ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

子々孫々に

2017-10-20 12:03:49 | 日記・エッセイ・コラム
旧世界は大国の興亡の大地であり、
覇権争いが絶え間なく起ってきた。
ヨーロッパ及び地中海世界、中東、中央そして東アジアである。
押しなべて大平原である。
熱帯雨林や山岳地帯は住みにくいがゆえに、
争いがあっても棲み分けができるのだ。
大平原はときに大河や山脈があっても、
そこさえ越えれば後は遮るものがない。
だから争いに限度がなくなる。
勝者の総取りであり、敗者は皆殺しか奴隷である。
ギリシャのアレクサンダーがインドまで来て言ったという、
私にはもう征服する世界がない、と。
それはそういうことだが、彼にはシナが見えていなかった。
さらにさらに遠く、しかも大きな砂漠が広がっていたから。
それでも後にモンゴルのチンギスによって統合され、
史上最大の帝国となった。
・・・・・
今シナで共産党大会が開かれている。
何をどう決めるのか知らないが、
シナは旧大陸の強者の論理を一歩も出ておらず、
まさに泥沼の大地である。
それは中華思想として顕現しており、
その変形が孫子の兵法や韜光養晦である。
つまり、
自分が弱ければ相手に付き従い、
自分が強ければ己が意を押し通す、
である。
今もまさにそうであり、
それは大古から変わっておらず、
戦前もまた同じであった。
強者に付いて弱者を叩く、である。
そして漁夫の利を得る。
今世界第二の力を付け己に酔っているが、
いずれ(中国の)夢から覚めるだろう。
そしてまた内部で覇権争いをする。
つまり易姓革命である。
それが変わらぬシナの歴史だ。
・・・・・
シナ人はそのことが分かってるのか。
たぶん分かっていない。
シナが今の泥沼から抜けるには、
中華思想を克服しなければならない。
強者の論理を捨て、
共存の道を求める、ことだ。
今その兆候はまったくない。
分かっていないのが一番の因だが、
分かっていてもできないだろう。
どうにも処方箋がないのだ。
だからである。
日本は彼の国との付き合いは慎重でなければならない。
できれば付き合わない方がいい。
だがそうはいかない。
なにしろ隣近所なのだから。
時に遣使を派遣したり、また時にそれを廃止したり。
付かず離れずである。
聖徳太子や菅原道真のように。
慧眼をもって当たらねば…。
このこと子々孫々に伝えておかねばならない。
にしても難しきことである。
海という堀があるにしても、
文明の進歩によって、
余りにも近くなってしまったから。
・・・・・
ちなみに、
欧米も中東も同じく強者の論理の中にあるが、
シナほど苛烈にはならない。
それは信仰があるからだ。
一神教に纏わりつく胡散臭さは気になるが。
まあ、救いはあるのです。






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