人には誕生日がある。
父母が在るから生まれるのであり、
そして誕生し誕生日がある。
その時から慈しみの中で育ち、
育ちの中で教えや指導もある。
その上で立つのである。
一人の人間として。
人は一人で生まれてくるのではない。
人は一人で生きているのではない。
人は人とともに生きている。
人はすべての「もの」とともに生きている。
それが現実である。
・・・・・
人以外の生物も同じである。
そしてその生物の現実を生きる。
その生物の現実を。
ただ無心に生きる。
それを素直と謂う。
言葉を持たないものは、
命としての私はあっても、思いを持つ我は無い。
禅問答のようではあるが、
だから素直に生きられる。
人は面倒だ。
言葉があるから。
命としての私とともに、思いを持つ我が有る。
すなわち、
素直という言葉を持ったときから、
素直を意識させられ、
意識すればするほど分からなくなる。
これが人間だ。
・・・・・
だから柱を立てなければならない。
よりどころとなる柱を。
すべからく現実を認め、
善きにつけ悪しきにつけ現実に寄り添い、
その現実とともに生きる、
その精神の柱を。
柱は人それぞれ自由に立てればよい。
立てた柱を信じて仰ぎ見る。
そして思いを念じる。
信仰と祈りである。
信仰と祈りがあれば命(我)が鎮められ、
迷いがなくなる。
謙虚になり覚悟ができるのである。
謙虚という言葉は素晴らしい。
素直も素晴らしいのだが、これは難しいのである。
謙虚は意識しても立てられる。
というより、意識して立てるものである。
そしてそれは祈りとともにある。
・・・・・
日本は祈りの国である。
祈り主・祝い主・祭り主のおられる国である。
天皇がおられるのである。
国の真中・中心・中央に。
それも遥か遠く2676年も前から。
庶民もお参りに行くが、
結構気まぐれである。
それでもいいのである。
いつも天皇の祈りの中にあるから。
ご存知にように、
この祈りというものを見失ったのが、
シナ・朝鮮である。
父母が不明で、あやふやな誕生日しかなく、
つまり偽りの建国神話の中で、
祈りが無いから柱も立てられず、
政権維持に汲々としている。
それが彼らの現状である。
注意して見ていよう。
とばっちりを受けないように。
・・・・・
なおなお、
八百万の神様がおられる日本では、
柱とは、
神様の数え方である。
父母が在るから生まれるのであり、
そして誕生し誕生日がある。
その時から慈しみの中で育ち、
育ちの中で教えや指導もある。
その上で立つのである。
一人の人間として。
人は一人で生まれてくるのではない。
人は一人で生きているのではない。
人は人とともに生きている。
人はすべての「もの」とともに生きている。
それが現実である。
・・・・・
人以外の生物も同じである。
そしてその生物の現実を生きる。
その生物の現実を。
ただ無心に生きる。
それを素直と謂う。
言葉を持たないものは、
命としての私はあっても、思いを持つ我は無い。
禅問答のようではあるが、
だから素直に生きられる。
人は面倒だ。
言葉があるから。
命としての私とともに、思いを持つ我が有る。
すなわち、
素直という言葉を持ったときから、
素直を意識させられ、
意識すればするほど分からなくなる。
これが人間だ。
・・・・・
だから柱を立てなければならない。
よりどころとなる柱を。
すべからく現実を認め、
善きにつけ悪しきにつけ現実に寄り添い、
その現実とともに生きる、
その精神の柱を。
柱は人それぞれ自由に立てればよい。
立てた柱を信じて仰ぎ見る。
そして思いを念じる。
信仰と祈りである。
信仰と祈りがあれば命(我)が鎮められ、
迷いがなくなる。
謙虚になり覚悟ができるのである。
謙虚という言葉は素晴らしい。
素直も素晴らしいのだが、これは難しいのである。
謙虚は意識しても立てられる。
というより、意識して立てるものである。
そしてそれは祈りとともにある。
・・・・・
日本は祈りの国である。
祈り主・祝い主・祭り主のおられる国である。
天皇がおられるのである。
国の真中・中心・中央に。
それも遥か遠く2676年も前から。
庶民もお参りに行くが、
結構気まぐれである。
それでもいいのである。
いつも天皇の祈りの中にあるから。
ご存知にように、
この祈りというものを見失ったのが、
シナ・朝鮮である。
父母が不明で、あやふやな誕生日しかなく、
つまり偽りの建国神話の中で、
祈りが無いから柱も立てられず、
政権維持に汲々としている。
それが彼らの現状である。
注意して見ていよう。
とばっちりを受けないように。
・・・・・
なおなお、
八百万の神様がおられる日本では、
柱とは、
神様の数え方である。
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