近年は異常気象という言葉をよく聞く。
私はもう随分前から思っている。
今という時は、地球規模の季節の変わり目だと。
人の時刻ではなく、地球(宇宙)の時刻から見てだが。
だから人の短い一生からは想像もできないことが起こるのだ。
そも人があって気象があるのではない。
気象は気象だ、その現実に生きているだけだ。
気象の中で生まれ、気象の中で育ち、その気象を生きている。
今までも、これからも。
気象が異常だとは不遜極まりない。
他の生物はそんなことは言わない。
黙々と受け入れるのみ。
・・・・・
にしても不可解なことが多い。
聞くところによれば、
地震兵器とか気象兵器とかいうものがあるらしい。
これは陰謀論とかでの噂かも知れない。
でも実際に研究は行われているようだ。
現に人口雨とか人工雪は作られている。
人類の科学的発展は兵器開発が牽引してきたとも謂う。
してみれば、あながち噂だけとは思えない。
例の地球温暖化の議論もまことに怪しい。
一方的見解や曲解、更には事実の選別等がまかり通っている。
胡散臭い限りである。
それはさておき、
それは横に置く。
・・・・・
今回の広島県等での災害であるが、
事前のテレビでのニュースを見ていて思った。
主にNHKのニュースであるが、
注意喚起がさかんに行われていたのだ。
それも事務的口調ではなく、どこか切迫したような。
それが何度も何度も繰り返されていた。
アナウンサーだけでなく、気象庁の担当者も登場して。
被害の起こりにくいところに住んでいる私だが、
それでも少し緊迫感を覚えた。
今回特にそういう風に感じた。
今までとは違うと。
・・・・・
ニュースでの伝え方であるが、
繰り返し伝えて注意喚起するのはいいのだが、
言ってる言葉が抽象的で分かりにくい。
ではどうしたらいいのか、と問えば…?である。
自治体の指示も出しているだけ。
大雨の夜に避難指示が出てもどうしようもない。
事前に適格な指示が必要だとは、
当然だが机上の空論でしかない。
危険だと思えば空振り覚悟で指示すべきだろう。
それには覚悟がいる。
それは長の仕事だが。
勿論マニュアルは必要であり、その手順に従うのは有効だろう。
だがマニュアルは決断しない。
決断するのは人である。
結局最後は人と謂うことになる。
・・・・・
それを私は当事者能力と言っている。
本気で心配し行動する力である。
マニュアルの有無など関係ない。
たとえ立派なマニュアルがあっても、
それをその通り実行しても、
実がなければ責任逃れとしか言えない。
確かに変に責任追及する人がいるのも事実だ。
だから責任回避の言動が横行する。
そういう悪循環がそこかしこで見られる。
それは結局当事者能力がないということである。
責任を取る立場でも追及する立場でも。
昨今の企業の不祥事や官僚の体たらくはそういうことか。
保身のための仕事に囚われて。
国家や国民の為との義はどこへ行ったのだろう。
財務省も文科省も押しなべて。
政治家もそうである。
ここ一年余りの野党の仕儀はみっともない。
最悪である。
・・・・・
庶民も覚悟しなければ。
国を信頼するのは日本人たる所以であるが、
自らも当事者能力を待たねば。
自分の身は自分で守ると。
これも当然のことです。
改めての自戒が必要である。
私はもう随分前から思っている。
今という時は、地球規模の季節の変わり目だと。
人の時刻ではなく、地球(宇宙)の時刻から見てだが。
だから人の短い一生からは想像もできないことが起こるのだ。
そも人があって気象があるのではない。
気象は気象だ、その現実に生きているだけだ。
気象の中で生まれ、気象の中で育ち、その気象を生きている。
今までも、これからも。
気象が異常だとは不遜極まりない。
他の生物はそんなことは言わない。
黙々と受け入れるのみ。
・・・・・
にしても不可解なことが多い。
聞くところによれば、
地震兵器とか気象兵器とかいうものがあるらしい。
これは陰謀論とかでの噂かも知れない。
でも実際に研究は行われているようだ。
現に人口雨とか人工雪は作られている。
人類の科学的発展は兵器開発が牽引してきたとも謂う。
してみれば、あながち噂だけとは思えない。
例の地球温暖化の議論もまことに怪しい。
一方的見解や曲解、更には事実の選別等がまかり通っている。
胡散臭い限りである。
それはさておき、
それは横に置く。
・・・・・
今回の広島県等での災害であるが、
事前のテレビでのニュースを見ていて思った。
主にNHKのニュースであるが、
注意喚起がさかんに行われていたのだ。
それも事務的口調ではなく、どこか切迫したような。
それが何度も何度も繰り返されていた。
アナウンサーだけでなく、気象庁の担当者も登場して。
被害の起こりにくいところに住んでいる私だが、
それでも少し緊迫感を覚えた。
今回特にそういう風に感じた。
今までとは違うと。
・・・・・
ニュースでの伝え方であるが、
繰り返し伝えて注意喚起するのはいいのだが、
言ってる言葉が抽象的で分かりにくい。
ではどうしたらいいのか、と問えば…?である。
自治体の指示も出しているだけ。
大雨の夜に避難指示が出てもどうしようもない。
事前に適格な指示が必要だとは、
当然だが机上の空論でしかない。
危険だと思えば空振り覚悟で指示すべきだろう。
それには覚悟がいる。
それは長の仕事だが。
勿論マニュアルは必要であり、その手順に従うのは有効だろう。
だがマニュアルは決断しない。
決断するのは人である。
結局最後は人と謂うことになる。
・・・・・
それを私は当事者能力と言っている。
本気で心配し行動する力である。
マニュアルの有無など関係ない。
たとえ立派なマニュアルがあっても、
それをその通り実行しても、
実がなければ責任逃れとしか言えない。
確かに変に責任追及する人がいるのも事実だ。
だから責任回避の言動が横行する。
そういう悪循環がそこかしこで見られる。
それは結局当事者能力がないということである。
責任を取る立場でも追及する立場でも。
昨今の企業の不祥事や官僚の体たらくはそういうことか。
保身のための仕事に囚われて。
国家や国民の為との義はどこへ行ったのだろう。
財務省も文科省も押しなべて。
政治家もそうである。
ここ一年余りの野党の仕儀はみっともない。
最悪である。
・・・・・
庶民も覚悟しなければ。
国を信頼するのは日本人たる所以であるが、
自らも当事者能力を待たねば。
自分の身は自分で守ると。
これも当然のことです。
改めての自戒が必要である。