世界の宗教地図では、
色は概ね三つである。
そうなのだが、
仏教は本来は宗教ではなかったと思う。
むしろ最先端の学問だったのだろう。
宇宙の不可思議、
存在の不可思議、
その不可思議の核心を追求する。
・・・・・
言葉だけでそれを得ようしても無理である。
言葉は借物であり、しかも常に有限である。
有限のもので無限を捉えることはできない。
それに言葉は身体のごく一部(大脳)を使うだけのものだ。
人間の身体は60兆個の細胞でできているという。
ならば、それを総動員すべきであろう。
その方法が瞑想等の修行というものだ。
脳だけに頼るのは偏りが激しく、場合によっては危険なのである。
現代文明が破綻しかかっているのも無理はない。
それはさておき、
お釈迦様はそれを極めようとなされた。
そして修行の果てに極められた。
菩提樹の下の悟りである。
だからこれは学問である。
全身全霊を使った学問なのだ。
その成果を付き従う弟子たちに伝えられた。
あくまでも弟子たちにである。
これが仏教である。
それが今では広く民衆の信仰になっている。
となれば信仰の対象が必要だ。
菩薩とか如来とか言われるものがそれだろう。
だからまあ宗教なのである。
これは一般には大乗仏教と言われるのだが、
はてさて、どこでそうなったのか。
・・・・・
三つの色の圏外で大きな地域が二つある。
それはインドとシナである。
インドはヒンズー教である。
これはご存知の通り多神教であり、
その成立経緯はよくは知らないが、
古来からあるものである。
シナは共産党政権下で表向きは無宗教なのだが、
一般的には儒教と言われている。
でも私は儒教は宗教ではないと思っている。
これは世渡りの術でしかない。
信仰の対象がないのである。
信仰的なものがあるとすれば、
それは祖先崇拝である。
しかし祖先崇拝はどんな宗教にも当然にあるもので、
無神論者でもたぶんあるのだろう。
だから、それだけでは宗教とは言い難い。
で結局のところ、よく分からない。
道教と言われるものもあったのだが、
はて。
・・・・・
心は在る、確かに在る。
私が私であり、彼方が彼方であるように。
でも心はあまりに不確かで取り留めのないものである。
だから何か頼るものが必要だ。
それが信仰である。
無宗教だと言っても信仰は必ずある。
気が付かないだけだ。
でも分からないのは、シナ。
大いなるものへの信仰はないのか。
祖先崇拝しかないのか。
色は概ね三つである。
そうなのだが、
仏教は本来は宗教ではなかったと思う。
むしろ最先端の学問だったのだろう。
宇宙の不可思議、
存在の不可思議、
その不可思議の核心を追求する。
・・・・・
言葉だけでそれを得ようしても無理である。
言葉は借物であり、しかも常に有限である。
有限のもので無限を捉えることはできない。
それに言葉は身体のごく一部(大脳)を使うだけのものだ。
人間の身体は60兆個の細胞でできているという。
ならば、それを総動員すべきであろう。
その方法が瞑想等の修行というものだ。
脳だけに頼るのは偏りが激しく、場合によっては危険なのである。
現代文明が破綻しかかっているのも無理はない。
それはさておき、
お釈迦様はそれを極めようとなされた。
そして修行の果てに極められた。
菩提樹の下の悟りである。
だからこれは学問である。
全身全霊を使った学問なのだ。
その成果を付き従う弟子たちに伝えられた。
あくまでも弟子たちにである。
これが仏教である。
それが今では広く民衆の信仰になっている。
となれば信仰の対象が必要だ。
菩薩とか如来とか言われるものがそれだろう。
だからまあ宗教なのである。
これは一般には大乗仏教と言われるのだが、
はてさて、どこでそうなったのか。
・・・・・
三つの色の圏外で大きな地域が二つある。
それはインドとシナである。
インドはヒンズー教である。
これはご存知の通り多神教であり、
その成立経緯はよくは知らないが、
古来からあるものである。
シナは共産党政権下で表向きは無宗教なのだが、
一般的には儒教と言われている。
でも私は儒教は宗教ではないと思っている。
これは世渡りの術でしかない。
信仰の対象がないのである。
信仰的なものがあるとすれば、
それは祖先崇拝である。
しかし祖先崇拝はどんな宗教にも当然にあるもので、
無神論者でもたぶんあるのだろう。
だから、それだけでは宗教とは言い難い。
で結局のところ、よく分からない。
道教と言われるものもあったのだが、
はて。
・・・・・
心は在る、確かに在る。
私が私であり、彼方が彼方であるように。
でも心はあまりに不確かで取り留めのないものである。
だから何か頼るものが必要だ。
それが信仰である。
無宗教だと言っても信仰は必ずある。
気が付かないだけだ。
でも分からないのは、シナ。
大いなるものへの信仰はないのか。
祖先崇拝しかないのか。
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