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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

正月祭り

2019-01-04 10:34:36 | 日記・エッセイ・コラム
歳を重ねたせいか、
こうやって新年を迎えられるのは、
まことに有難いことであり、
まことにめでたいことであります。
・・・・・
ところで竹田恒泰先生が言っていたのだが、
正月はなぜめでたいのか、と。
結論、実はめでたくはないのだと。
でも、おめでとうございますと言って、めでたく振る舞うのだと。
三が日でも七日間でも…、正月の間。
ひたすら良き言葉のみを発する。
ひたすら良き態度で接する。
そうやって、
心を立て前向きに過ごすことで、
良き一年を期するのである。
そういうものだと。
ときに風が吹く。
心魂に清々しい風が。
このことが素晴らしいのだ。
ちなみに我田引水ながら、
私はこれを心魂の新陳代謝と言っている。
肉体が新陳代謝を繰り返すように、
精神も新陳代謝が必要なのである。
為に意図して心魂に区切りを付す。
それが正月祭りである。
・・・・・
祭りとは祈りを形にしたものである。
形にして心魂に線を引く。
そこに意味・意義がある。
ならその根幹は祈りと言うべきでしょう。
そも言葉を持った人間は、
それゆえに存在の不可思議に会合し、
そして困惑し様々に想いを巡らす。
その果てに、
大いなる力を想うのである、
そしていよいよ、
想わずにはいられなくなる。
それを祈りと謂う。
何しろ不可思議の核心である。
ときに名付けて神とか言うが、
神は信じるとか信じないとかではない、
信じるより他ないのです。
そして祈らずにはいられなくなる。
かくして私も祈る。
・・・・・
正月祭りは素晴らしい。
それは日本人の心に深く根差している。
水に流すという言葉があるのも故なるかな、
更新し続ける(継続できる)力があるのも故なるかな、
災害に強いのも頷けるのだ、
恨みを引きずらないのも頷けるのだ、
それもこれも祈りがあってこそ。
さりながら近年はその情緒が薄れてきた。
まあ余計な心配だろう。
日本は今日も日本だ。