goo blog サービス終了のお知らせ 

ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

世界の未来

2013-10-16 15:36:42 | 日記・エッセイ・コラム

未来を思うとき、運命論と偶然論とがある。

未来は決まっていると言う者、運命論者。

未来は決まっていないと言う者、偶然論者。

さて、どちらが当たっているのか。

20世紀の物理学はこのことに答えを出している。

・・・・・

星の動きは分かっている。

太古の昔から人々は星を観察し、その動きをつかもうとしてきた。

そして100年後、1000年後の位置を特定できるようになった。

ということは、

宇宙空間では星の位置は定まっているのである。

人間には変えられない。

大宇宙、銀河系、太陽系における地球の位置は、

今のこの位置は偶然ではなく決まっていることなのである。

これは運命である。

この位置関係における影響は免れることができない。

20世紀は極微の世界も分かってきた。

分子、原子あるいは電子、陽子、素粒子など。

星の動きと同じように、

電子の動きも観察し、その軌跡をつかもうとした。

が、どうしてもつかめない。

その結果、結論として法則はないということになった。

法則があるけれどつかめない、ということではなく、

法則がないということである。

つまり、原子内で電子は勝手気ままに動いているのである。

電子の位置は定まっていない。

今の位置は偶然の結果なのである。

・・・・・

宇宙という大きな世界では、

運命が支配している。

原子という極微の世界では、

偶然が支配している。

どちらも現実であり当たっているのである。

つまり、この世界は運命でもあり、偶然でもある。

20世紀の物理学はそう言っている。

ということで、

何事も当たるも八卦、当たらぬも八卦、

なのである。


コメントを投稿

サービス終了に伴い、10月1日にコメント投稿機能を終了させていただく予定です。