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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

情けないこと

2017-10-28 18:07:48 | 日記・エッセイ・コラム
まことにまことに、
日本企業の不祥事が後を絶たない。
神戸製鋼のデータの改ざんは酷い。
日産自動車の無資格検査も常態化していたらしい。
富士重工にも一部あるという。
その前には三菱自動車の燃費データの改ざんがあった。
どうしたのか。
どうなってるのか。
日本的経営の神髄を見失ったのか。
情けない限りである。
・・・・・
欧米の経営手法が悪い訳ではない。
だが日本には合わない。
グローバル時代だから取り入れざるを得ないのは分かるが。
だが注意が必要だ。
欧米はあくまでも階級社会である。
経営者と労働者がはっきり分かれている。
そこは分断されているのだ。
それが前提の労使関係である。
組織も法律もそれによっている。
日本は違う。
最高神の天照大神でも働くのだ。
働くことが生きること、という国である。
経営者と労働者は分断されていない。
経営者とは経営という仕事をする労働者なのだ。
仕事の内容が違うだけです。
皆労働者なのだ。
つまりは一体なのである。
これが日本的経営の神髄である。
脳と手足の関係のように。
だから賃金も欧米のような大きい格差にはならない。
それが少し歪んできたのか。
経営者と労働者が分断されてしまったのか。
労働者どうしにも分断があるのか。
そうなら深刻な問題だ。
職種が違えばそこに線(隙間)があるのは当然です。
遊びとしての隙間は必要なのだ。
だが、それが大きくなるのは問題である。
そんなことになってるのか。
欧米的経営手法を取り入れる中で見失ったか、
日本的経営の神髄を。
・・・・・
今次世界で問題となっているのが格差の拡大である。
余りに大きくなってしまったのだ。
昨今は日本でも格差が広がっていると言われる。
だが今のところはまだ大したことはない。
でもほっておけばもっと拡大するだろう。
そうなれば問題である。
日本的経営の神髄を見失うことになる。
ときに日本は終わる。
ときに世界も終わるだろう。
日本は世界の歯止めとならなければならない。
それが日本の役目である。
木を見て森を見ず、にならぬように。
しっかり足元を見つめよう。
なお、この神髄ゆえ日本に共産主義は不要である。
違いがあっての差異は当然で、
それを同じにする必要はなく、
その差異が不当に大きくならなければいいのだ。
同一労働・同一賃金などと謂う言葉遊びは不要であり、
互いに認め合う社会では、
そも共産主義という思想は要らない。

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