今朝(19日)変なものを見た。
産経新聞の朝刊です。
いまだに新聞を取っています。
テレビ欄以外はほとんど見ないが。
でも一面はどうしても目に入る。
そこに有ったのです。
変なものが。
・・・・・
バイデンがにたにたにやにやネタニヤフ、
でんがな。
これは猿芝居である。
てか猿は猿芝居をしません。
猿は猿を真摯に生きている。
猿はまともなんです。
そも大地と共鳴して生きている。
知っての通り、
猿芝居をするのは人である、
しかも得意技である。
困ったもんだ。
なのに、
そういう存在だということ、
いまだに気づかない。
おまけに彼らは己らが最高の存在だと…。
目を開けて見よ、今のこの世界を。
そういえば、
もう随分前のことだが、
彼らは面白い芝居を作っていた。
猿の惑星とかいう。
猿芝居の極み、
その結末では、
アメリカは没落していた。
今まさにそうなっているではないか。
なのににたにたにやにやネタニヤフ。
勝手にしやがれ、
ええじゃないかええじゃないか、
ホイサッサ。
お猿の駕籠屋だ、
ホイサッサてか。
・・・・・
この世界には、
集団で生きる生き物がいる。
幾らでもいる。
てか大なり小なりそうかも。
その在り方はそれぞれだが。
そもその存在を繋いでいくため、
その根底にあるのは、助け合い、である。
人間はもとより彼らと同類。
それが言葉によってしんかする。
しんかとは進化かつ深化である。
考えれば分かるだろうが、
食べ物や着る物それに住む所、
それらを自分一人で用意するのは容易ではない。
ちょっと親父ギャグ的。
だから分業が発生する。
これは言葉を持った人間の必然。
ときに重要なのはそれを生み出す働き。
ときに必要になるのがその交換である。
それらを上手くつなげば、
人はより良く生きられる。
人間社会はそれを目指している。
その在り方を経済という。
為の仕切りを政治という。
為の集まりを社会という。
世に政治経済社会と言われるが、
その根底は経済であると。
そしてそれは助け合いなのです。
しかして、
ここに大きな齟齬が起きている。
古代社会は野蛮で非文化的だと。
そう思いがちだが、
心模様は今と何も変わらないと。
まあ縄文時代あたりのことだが。
もっと前(例えば百万年前)は思いの外だが。
そこでである、
その初めは助け合いであったが、
そこに齟齬が起きてくるのです。
そして奪い合いが現われてくる。
それは古代オリエントあたりからか。
大陸や地中海世界ではそのようです。
奴隷の存在がそれを示している。
そしてそれが今に繋がっている。
現代は目に見えない奴隷社会である。
それを推しているもの二つ。
一つは共産主義幻想という厄介。
一つは強欲資本主義という厄介。
お金は実は価値ではない。
価値そのものではないと。
それは交換に資する限りの価値。
真の価値は人の働きが作り出すもの。
それが作り出す財やサービスである。
むろんお金を生かす働きもまた働き。
それもまた価値である。
それはそうだが。
・・・・・
かく思えば、
現今は嘘と狂気に満ちている、
と謂うはこれあきらかなり。
これらはすべて言葉の技。
人の言葉は特に概念というのは、
デジタルの申し子で穴だらけ。
そこには共振共鳴は乏しく、
響きなど無きにひとしい。
だから要注意なのです。
でもデジタルは手段としては有効なもの。
いま流行りのAIはまさにその申し子。
コンピュータはそも言葉の権化です。
言葉なければまったく無用の長物。
それを知って扱えばいいのだが。
だがどうも見えていないよう。
危なっかしい状況なのです。
でも神の言葉はアナログ。
そこに穴はないのです。
すべてを繋いでいる。
その言葉に帰ろう。
共振共鳴の世界、
響きの世界へ。
レレレのレ、
ん?ん?
産経新聞の朝刊です。
いまだに新聞を取っています。
テレビ欄以外はほとんど見ないが。
でも一面はどうしても目に入る。
そこに有ったのです。
変なものが。
・・・・・
バイデンがにたにたにやにやネタニヤフ、
でんがな。
これは猿芝居である。
てか猿は猿芝居をしません。
猿は猿を真摯に生きている。
猿はまともなんです。
そも大地と共鳴して生きている。
知っての通り、
猿芝居をするのは人である、
しかも得意技である。
困ったもんだ。
なのに、
そういう存在だということ、
いまだに気づかない。
おまけに彼らは己らが最高の存在だと…。
目を開けて見よ、今のこの世界を。
そういえば、
もう随分前のことだが、
彼らは面白い芝居を作っていた。
猿の惑星とかいう。
猿芝居の極み、
その結末では、
アメリカは没落していた。
今まさにそうなっているではないか。
なのににたにたにやにやネタニヤフ。
勝手にしやがれ、
ええじゃないかええじゃないか、
ホイサッサ。
お猿の駕籠屋だ、
ホイサッサてか。
・・・・・
この世界には、
集団で生きる生き物がいる。
幾らでもいる。
てか大なり小なりそうかも。
その在り方はそれぞれだが。
そもその存在を繋いでいくため、
その根底にあるのは、助け合い、である。
人間はもとより彼らと同類。
それが言葉によってしんかする。
しんかとは進化かつ深化である。
考えれば分かるだろうが、
食べ物や着る物それに住む所、
それらを自分一人で用意するのは容易ではない。
ちょっと親父ギャグ的。
だから分業が発生する。
これは言葉を持った人間の必然。
ときに重要なのはそれを生み出す働き。
ときに必要になるのがその交換である。
それらを上手くつなげば、
人はより良く生きられる。
人間社会はそれを目指している。
その在り方を経済という。
為の仕切りを政治という。
為の集まりを社会という。
世に政治経済社会と言われるが、
その根底は経済であると。
そしてそれは助け合いなのです。
しかして、
ここに大きな齟齬が起きている。
古代社会は野蛮で非文化的だと。
そう思いがちだが、
心模様は今と何も変わらないと。
まあ縄文時代あたりのことだが。
もっと前(例えば百万年前)は思いの外だが。
そこでである、
その初めは助け合いであったが、
そこに齟齬が起きてくるのです。
そして奪い合いが現われてくる。
それは古代オリエントあたりからか。
大陸や地中海世界ではそのようです。
奴隷の存在がそれを示している。
そしてそれが今に繋がっている。
現代は目に見えない奴隷社会である。
それを推しているもの二つ。
一つは共産主義幻想という厄介。
一つは強欲資本主義という厄介。
お金は実は価値ではない。
価値そのものではないと。
それは交換に資する限りの価値。
真の価値は人の働きが作り出すもの。
それが作り出す財やサービスである。
むろんお金を生かす働きもまた働き。
それもまた価値である。
それはそうだが。
・・・・・
かく思えば、
現今は嘘と狂気に満ちている、
と謂うはこれあきらかなり。
これらはすべて言葉の技。
人の言葉は特に概念というのは、
デジタルの申し子で穴だらけ。
そこには共振共鳴は乏しく、
響きなど無きにひとしい。
だから要注意なのです。
でもデジタルは手段としては有効なもの。
いま流行りのAIはまさにその申し子。
コンピュータはそも言葉の権化です。
言葉なければまったく無用の長物。
それを知って扱えばいいのだが。
だがどうも見えていないよう。
危なっかしい状況なのです。
でも神の言葉はアナログ。
そこに穴はないのです。
すべてを繋いでいる。
その言葉に帰ろう。
共振共鳴の世界、
響きの世界へ。
レレレのレ、
ん?ん?