ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

どこへ行く

2020-11-30 07:51:21 | 日記・エッセイ・コラム
GoToGoToと喧しいことです。
私は大いにやればいいと思っている。
質の悪い風邪には十分注意しながら。
むしろ大いに積極的に。
ともかく経済を回さなければ。
政治は人を仕切るものだが、
経済はその仕切りの中で、
人が実際に生活の糧を得るもので、
生きる原点とも言える。
もとより政治と経済は密接につながっている。
だが今は経済を前面に出さねば。
政治は為に意を注ぐべしと。
それでも安全保障は怠るなかれ。
それは当然ですが。
・・・・・
人が生きるためには糧が必要だ。
その主たるものは衣食住である。
それを得なければならない。
その為の活動を経済という。
自給自足がその初めだろうが、
どうも人類は相当昔から分業していたようだ。
集団生活を初めたからは、
特に言葉を持ってからは、
それは必然となったろう。
最初は小さい集団内で、後には集団相互間でも。
人類社会はその初めより、
分業社会であったと言っても過言ではない。
為には交換が必要である。
経済とはそも交換経済なのである。
その初めは物々交換だったろう。
でもそれでは円滑に動きにくい。
だから間をつなぐものが必要になる。
それが貨幣というものである。
為に最初はそれ自体に価値があるものを用いた。
宝石や貝殻それに布や農産物など。
後に金銀等の貴金属が主流になる。
俗にお金と言われる。
・・・・・
お金は経済の血液だと言われる。
実に的を射た例えである。
お金とはその字義の通り、金が語源に違いなかろう。
正式には貨幣と言うのだが、
それには硬貨と紙幣がある。
硬貨は金同様なにがしかの値打ちはありそうだ。
紙幣は紙切れであり、何の値打ちもなさそうだ。
どちらにしても、つまりは信用である。
それが価値あると皆が認める、
疑いもなく認める、
それが信用である。
その信用は何処から来るのか。
確かに金ならそれ自体が価値である。
現代でも信用の塊である。
でも考えてみれば、それでもそれは主体ではない。
主体は生活の糧である。
それがなければ、そも貨幣は無用である。
とりわけ紙幣(紙切れ)が中心の現今は。
その通貨に信用があるとは、
その通貨を発行している主体が、
生活の糧を大いに有している必要がある。
つまり交換に耐えうる財やサービスが必要なのだ。
為には人の働きこそ大事なのだ。
金があってもどうにもならない。
金自体は生活の糧ではないのだ。
糧と交換できなければ只の石と同じだ。
もう一度言う。
必要なのは金ではなく生活の糧である。
それがあってこそお金が活きるのです。
順序を違えてはいけない。
・・・・・
だから経済が大事なのです。
今は特に。
日本人はそも勤勉です。
その作り出す財やサービスは素晴らしい。
それを止めてはいけない。
それを守らねばならない。
こんな風邪などに負けてられない。
はやり病を恐れて自分の首を絞めるな。
頑張ってGoToGoTo、
どんどんGoToGoTo、
でいいのです。
注意は必要だが。
ハイ!

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