私は左派とリベラルは一括りにしている。
左派・リベラルと謂って。
人によっては左派とリベラルは違うもので、
言葉としては勿論違うのだが、定義そのものが違うというのだ。
辞書で調べてはいないが、それはそうだろうと思う。
でも私は一括りにしている。
私の定義ではそうです。
・・・・・
くどいほど言っていることがある。
言葉より前に現実がある。
現実があって言葉がある。
言葉は現実を切り裂く道具である。
言葉だけなら、それは空想であり、妄想でしかない。
人は現実を生きる。
現実に囚われるのは当然のことです。
言葉に囚われれば、
その言葉が現実を反映しているなら理はあるが、
空想・妄想なら理などなく、
言葉(概念)の奴隷となるしかない。
言葉の奴隷となれば、現実を見失うのは必定。
そうなれば壊れてしまう。
その時、壊れるのは現実ではない。
現実など壊れようもなく、
壊れるのは人(自分)です。
・・・・・
空想・妄想でも端からそう宣言するなら、
それは問題ない。
それをフィクションという。
それはそれで楽しめる。
だが事実だと主張すれば問題である。
勿論例外もある。
それは科学だ。
科学とは本来は自然科学を謂う。
自然科学が素晴らしいのは、
仮説(空想・妄想)はあくまでも仮説であって、
現実(実験・観察)によって証を得なければ認められないのだ。
すなわち必ず現実に寄り添う。
そこに嘘はない。
科学は信用できるのです。
・・・・・
左派・リベラルに対する私の定義は、
現実から乖離した言葉(空想・妄想)を頑なに主張する者、
としている。
主張が問題なのである。
自分が正しいと。
主張ではなく、正しいかどうかはともかく、
自分はこう思うと言うだけなら、それは問題ない。
思いは人それぞれ、そこは自由だから。
頑なに主張するのが問題なのだ。
世間ではリベラルと言われていても、
そこをわきまえているなら、
私はその人をリベラルとは言わない。
左派・リベラルの逆は保守であるのだが、
世間で保守と言われていても、
頑なに主張するなら、
私はむしろ左派・リベラルと言う。
・・・・・
右派という言葉もあるのだが、私は右派・保守とは言わない。
それは一括りにしないのだ。
右派も往々にして頑なな主張をする。
まあ極端な右派のことですが。
だから普通は左派・リベラルと言っているのだが、
時には左派・リベラル・右派と括ったほうが、
いいと思うこともあります。
なお、
私は保守である、真正保守である。
手前味噌ですが。
左派・リベラルと謂って。
人によっては左派とリベラルは違うもので、
言葉としては勿論違うのだが、定義そのものが違うというのだ。
辞書で調べてはいないが、それはそうだろうと思う。
でも私は一括りにしている。
私の定義ではそうです。
・・・・・
くどいほど言っていることがある。
言葉より前に現実がある。
現実があって言葉がある。
言葉は現実を切り裂く道具である。
言葉だけなら、それは空想であり、妄想でしかない。
人は現実を生きる。
現実に囚われるのは当然のことです。
言葉に囚われれば、
その言葉が現実を反映しているなら理はあるが、
空想・妄想なら理などなく、
言葉(概念)の奴隷となるしかない。
言葉の奴隷となれば、現実を見失うのは必定。
そうなれば壊れてしまう。
その時、壊れるのは現実ではない。
現実など壊れようもなく、
壊れるのは人(自分)です。
・・・・・
空想・妄想でも端からそう宣言するなら、
それは問題ない。
それをフィクションという。
それはそれで楽しめる。
だが事実だと主張すれば問題である。
勿論例外もある。
それは科学だ。
科学とは本来は自然科学を謂う。
自然科学が素晴らしいのは、
仮説(空想・妄想)はあくまでも仮説であって、
現実(実験・観察)によって証を得なければ認められないのだ。
すなわち必ず現実に寄り添う。
そこに嘘はない。
科学は信用できるのです。
・・・・・
左派・リベラルに対する私の定義は、
現実から乖離した言葉(空想・妄想)を頑なに主張する者、
としている。
主張が問題なのである。
自分が正しいと。
主張ではなく、正しいかどうかはともかく、
自分はこう思うと言うだけなら、それは問題ない。
思いは人それぞれ、そこは自由だから。
頑なに主張するのが問題なのだ。
世間ではリベラルと言われていても、
そこをわきまえているなら、
私はその人をリベラルとは言わない。
左派・リベラルの逆は保守であるのだが、
世間で保守と言われていても、
頑なに主張するなら、
私はむしろ左派・リベラルと言う。
・・・・・
右派という言葉もあるのだが、私は右派・保守とは言わない。
それは一括りにしないのだ。
右派も往々にして頑なな主張をする。
まあ極端な右派のことですが。
だから普通は左派・リベラルと言っているのだが、
時には左派・リベラル・右派と括ったほうが、
いいと思うこともあります。
なお、
私は保守である、真正保守である。
手前味噌ですが。
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