ちらっと聞いた話だが、
欧米は霊肉二元論と謂うことらしい。
日本でも身体と心魂は分けて考える。
亡くなるとは心魂が抜けることだと。
ちなみに心魂など無いと言う人がいるが、
それは大きな誤りかと。
考えたら分かるだろう。
私が私であり彼方が彼方である、
それは身体だけなのか、
そんな???。
むしろ身体こそ借り物だと。
日本人はそう考えるだろう。
ちなみにちなみに、
だから唯物論の破綻はあきらか。
先ずそれを知ろう。
・・・・・
さりながら私も二元論で考えるは普通。
でも二つのものが別々にあるとは思わない。
そも一体のものである。
それは私が言ってきたこと、
「ものごと」の捉え方に同じと。
「ものごと」は一体でなければ、
そもそのどちらも存在し得ない。
二元論と謂うは言葉の技である。
言葉は線を引くもの分けるもの。
現実は一体であっても、
脳内では分けるのです。
だから言わずもがな霊肉は同根なのです。
亡くなるとはそれが別れることではない。
亡くなるとはそれが別の状態になることです。
肉体は残るが、
それは最早私ではない、
私であったものであり、
それは遺された体です。
しても私でないが、
遺された私の最大の印であり、
残された者にとっては特別なもの。
と言うことだが、
ともかくも、
言葉の技としては、
脳内で分けるよりなく、
だから二元論は必然であり、
しかもそれはいつも単純で明快。
多元論と謂うのはその延長。
それは二元論の重なりかと。
それがより複雑な綾を作る。
ちなみに、
神話にあらわれる一神教と二神教は実は同根か。
二以上は複数と言われるが、
それには少しく疑問がある。
二は一に通じているのです。
善神と悪神を持つ二神教は、
神と悪魔に分けることで一神教になる。
だから一神教と二神教はほぼ兄弟かと。
むしろ複数とは三から上か。
多神教の日本は原初三神から始まる。
思えばここに妙がある。
少し話が逸れたが、
話しを戻す。
・・・・・
霊肉が同根ならそれは何か。
言わずもがなそれは運動振動波動である。
一言で言えば波動です。
運動振動はものの内外の動きのこと。
波動が存在するには媒体が必要です。
声音が耳に届くのは空気があるから。
と言えば声音は空気とは別物のよう。
それが一体なのか?
空気が無ければ声音は無い、
これはその通りであろうが、
声音が無ければ空気は無い、
これは一寸考えられないが。
てか声音を人の声だけとすれば確かにおかしい。
声音を地球の声であるとすればすべてが納まる。
雨・風・雷・地震・噴火ほか気象に関わる響き、
これらすべてを地球の声音とすれば。
すべては地球という「もの」と伴に、
と謂うことである。
地球に限ればそうだが、
この大宇宙においてはどうだろう。
この大宇宙には電磁波が存在する。
これはその名の通り波動そのもの。
その電磁波の一つが光です。
光は何もない?宇宙空間に存在している。
そこで縦横無尽に行き渡っている。
光にはものの性質とことの性質の両方があると。
さりながら質量は無いとも。
何ともややこしい話である。
でも昨今は実は質量があるのではと。
そういう究極の「もの」がです。
余りに小さくて計れないが。
この方が話の筋は通る。
そう考えれば問題は解決するが、
それは今後の研究の課題である。
思うに、
それが分かれば宇宙の扉が一つ開く。
まさにそれは鍵である。
・・・・・
ところで波動のことだが、
それを私は「響き」とも言う。
その方が文字通り響きがいい。
響きと言えばニコラ・テスラ。
彼は電気とエネルギーの研究で有名であり、
数々の発明を世に出している。
今ある電気の交流送電は彼の発明である。
中でも興味を持つのが振動の研究である。
それは波動が持つ動きの様であり、
その長さ(周期)と大きさのこと。
特に周波数の研究が面白い。
ある種の異なる周波数を同時に起こせば、
共振共鳴を起こすと。
それが離れていても。
だから人工地震も起こせるのです。
でも無から有は生まれない。
条件を整えればです。
で思うのです、
宇宙が波動で出来ているとすれば、
宇宙は共振共鳴で満ちており、
そこは響きの世界であり、
素晴らしい世界かと。
そうに違いない。
うん!
欧米は霊肉二元論と謂うことらしい。
日本でも身体と心魂は分けて考える。
亡くなるとは心魂が抜けることだと。
ちなみに心魂など無いと言う人がいるが、
それは大きな誤りかと。
考えたら分かるだろう。
私が私であり彼方が彼方である、
それは身体だけなのか、
そんな???。
むしろ身体こそ借り物だと。
日本人はそう考えるだろう。
ちなみにちなみに、
だから唯物論の破綻はあきらか。
先ずそれを知ろう。
・・・・・
さりながら私も二元論で考えるは普通。
でも二つのものが別々にあるとは思わない。
そも一体のものである。
それは私が言ってきたこと、
「ものごと」の捉え方に同じと。
「ものごと」は一体でなければ、
そもそのどちらも存在し得ない。
二元論と謂うは言葉の技である。
言葉は線を引くもの分けるもの。
現実は一体であっても、
脳内では分けるのです。
だから言わずもがな霊肉は同根なのです。
亡くなるとはそれが別れることではない。
亡くなるとはそれが別の状態になることです。
肉体は残るが、
それは最早私ではない、
私であったものであり、
それは遺された体です。
しても私でないが、
遺された私の最大の印であり、
残された者にとっては特別なもの。
と言うことだが、
ともかくも、
言葉の技としては、
脳内で分けるよりなく、
だから二元論は必然であり、
しかもそれはいつも単純で明快。
多元論と謂うのはその延長。
それは二元論の重なりかと。
それがより複雑な綾を作る。
ちなみに、
神話にあらわれる一神教と二神教は実は同根か。
二以上は複数と言われるが、
それには少しく疑問がある。
二は一に通じているのです。
善神と悪神を持つ二神教は、
神と悪魔に分けることで一神教になる。
だから一神教と二神教はほぼ兄弟かと。
むしろ複数とは三から上か。
多神教の日本は原初三神から始まる。
思えばここに妙がある。
少し話が逸れたが、
話しを戻す。
・・・・・
霊肉が同根ならそれは何か。
言わずもがなそれは運動振動波動である。
一言で言えば波動です。
運動振動はものの内外の動きのこと。
波動が存在するには媒体が必要です。
声音が耳に届くのは空気があるから。
と言えば声音は空気とは別物のよう。
それが一体なのか?
空気が無ければ声音は無い、
これはその通りであろうが、
声音が無ければ空気は無い、
これは一寸考えられないが。
てか声音を人の声だけとすれば確かにおかしい。
声音を地球の声であるとすればすべてが納まる。
雨・風・雷・地震・噴火ほか気象に関わる響き、
これらすべてを地球の声音とすれば。
すべては地球という「もの」と伴に、
と謂うことである。
地球に限ればそうだが、
この大宇宙においてはどうだろう。
この大宇宙には電磁波が存在する。
これはその名の通り波動そのもの。
その電磁波の一つが光です。
光は何もない?宇宙空間に存在している。
そこで縦横無尽に行き渡っている。
光にはものの性質とことの性質の両方があると。
さりながら質量は無いとも。
何ともややこしい話である。
でも昨今は実は質量があるのではと。
そういう究極の「もの」がです。
余りに小さくて計れないが。
この方が話の筋は通る。
そう考えれば問題は解決するが、
それは今後の研究の課題である。
思うに、
それが分かれば宇宙の扉が一つ開く。
まさにそれは鍵である。
・・・・・
ところで波動のことだが、
それを私は「響き」とも言う。
その方が文字通り響きがいい。
響きと言えばニコラ・テスラ。
彼は電気とエネルギーの研究で有名であり、
数々の発明を世に出している。
今ある電気の交流送電は彼の発明である。
中でも興味を持つのが振動の研究である。
それは波動が持つ動きの様であり、
その長さ(周期)と大きさのこと。
特に周波数の研究が面白い。
ある種の異なる周波数を同時に起こせば、
共振共鳴を起こすと。
それが離れていても。
だから人工地震も起こせるのです。
でも無から有は生まれない。
条件を整えればです。
で思うのです、
宇宙が波動で出来ているとすれば、
宇宙は共振共鳴で満ちており、
そこは響きの世界であり、
素晴らしい世界かと。
そうに違いない。
うん!