのかも…。
そうとしか思えない。
ともかく、
彼らは神の手の中に在り(清いもの)、
人は神の手の外に在る(穢れたもの)、
のだから、
日本でよく言われる「犬畜生にも劣る」や、
ユダヤ人が言う「世界の支配を任された」とかは、
甚だ傲慢な言であり、
大いなる勘違いだと。
・・・・・
同じ場のように見えて、実は違うとは…?
追放されたのだから、違うのは当然だが。
その因は禁断の木の実を食べたことにあるが、
それは何を示唆しているのか。
私はそれを、
言葉を手に入れたこと、
だと思っている。
世界は本来一つである。
見えるがままに一つである。
他の生物はその一つの世界をまんまに生きる。
だが言葉はその世界を区切る。
違いをしって区切る。
かくて世界を切り刻んでしまった。
そして収拾がつかなくなる。
ために再統合しようとするのだが、
それも言葉でもって為そうとする。
それが更に世界を切り刻む。
悪循環である。
かくて脳内の仮想を生きるのみ。
映画「マトリックス」にあった仮想現実のように。
同じ場のように見えて実は違うのはその故である。
これが追放されたということ、
か。
・・・・・
帰る方途はあるのだろうか。
あると信じている。
それはイエスやお釈迦様が示している。
一言で言えば、
現実(本来一つである世界)に向き合えば良いのである、
それだけです。
難しいと言えば難しいが、
簡単と言えば簡単である。
当方にも勿論沢山あるだろうし。
それに普通は気付かないものだ。
しかし以前から気になっていたことがある。
それは世間ではまったく言わないが、
私には大きな勘違いに思えることが。
まったくもって、
・・・・・
聖書は永遠のベストセラーである。
その聖書に曰く。
人間は禁忌を犯し楽園(エデンの園)を追放された、と。
神の怒りに触れたのだ。
しかして追放されたのは人間である。
他の生物が追放されたとは聞かない。
翻ってこの世界を見れば、あらゆる生物が存在している。
彼らが追放されたとは聞かないのに。
なら彼らは未だ楽園にいる筈だ。
その彼らと一緒にいるのなら、人間も楽園にいるというのか。
それはおかしい?
同じ場のように見えて、実は違うのかも…。
そうとしか思えない。
ともかく、
彼らは神の手の中に在り(清いもの)、
人は神の手の外に在る(穢れたもの)、
のだから、
日本でよく言われる「犬畜生にも劣る」や、
ユダヤ人が言う「世界の支配を任された」とかは、
甚だ傲慢な言であり、
大いなる勘違いだと。
・・・・・
同じ場のように見えて、実は違うとは…?
追放されたのだから、違うのは当然だが。
その因は禁断の木の実を食べたことにあるが、
それは何を示唆しているのか。
私はそれを、
言葉を手に入れたこと、
だと思っている。
世界は本来一つである。
見えるがままに一つである。
他の生物はその一つの世界をまんまに生きる。
だが言葉はその世界を区切る。
違いをしって区切る。
かくて世界を切り刻んでしまった。
そして収拾がつかなくなる。
ために再統合しようとするのだが、
それも言葉でもって為そうとする。
それが更に世界を切り刻む。
悪循環である。
かくて脳内の仮想を生きるのみ。
映画「マトリックス」にあった仮想現実のように。
同じ場のように見えて実は違うのはその故である。
これが追放されたということ、
か。
・・・・・
帰る方途はあるのだろうか。
あると信じている。
それはイエスやお釈迦様が示している。
一言で言えば、
現実(本来一つである世界)に向き合えば良いのである、
それだけです。
難しいと言えば難しいが、
簡単と言えば簡単である。
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