ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

働き方改革?

2024-04-22 09:46:40 | 日記・エッセイ・コラム
働き方改革?ってのがありました。
これが日本を壊しているものの一つです。
でもこの言葉が問題なのではない。
問題はその中身である。
日本には奴隷がいなかった。
働きはすべて自由人のもの。
それに最高神の天照大神さえ働くのです。
つまり働きは奴隷労働ではなかった。
てかむしろ神聖なものであった。
庶民にとっては生きることそのものであり、
ときにそれは生きがいともなる。
だからその働きには高い価値がある。
勿論この今も。
・・・・・
現実世界には悪い輩もいる。
世界のどこにでも。
勿論日本にもです。
ゆえそこでの労働がブラックなら、
それが問題なのは言うまでもない。
これは既存の法律などで十分対応可能かと。
それを敢えて働き方改革と称して、
変える必要などないのでは。
それに長時間労働も残業もときには必要で、
無理に排除する必要はありません。
そも自由人の働きを尊重するなら。
また能力を高めるにも必要なもの。
そこは庶民の良識にまかせればと。
ならなぜ働き方改革なのか。
何か他に目的でもあるのか。
例えば日本人の働きを弱めようとでも。
例えば日本(の文化)を壊そうとでも。
でもこれを言い出したのは安倍政権である。
安倍氏を私は支持していた。
今もそれは変わらない。
でもずっと思っていた。
本心は日本を取り戻すであっても、
その政策はどんどん離れていった。
それは本意でないと思っているが、
ときの説明では納得できなかった。
戦後の頚木になお喘いでいたのか。
消費税の増税もそれか。
もともと広く浅くを標榜していたのに。
しかも多分分かっていただろうが、
それが経済を窒息させてしまった。
一寸逸れたが、
働き方改革と軌を一にして、
外国人労働者や留学生の大量受け入れも。
これは移民の受け入れに繋がりかねない。
移民が悪いとは言いません。
日本が好きで日本語を習得し日本で働く、
これは大いに結構かと。
でも下手な移民受入は低賃金労働者を増やすだけ。
これはいわば事実上の奴隷を作るようなもの。
それにこれが日本人の働きを壊すことに。
そうなれば社会の混乱は待ったなし。
その根底には流々たるポリコレの流れが。
これは終戦後から深く静かに始まっていたが、
夫婦別姓で浮上しLGBT~で露わになった。
安倍さんはそれでも何とか抑えていたが。
でも抗しきれなくなってか、
この世から消えてしまった。
あの事件はただの事件ではないと。
私には偶然だとは思えないのです。
この流れのど真ん中で起きている。
しかしてその後の安倍派の状況は、
知っての通りもう惨憺たる状況で、
押して知るべし。
ところであの裏金問題、
そこで問われているのは枝葉末節、
どうでもいいとは言わないが、
ことの本質からはズレている。
すべては人の事、政治問題なのだ。
てかまたも話が逸れた。
働き方改革に戻ります。
・・・・・
人間一人で生きていくのはおぼつかない。
だから寄り集まって生きていく。
それは要するに助け合いである。
さすればより豊かに生きられる。
その集まりを社会と謂うのだが、
そこでは互いの働き(の成果)の交換が行われる。
この仕組みのことを経済と謂う。
だから経済とは助け合いである。
これが基である。
私の発想の基でもある。
その交換が合理的且つ効率的になされる。
そこに経済の真価があるのです。
ここでお金が登場する。
お金は必要なものでこれが経済を支える。
てかお金なしではもう成り立たない。
でもお金は価値そものではない。
交換に値するものが無ければ無用の長物。
価値は人の働きにある。
そこに尽きます。
でもそれは自由人の働きである。
ここに往古以来の矛盾がひそむ。
それは世界(大陸)では奴隷が絶えなかったから。
それは助け合いより奪い合いが上回ったから。
思えばこれは古代オリエントからずっと。
これに楔を打ったのがマルクス。
それが労働価値説です。
これに私は激しく同意。
でもマルクスは自由人とは言っていない?
てかでもそれを標榜していたと。
だから労働者の為のやり方をと。
そこで共産主義が登場する。
しても共産主義は失敗した。
そも人間の本性に合わなかった。
それはむしろ労働者を閉じ込めたのです。
そこには自由人の労働はなかったのです。
だから今の自由主義市場経済がある。
これは次善の策かも知れないが、
人間の本性には適っている。
でもいつからか、
ここにも嘘が現われる。
それは二つある。
一つ、もっぱらお金に価値を認めること。
一つ、自由労働を嫌うこと。
先の一つは敢えて語る必要なし。
後の一つは以下。
自由労働は個人に帰す。
個人及び個人事業主はそも自由のなかに。
問題は会社である。
会社を社会の公器とするなら問題はない。
会社の法人たる人格の基は役職員にある。
役職員の働きこそその根幹にある。
それがいつからかすべて株主の手に移る。
そのときから人は資本の従属物になった。
しかも役員と従業員が分断された。
とくに大企業はそうである。
ここに自由主義市場経済は消えた。
そして強欲資本主義に入れ替わる。
もはや自由労働は風前の灯。
それも派遣労働が押し潰す。
・・・・・
ちなみに、
現下の世界には根本的な矛盾があります。
唯物論のことです。
変なんです、
労働とは人間の「こと」である、
人間エネルギーの発露そのものなのです、
それを価値だとするなら、
唯物論とはこれ如何。
しかもそれを歴史にまで持ち込む、
唯物史観とか言って。
歴史とは人の「こと」の積み重ね、
しかもそれは人の言葉の積み重ね。
なんなんだこれは。
ちなみにちなみに、
共産主義も資本主義も今やその名称が違うだけ、
その中身は何もかわらない。
自由人の働きを蹴散らして、
専ら奴隷労働を良しとする。
左派・リベラルかくの如し。
うん!

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