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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

響き

2023-10-16 08:44:40 | 日記・エッセイ・コラム
ちらっと聞いた話だが、
欧米は霊肉二元論と謂うことらしい。
日本でも身体と心魂は分けて考える。
亡くなるとは心魂が抜けることだと。
ちなみに心魂など無いと言う人がいるが、
それは大きな誤りかと。
考えたら分かるだろう。
私が私であり彼方が彼方である、
それは身体だけなのか、
そんな???。
むしろ身体こそ借り物だと。
日本人はそう考えるだろう。
ちなみにちなみに、
だから唯物論の破綻はあきらか。
先ずそれを知ろう。
・・・・・
さりながら私も二元論で考えるは普通。
でも二つのものが別々にあるとは思わない。
そも一体のものである。
それは私が言ってきたこと、
「ものごと」の捉え方に同じと。
「ものごと」は一体でなければ、
そもそのどちらも存在し得ない。
二元論と謂うは言葉の技である。
言葉は線を引くもの分けるもの。
現実は一体であっても、
脳内では分けるのです。
だから言わずもがな霊肉は同根なのです。
亡くなるとはそれが別れることではない。
亡くなるとはそれが別の状態になることです。
肉体は残るが、
それは最早私ではない、
私であったものであり、
それは遺された体です。
しても私でないが、
遺された私の最大の印であり、
残された者にとっては特別なもの。
と言うことだが、
ともかくも、
言葉の技としては、
脳内で分けるよりなく、
だから二元論は必然であり、
しかもそれはいつも単純で明快。
多元論と謂うのはその延長。
それは二元論の重なりかと。
それがより複雑な綾を作る。
ちなみに、
神話にあらわれる一神教と二神教は実は同根か。
二以上は複数と言われるが、
それには少しく疑問がある。
二は一に通じているのです。
善神と悪神を持つ二神教は、
神と悪魔に分けることで一神教になる。
だから一神教と二神教はほぼ兄弟かと。
むしろ複数とは三から上か。
多神教の日本は原初三神から始まる。
思えばここに妙がある。
少し話が逸れたが、
話しを戻す。
・・・・・
霊肉が同根ならそれは何か。
言わずもがなそれは運動振動波動である。
一言で言えば波動です。
運動振動はものの内外の動きのこと。
波動が存在するには媒体が必要です。
声音が耳に届くのは空気があるから。
と言えば声音は空気とは別物のよう。
それが一体なのか?
空気が無ければ声音は無い、
これはその通りであろうが、
声音が無ければ空気は無い、
これは一寸考えられないが。
てか声音を人の声だけとすれば確かにおかしい。
声音を地球の声であるとすればすべてが納まる。
雨・風・雷・地震・噴火ほか気象に関わる響き、
これらすべてを地球の声音とすれば。
すべては地球という「もの」と伴に、
と謂うことである。
地球に限ればそうだが、
この大宇宙においてはどうだろう。
この大宇宙には電磁波が存在する。
これはその名の通り波動そのもの。
その電磁波の一つが光です。
光は何もない?宇宙空間に存在している。
そこで縦横無尽に行き渡っている。
光にはものの性質とことの性質の両方があると。
さりながら質量は無いとも。
何ともややこしい話である。
でも昨今は実は質量があるのではと。
そういう究極の「もの」がです。
余りに小さくて計れないが。
この方が話の筋は通る。
そう考えれば問題は解決するが、
それは今後の研究の課題である。
思うに、
それが分かれば宇宙の扉が一つ開く。
まさにそれは鍵である。
・・・・・
ところで波動のことだが、
それを私は「響き」とも言う。
その方が文字通り響きがいい。
響きと言えばニコラ・テスラ。
彼は電気とエネルギーの研究で有名であり、
数々の発明を世に出している。
今ある電気の交流送電は彼の発明である。
中でも興味を持つのが振動の研究である。
それは波動が持つ動きの様であり、
その長さ(周期)と大きさのこと。
特に周波数の研究が面白い。
ある種の異なる周波数を同時に起こせば、
共振共鳴を起こすと。
それが離れていても。
だから人工地震も起こせるのです。
でも無から有は生まれない。
条件を整えればです。
で思うのです、
宇宙が波動で出来ているとすれば、
宇宙は共振共鳴で満ちており、
そこは響きの世界であり、
素晴らしい世界かと。
そうに違いない。
うん!