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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

私の神話

2025-08-18 09:07:09 | 日記・エッセイ・コラム
毎年この時期になると感慨に浸る。
あの8月15日、終戦の日である。
若い頃はまったく関心がなかった。
しかし余りの自虐史観に疑問を持ちはじめ、
歴史好きもありその種の資料を見るように。
てかそんな訳だからまともな書物も少なく。
してもこのことにも作為を感じて確信する。
もうほとんどが嘘だと。
そこにあるのは政治的プロパガンダばかり。
そんなこともあり、
若い?ころは靖国神社によく参拝していた。
8月15日かその前日~あたりで。
てかインバウンドの隆盛や例のコロナ騒動もあって、
てかてかそれに何より遠いこともあり、
昨今は近場の靖国(護国)に参拝している。
それにしても真に感慨深く思うのです、この時期は。
真夏の陽光のなか、
木々を越えて鳴動する蝉しぐれを聞きながら、
枝葉を揺らし吹き抜ける涼やかな風を受ける、
それらはまさに命の波動であり神風か、
まことにまことに。
・・・・・
ここでこの靖国を基にし、
私だけの神話を創ります。

初めに神は天と地を創造された。
次に光あれ、と言われた。
するとそこに光があった。
ときに山川が光と出会う。
さても山川は光と交わりて草木を為す。
これは大地と水と光らによる命の発動。
水は岸辺のほとりに。
更にそのほとりから動くものが現れる。
ここで和歌を一首、
海恋し潮の遠鳴り数えては乙女となりし父母の家、
(与謝野晶子)
その動くものを生むのは乙女の力。
その動くものがやがて言葉を持つ。
ときに言葉には魂がやどっていた。
ここで和歌を二首、
敷島の大和心を人問わば朝日に匂う山桜花、
(本居宣長)
身はたとい武蔵の野辺に朽ちぬとも止め置かまし大和魂、
(吉田松陰)
ここにその「こころ」が現れる。
そして人(日の本の人)が成る。

その日の本に靖国の杜がある。
今その靖国にいる。
8月15日である。
そこは命の波動で満ちている。
暑いのになぜかさわやかな風。
ここで俳句を二句。
静かさや岩にしみ入る蝉の声、
夏草や兵どもが夢のあと、
(松尾芭蕉)
黙祷!

ごく短い私の神話である。
てか手前勝手なコピペの、
なんちゃって神話でした。
ハイ!
・・・・・
私はときにその人に魂がないと言うことがある。
靖国はときの試験紙のひとつ。
あのリトマス試験紙に例えて。
思うのです。
人はそれぞれゆえ、
それを良しとしないのはまだいい、
ならそこは中立だろう、
なのになぜかイチャモンを付けてくる。
外交問題という口実はまったくのウソ。
てか理屈と膏薬は何処にでも付く、
そんなリベラル的論議はそも不要、
問題にしなければいいだけのこと。
彼らの言ってることは、
もはや毒を塗った膏薬、
そも負の心は全ての病の素、
その負の心を育てるばかり。
ゆえにそんな人には魂がないと言うのです。
例えばハシシタさんである。
そのフンである維新もまた。
てか言い出せばキリがない。
これは八つ当たりだが、
ゆえ大阪府市民らにも。
おまけに東京都民にも。
もう自分がいやになる。
てか御免なさい!

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