日本では一月は正月と言う。
また初春とも新春とも言う。
正とは月の中の月を指し、12の月の初めであり元締めでもある。
この月は今では冬の最中であり、それを春とは意味不明ではある。
だが旧暦では冬の終わりであり、春の訪れを感じられる時である。
暦では立春といわれる頃であり、だから迎春とも呼ばれる。
季節の変わり目は他にもあるが、この時を特に祝うのである。
正月祭りとして。
・・・・・
字義が凄いのです。
正であり、初であり、新であります。
どれも素晴らしい字義です。
一年の計は元旦にあり、それを正・初・新の心で祝います。
その心を持ち、邪念を排し、祈りの中で、
年神様を迎え、おもてなしをし、そしてお送りします。
その間は、めでたき言葉・良き言葉だけで過ごします。
そして、来たる一年を乗り切るのです。
正月のある日本は素晴らしい。
実に素晴らしい。
・・・・・
身体の細胞は数か月ですべて入れ替わるという。
古いものは退場し、新しいものに替わるのです。
そうしなければ、身体は維持できない。
身体がそうなら、精神はどうだろう。
精神も当然その模様を入れ替える必要があるだろう。
では、それはどのように行われるのか。
細胞のように自ずと入れ替えられる、とでもいうのか。
そんな仕組みはつとに聞かない。
もしなければ、それは意図して為さねばならない。
それが祈りであり、祈りの儀式であり、それを祭りという。
正月祭りはまさにそれである。
これは必ずしも正月でなくともいい。
でも正月が最も相応しい。
何しろ正・初・新である。
しかもそれは誕生日のような個別の事案ではない、
社会全体で混然一体と行われるのです。
そういう祭りを持っているのは、
凄いことです、実に…。
・・・・・
なお、正月祭りとは神道の祭りである。
近頃の日本人は神道に関心のない人もいるようだが、
本当のところは、
日本人は皆神道の者です、
それを知らねば。
中には仏教なら関心があるという人もいるだろう。
だが思うのです。
日本の仏教はその根に神道があると。
例えばお盆です。
これは仏教の行事とされているが、
先祖の霊を迎え、おもてなしし、そして送るのは、
まさに神道の祭りでは…と。
年初は年神様だが、この時は祖霊を迎えるのです。
それについでながら、
唐突ながら、
神道とキリスト教もまた同根である、と。
私はそう思っている。
また初春とも新春とも言う。
正とは月の中の月を指し、12の月の初めであり元締めでもある。
この月は今では冬の最中であり、それを春とは意味不明ではある。
だが旧暦では冬の終わりであり、春の訪れを感じられる時である。
暦では立春といわれる頃であり、だから迎春とも呼ばれる。
季節の変わり目は他にもあるが、この時を特に祝うのである。
正月祭りとして。
・・・・・
字義が凄いのです。
正であり、初であり、新であります。
どれも素晴らしい字義です。
一年の計は元旦にあり、それを正・初・新の心で祝います。
その心を持ち、邪念を排し、祈りの中で、
年神様を迎え、おもてなしをし、そしてお送りします。
その間は、めでたき言葉・良き言葉だけで過ごします。
そして、来たる一年を乗り切るのです。
正月のある日本は素晴らしい。
実に素晴らしい。
・・・・・
身体の細胞は数か月ですべて入れ替わるという。
古いものは退場し、新しいものに替わるのです。
そうしなければ、身体は維持できない。
身体がそうなら、精神はどうだろう。
精神も当然その模様を入れ替える必要があるだろう。
では、それはどのように行われるのか。
細胞のように自ずと入れ替えられる、とでもいうのか。
そんな仕組みはつとに聞かない。
もしなければ、それは意図して為さねばならない。
それが祈りであり、祈りの儀式であり、それを祭りという。
正月祭りはまさにそれである。
これは必ずしも正月でなくともいい。
でも正月が最も相応しい。
何しろ正・初・新である。
しかもそれは誕生日のような個別の事案ではない、
社会全体で混然一体と行われるのです。
そういう祭りを持っているのは、
凄いことです、実に…。
・・・・・
なお、正月祭りとは神道の祭りである。
近頃の日本人は神道に関心のない人もいるようだが、
本当のところは、
日本人は皆神道の者です、
それを知らねば。
中には仏教なら関心があるという人もいるだろう。
だが思うのです。
日本の仏教はその根に神道があると。
例えばお盆です。
これは仏教の行事とされているが、
先祖の霊を迎え、おもてなしし、そして送るのは、
まさに神道の祭りでは…と。
年初は年神様だが、この時は祖霊を迎えるのです。
それについでながら、
唐突ながら、
神道とキリスト教もまた同根である、と。
私はそう思っている。