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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

残念な結果2

2020-11-09 09:19:30 | 日記・エッセイ・コラム
トランプ大統領が苦戦している。
当方の予想に反して。
何かおかしい。
にしても、
不正が無いならすぐにでも負けを認めるべきだ。
でも怪しい。
無茶苦茶怪しい。
これをもって、
アメリカの民主主義は死んだ、
と言う人もいる。
右に同じ。
・・・・・
トランプ大統領が対峙しているアメリカの中枢は、
今やなりふりを構っていない、
何でもありのようだ。
そも欧米には昔から人を支配する謀がある。
悟られぬよう注意していたようだが、
そのタガがはずれてしまった。
デカルトは言った「我思う故に我あり」と。
デカルトは近代の人だが、
欧米には昔からそういう思いがあり、
世界をそう捉えている。
それは言葉で我を規定することで、
自我の確認・確定である。
その時から我は世界から切り離された。
個人主義の始まりでもある。
確かにそれは一面の事実だ。
でもである。
「我思う故に我あり」の前から我はある。
人以外の生物はそういう我を持っている。
そも存在するものはすべて繋がっている。
切り離しなどできない。
人間の細胞は60兆個もあって、
しかもその一つひとつは独立した生命体であった。
それらが合体して人間はできている。
それにその合体物には常在菌などが、
必要に応じてくっ付いていると謂う。
そも単体では生きていけないのだ。
単体での存在が不可能なら、
繋がりこそ命である。
・・・・・
言葉は一時的に便宜的にそれらを切り離す。
故にこそ分かったような気になれる。
そもそんな道具なのである。
それを知るべきだ。
欧米人でも信仰に生きる人は分かっている。
デカルト的思考の中にあっても、
祈りが自我を中和しているのだ。
だが昨今のリベラルは暴走に次ぐ暴走。
少し前にバイデン氏が言っていた、
「アメリカをこれ以上分断してはならない」
と。
開いた口がふさがらない。
分断しているのは彼らなのに。
あらゆるところに線を引いて。
やれ女性の権利だとか、やれ先住民族の権利だとか、
やれLGBTがどうだとか。
そも差別という言葉が一番胡散臭い。
何でもかんでも差別反対と言っては、
社会をズタズタに引き裂く。
そしてマジョリティーはいよいよサイレントになる。
これが彼らのやり方です。
庶民よ国民よ、いい加減に気が付こう。
と思うのだが、騙される人が後を絶たない。
彼らは既にメディアを乗っ取っている。
言葉こそ主戦場なのである。
それを知るから。
でも分かってる人は分かっている。
今やリベラルメディアは人民日報とかわらないと。
以前のような慎重さはもうないと。
なのにである。
・・・・・
終わりは近いと信じたい。
あらたまりの為の終わりが。
それには日本の力が必要です。
日本の文化(生き方の総体)の力が。
日本は「まこと」の国である。
「まこと」とは「ま」の「こと」であり、
それは「ま」(真)と「こと」(言あるいは事)であり、
誠(ことがなる)である。
聖書の天地創造における神の言葉のごとし。
そこには分離などなく、
すべてが繋がっている。
それが日本です。
日本の文化です。