goo blog サービス終了のお知らせ 

ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

正月のある国

2018-01-08 12:00:22 | 日記・エッセイ・コラム
日本では一月は正月と言う。
また初春とも新春とも言う。
正とは月の中の月を指し、12の月の初めであり元締めでもある。
この月は今では冬の最中であり、それを春とは意味不明ではある。
だが旧暦では冬の終わりであり、春の訪れを感じられる時である。
暦では立春といわれる頃であり、だから迎春とも呼ばれる。
季節の変わり目は他にもあるが、この時を特に祝うのである。
正月祭りとして。
・・・・・
字義が凄いのです。
正であり、初であり、新であります。
どれも素晴らしい字義です。
一年の計は元旦にあり、それを正・初・新の心で祝います。
その心を持ち、邪念を排し、祈りの中で、
年神様を迎え、おもてなしをし、そしてお送りします。
その間は、めでたき言葉・良き言葉だけで過ごします。
そして、来たる一年を乗り切るのです。
正月のある日本は素晴らしい。
実に素晴らしい。
・・・・・
身体の細胞は数か月ですべて入れ替わるという。
古いものは退場し、新しいものに替わるのです。
そうしなければ、身体は維持できない。
身体がそうなら、精神はどうだろう。
精神も当然その模様を入れ替える必要があるだろう。
では、それはどのように行われるのか。
細胞のように自ずと入れ替えられる、とでもいうのか。
そんな仕組みはつとに聞かない。
もしなければ、それは意図して為さねばならない。
それが祈りであり、祈りの儀式であり、それを祭りという。
正月祭りはまさにそれである。
これは必ずしも正月でなくともいい。
でも正月が最も相応しい。
何しろ正・初・新である。
しかもそれは誕生日のような個別の事案ではない、
社会全体で混然一体と行われるのです。
そういう祭りを持っているのは、
凄いことです、実に…。
・・・・・
なお、正月祭りとは神道の祭りである。
近頃の日本人は神道に関心のない人もいるようだが、
本当のところは、
日本人は皆神道の者です、
それを知らねば。
中には仏教なら関心があるという人もいるだろう。
だが思うのです。
日本の仏教はその根に神道があると。
例えばお盆です。
これは仏教の行事とされているが、
先祖の霊を迎え、おもてなしし、そして送るのは、
まさに神道の祭りでは…と。
年初は年神様だが、この時は祖霊を迎えるのです。
それについでながら、
唐突ながら、
神道とキリスト教もまた同根である、と。
私はそう思っている。