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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

ビットコイン?

2017-12-19 10:23:15 | 日記・エッセイ・コラム
よく分からない。
ビットコインのことである。
今大きく値上がりしていて、
持っていれば大儲けである、
らしい。
コインとは硬貨のことだが、
実はなく電子マネーである、
ようだ。
コンピュータの中にしかなく、
やり取りや決済はすべて電子的に行う、
パソコンやスマホの端末から。
少し前のことだが、
何かの番組でチラッと説明をしていたが、
よく分からなかった。
・・・・・
現今の貨幣は国が発行している。
厳密に言えば銀行であるが。
アメリカでは連邦準備制度理事会(FRB)であり、
日本では日本銀行である。
通過は硬貨もあるが主には紙幣である。
もとは只の紙切れである。
それに価値が認められるのは国家の信用による。
では信用とはなんだろう。
本来は金である。
金がすべての価値を収斂している。
昔も今も。
もともと紙幣は金の預り証であった。
でも、それが正当な預り証であるかをどう確認するのか。
そこが大問題である。
だから、それを保証する者が必要だ。
国(や銀行)がそれを行なっている。
これは国が金を保有していることが前提であった。
だから、いつでも金と交換できたのである。
ところが、今はその交換ができない。
国の信用を金が担保していないのだ。
ならば…。
・・・・・
では国の信用とは何か。
通貨は本来その国でしか通用しないものだ。
だからである、
その国に行けばそれなりの価値あるものに交換できる、
ということが必要である。
でなければ、その通貨に価値は認められない。
当然の理である。
その為には資源や財・サービスがなければならない。
資源は自然のもので、これはどうにもならない。
生まれた地の定めである。
一方、財やサービスは人が創るものである。
価値ある財やサービスは人が創るのだ。
それに結局資源もだ、それを取り出すのは人だから。
つまり人である。
人の働きである。
ということは、国の信用とは人ということだ。
金に替わるのは人である。
円を担保しているのは故に日本人である。
その歴史・伝統・文化の中で育まれた人、
働くことを良しとする、
そういう日本人である。
・・・・・
ところでである。
国債(円建て国債)が暴落すると言う人がいる。
国債とは円そのものであるのに。
円が暴落しない限り、国債は暴落しない。
これは当然の理。
なお、円が暴落すると言う人もいる。
円の暴落とは日本人が壊れることである。
つまり日本が壊れることである。
これはもはや経済問題ではない。
政治・経済・社会等すべてに渡る大問題である。
その小さな現れはあった。
それは大東亜戦争による敗北である。
それも日本人は乗り越えた。
日本人が壊れない限り、決定的に壊れることはない。
要するに、人が大事なのである。
このこと胆に銘ずべし。
ところでビットコインだが、
これがサッパリわからない。
これは誰が担保してるのか。
はて?








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