トランプ大統領が苦戦している。
当方の予想に反して。
何かおかしい。
にしても、
不正が無いならすぐにでも負けを認めるべきだ。
でも怪しい。
無茶苦茶怪しい。
これをもって、
アメリカの民主主義は死んだ、
と言う人もいる。
右に同じ。
・・・・・
トランプ大統領が対峙しているアメリカの中枢は、
今やなりふりを構っていない、
何でもありのようだ。
そも欧米には昔から人を支配する謀がある。
悟られぬよう注意していたようだが、
そのタガがはずれてしまった。
デカルトは言った「我思う故に我あり」と。
デカルトは近代の人だが、
欧米には昔からそういう思いがあり、
世界をそう捉えている。
それは言葉で我を規定することで、
自我の確認・確定である。
その時から我は世界から切り離された。
個人主義の始まりでもある。
確かにそれは一面の事実だ。
でもである。
「我思う故に我あり」の前から我はある。
人以外の生物はそういう我を持っている。
そも存在するものはすべて繋がっている。
切り離しなどできない。
人間の細胞は60兆個もあって、
しかもその一つひとつは独立した生命体であった。
それらが合体して人間はできている。
それにその合体物には常在菌などが、
必要に応じてくっ付いていると謂う。
そも単体では生きていけないのだ。
単体での存在が不可能なら、
繋がりこそ命である。
・・・・・
言葉は一時的に便宜的にそれらを切り離す。
故にこそ分かったような気になれる。
そもそんな道具なのである。
それを知るべきだ。
欧米人でも信仰に生きる人は分かっている。
デカルト的思考の中にあっても、
祈りが自我を中和しているのだ。
だが昨今のリベラルは暴走に次ぐ暴走。
少し前にバイデン氏が言っていた、
「アメリカをこれ以上分断してはならない」
と。
開いた口がふさがらない。
分断しているのは彼らなのに。
あらゆるところに線を引いて。
やれ女性の権利だとか、やれ先住民族の権利だとか、
やれLGBTがどうだとか。
そも差別という言葉が一番胡散臭い。
何でもかんでも差別反対と言っては、
社会をズタズタに引き裂く。
そしてマジョリティーはいよいよサイレントになる。
これが彼らのやり方です。
庶民よ国民よ、いい加減に気が付こう。
と思うのだが、騙される人が後を絶たない。
彼らは既にメディアを乗っ取っている。
言葉こそ主戦場なのである。
それを知るから。
でも分かってる人は分かっている。
今やリベラルメディアは人民日報とかわらないと。
以前のような慎重さはもうないと。
なのにである。
・・・・・
終わりは近いと信じたい。
あらたまりの為の終わりが。
それには日本の力が必要です。
日本の文化(生き方の総体)の力が。
日本は「まこと」の国である。
「まこと」とは「ま」の「こと」であり、
それは「ま」(真)と「こと」(言あるいは事)であり、
誠(ことがなる)である。
聖書の天地創造における神の言葉のごとし。
そこには分離などなく、
すべてが繋がっている。
それが日本です。
日本の文化です。
当方の予想に反して。
何かおかしい。
にしても、
不正が無いならすぐにでも負けを認めるべきだ。
でも怪しい。
無茶苦茶怪しい。
これをもって、
アメリカの民主主義は死んだ、
と言う人もいる。
右に同じ。
・・・・・
トランプ大統領が対峙しているアメリカの中枢は、
今やなりふりを構っていない、
何でもありのようだ。
そも欧米には昔から人を支配する謀がある。
悟られぬよう注意していたようだが、
そのタガがはずれてしまった。
デカルトは言った「我思う故に我あり」と。
デカルトは近代の人だが、
欧米には昔からそういう思いがあり、
世界をそう捉えている。
それは言葉で我を規定することで、
自我の確認・確定である。
その時から我は世界から切り離された。
個人主義の始まりでもある。
確かにそれは一面の事実だ。
でもである。
「我思う故に我あり」の前から我はある。
人以外の生物はそういう我を持っている。
そも存在するものはすべて繋がっている。
切り離しなどできない。
人間の細胞は60兆個もあって、
しかもその一つひとつは独立した生命体であった。
それらが合体して人間はできている。
それにその合体物には常在菌などが、
必要に応じてくっ付いていると謂う。
そも単体では生きていけないのだ。
単体での存在が不可能なら、
繋がりこそ命である。
・・・・・
言葉は一時的に便宜的にそれらを切り離す。
故にこそ分かったような気になれる。
そもそんな道具なのである。
それを知るべきだ。
欧米人でも信仰に生きる人は分かっている。
デカルト的思考の中にあっても、
祈りが自我を中和しているのだ。
だが昨今のリベラルは暴走に次ぐ暴走。
少し前にバイデン氏が言っていた、
「アメリカをこれ以上分断してはならない」
と。
開いた口がふさがらない。
分断しているのは彼らなのに。
あらゆるところに線を引いて。
やれ女性の権利だとか、やれ先住民族の権利だとか、
やれLGBTがどうだとか。
そも差別という言葉が一番胡散臭い。
何でもかんでも差別反対と言っては、
社会をズタズタに引き裂く。
そしてマジョリティーはいよいよサイレントになる。
これが彼らのやり方です。
庶民よ国民よ、いい加減に気が付こう。
と思うのだが、騙される人が後を絶たない。
彼らは既にメディアを乗っ取っている。
言葉こそ主戦場なのである。
それを知るから。
でも分かってる人は分かっている。
今やリベラルメディアは人民日報とかわらないと。
以前のような慎重さはもうないと。
なのにである。
・・・・・
終わりは近いと信じたい。
あらたまりの為の終わりが。
それには日本の力が必要です。
日本の文化(生き方の総体)の力が。
日本は「まこと」の国である。
「まこと」とは「ま」の「こと」であり、
それは「ま」(真)と「こと」(言あるいは事)であり、
誠(ことがなる)である。
聖書の天地創造における神の言葉のごとし。
そこには分離などなく、
すべてが繋がっている。
それが日本です。
日本の文化です。