ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

雑感

2023-10-23 06:55:28 | 日記・エッセイ・コラム
今朝(19日)変なものを見た。
産経新聞の朝刊です。
いまだに新聞を取っています。
テレビ欄以外はほとんど見ないが。
でも一面はどうしても目に入る。
そこに有ったのです。
変なものが。
・・・・・
バイデンがにたにたにやにやネタニヤフ、
でんがな。
これは猿芝居である。
てか猿は猿芝居をしません。
猿は猿を真摯に生きている。
猿はまともなんです。
そも大地と共鳴して生きている。
知っての通り、
猿芝居をするのは人である、
しかも得意技である。
困ったもんだ。
なのに、
そういう存在だということ、
いまだに気づかない。
おまけに彼らは己らが最高の存在だと…。
目を開けて見よ、今のこの世界を。
そういえば、
もう随分前のことだが、
彼らは面白い芝居を作っていた。
猿の惑星とかいう。
猿芝居の極み、
その結末では、
アメリカは没落していた。
今まさにそうなっているではないか。
なのににたにたにやにやネタニヤフ。
勝手にしやがれ、
ええじゃないかええじゃないか、
ホイサッサ。
お猿の駕籠屋だ、
ホイサッサてか。
・・・・・
この世界には、
集団で生きる生き物がいる。
幾らでもいる。
てか大なり小なりそうかも。
その在り方はそれぞれだが。
そもその存在を繋いでいくため、
その根底にあるのは、助け合い、である。
人間はもとより彼らと同類。
それが言葉によってしんかする。
しんかとは進化かつ深化である。
考えれば分かるだろうが、
食べ物や着る物それに住む所、
それらを自分一人で用意するのは容易ではない。
ちょっと親父ギャグ的。
だから分業が発生する。
これは言葉を持った人間の必然。
ときに重要なのはそれを生み出す働き。
ときに必要になるのがその交換である。
それらを上手くつなげば、
人はより良く生きられる。
人間社会はそれを目指している。
その在り方を経済という。
為の仕切りを政治という。
為の集まりを社会という。
世に政治経済社会と言われるが、
その根底は経済であると。
そしてそれは助け合いなのです。
しかして、
ここに大きな齟齬が起きている。
古代社会は野蛮で非文化的だと。
そう思いがちだが、
心模様は今と何も変わらないと。
まあ縄文時代あたりのことだが。
もっと前(例えば百万年前)は思いの外だが。
そこでである、
その初めは助け合いであったが、
そこに齟齬が起きてくるのです。
そして奪い合いが現われてくる。
それは古代オリエントあたりからか。
大陸や地中海世界ではそのようです。
奴隷の存在がそれを示している。
そしてそれが今に繋がっている。
現代は目に見えない奴隷社会である。
それを推しているもの二つ。
一つは共産主義幻想という厄介。
一つは強欲資本主義という厄介。
お金は実は価値ではない。
価値そのものではないと。
それは交換に資する限りの価値。
真の価値は人の働きが作り出すもの。
それが作り出す財やサービスである。
むろんお金を生かす働きもまた働き。
それもまた価値である。
それはそうだが。
・・・・・
かく思えば、
現今は嘘と狂気に満ちている、
と謂うはこれあきらかなり。
これらはすべて言葉の技。
人の言葉は特に概念というのは、
デジタルの申し子で穴だらけ。
そこには共振共鳴は乏しく、
響きなど無きにひとしい。
だから要注意なのです。
でもデジタルは手段としては有効なもの。
いま流行りのAIはまさにその申し子。
コンピュータはそも言葉の権化です。
言葉なければまったく無用の長物。
それを知って扱えばいいのだが。
だがどうも見えていないよう。
危なっかしい状況なのです。
でも神の言葉はアナログ。
そこに穴はないのです。
すべてを繋いでいる。
その言葉に帰ろう。
共振共鳴の世界、
響きの世界へ。
レレレのレ、
ん?ん?