ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

追放されたのは誰か

2015-01-19 09:46:28 | 日記・エッセイ・コラム
聖書は記している。
人間は楽園から追放されたと。
楽園の禁忌を犯し、
禁断の果実を食べてしまったのである。
蛇にそそのかされて。
ゆえに追放された。
・・・・・
ということは、
楽園には蛇がおり、果実が成っていたのである。
もちろんそれらだけではなかろう。
鳥や魚、木や草、
あらゆるものが満ちていた。
楽園なのである。
ならば楽園とは世界そのものである。
自然の世界そのものである。
そこから追放された。
追放されたのは人間である。
人間だけである。
・・・・・
欧米の聖書解釈では、
人はすべての生物の頂点にあり、
それらを統べる者であると。
どうすればこんな解釈ができるのか。
追放されたのは人間である。
なのに追放された者が支配するというのである。
これは逆恨みである。
なんと傲慢なことか。
そして本来の楽園である自然を破壊する。
追放されたのであれば、
どう考えても犬畜生以下である。
頂点ではなく底と知るべきだ。
・・・・・・
聖書は言っている。
だから祈れと。
謙虚になれと。
謙虚とは仰ぎ見ることである。
仰ぎ見て祈れと。
それが救いである。
でも注意しよう。
神という言葉は。
神という言葉は一般名詞として使おう。
固有名詞にするのは避けよう。
争いの元になる。
まあしかし、
ともかく、
現下のところ、
人間はどうしようもない。




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