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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

世界遺産

2018-08-20 13:28:19 | 日記・エッセイ・コラム
世界遺産にしようと騒いでるのを見るのは、
まったくもってウンザリです。
直近では百舌鳥古市古墳群がある。
そも国際連合(United Nations)という組織が信用できない。
なおユネスコと謂うのはもっと信用できない。
嘘を糊塗している、南京大虐殺とか従軍慰安婦とか…。
日本にある所謂世界遺産はその土地の遺産であり、日本国の遺産である。
親の遺産は子のものであり、みんなの遺産ではないのだ。
世界遺産にさせてほしいと言うなら、敢えて反対はしないが。
自分から求めるのは意味不明である。
目当ては金儲けか…。
・・・・・
ユネスコが世界遺産を認定するのは、
世界は一つ人類は一つということを示したいからだろう。
そのことに異論はない。
その通りである、それだけなら。
だが彼らは国を潰そうとしているのだ。
世界政府を創り、人類を一元的に支配する為。
その時、国家が邪魔になる。
国家に権力があるのが邪魔になる。
だから潰そうとする。
思うに、
国連がグローバリズムの牙城なのは自明、
ユネスコがその手先なのは道理、
まことに分かりやすい。
・・・・・
最近長崎・天草の潜伏キリシタン関連が登録されたようだ。
先記の通り、特に異論はない。
だが、これが日本を貶める具に使われてはならない。
取り越し苦労かも知れないが。
幕府がキリシタンを弾圧したのは事実だ。
だが当時のキリスト教はイエスの教えとは程遠いものだった。
他宗教を排斥していたこともあるが、
何しろ植民地収奪の先兵として動いていたのだから。
これも事実である。
ゆえの取り締まりである。
純粋な信仰そのものを問題にした訳ではない。
そのことを知るべきだ。
歴史家ではない私の勝手な想像、
だから弾圧から逃れることも少なからずあったかも、
と…。
・・・・・
同じことが幕末に起こった。
ゆえの鎖国であったが、この時は開国に応じざるを得なかった。
彼我の力に圧倒的な開きがあったから。
これが幕末の開国である。
ときにキリスト教はやはり先兵ではあったろう。
宣教師は当然やってきた。
でも戦国時代末期ほど露骨ではなかった。
そも信仰そのものに問題はないのである。
それは日本人の思いと矛盾しないのです。
だからかむしろ自ら進んで取り入れようともした。
その名残が現下のキリスト教系学校の存在である。
加えて、その対策として宗教政策が変更された。
もともと天皇中心の国なのだが、
改めて明確に天皇中心の国家としたのだ。
為に神道に重きが置かれた。
仏教中心から神道中心への変更である。
神仏分離の施策がなされたのもその一貫である。
俗に廃仏毀釈と謂われるのは国の施策ではない。
その流れの中で起こったことです。
・・・・・
同じことが戦後にもあった。
既に記したことだが、各地に宣教師が現れたのである。
お菓子等を携えて。
小さな子供に布教しようとしたのだ。
大人は難しくとも子供なら、ってか。
少なくとも私は喜んで参加した。
これは明らかに日本をキリスト教国にしようとしたのだ。
でも信者はほとんど増えなかった。
どうも日本人には変わらぬ信仰があるようだ。
昔から、そして今も。
でも多くの日本人は気付いていない。
自分が何を持っているのか。
それがどれほどのものかも。
残念!
・・・・・
ともかく、だから、
国連にも負けぬ、ユネスコにも負けぬ、変な左派・リベラルにも負けぬ…
そんな立派な国になりたいものだ。
それこそ世界遺産である。
生きた世界平和遺産である。

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