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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

築地市場移転のゴタゴタ

2016-09-23 13:46:11 | 日記・エッセイ・コラム
なかなか終息しそうにない。
どうなってるのだろう。
小池知事のやり方は素晴らしい、と思っている。
具体的なことは余り知らないが。
まあ、野次馬である。
・・・・・
これまでは政治家がやり玉に上がっていた。
それは今後も変わらないだろう。
だが今回はどうも役人にも風当たりが強くなりそうだ。
東京都庁職員にである。
主に上級職員のことだろうが。
実際に事に当たるのは役人である。
決められたことをやるだけだと言っても、
それを責任をもってやる必要がある。
一つづつ着実に。
それを実践していれば、問われて説明できないことはないだろう。
でも、どうもはっきりと説明できないようだ。
そこが問題である。
その無責任体質が問題なのだ。
これは何も東京都庁だけに限らないが。
・・・・・
人は誰でも当事者として覚悟を持ってしたことは、
当然に責任を取る。
取らざるを得ないのである。
それが人間というものだ。
泥棒か詐欺師などなら別だが。
はなから悪意だから。
善意であるのに責任を取らないのには理由がある。
それは当事者としての覚悟がなかった、ということである。
それはそうだろう。
自分のしてないことに責任は取れない。
取りようもない。
してみると、役人というのは何もしてないのか。
だから責任を取らないのか。
もちろんそんなことはない。
災害時に救助・救援に当たる自衛隊・消防署などの人々は素晴らしい。
疑いの余地などない立派な仕事をしている。
彼らも役人(公務員)である。
どこが違うのか。
直接現場に携わるからか。
何事もやはり現場第一ということか。
現場を忘れてはダメだということか。
それはその通りだろう。
・・・・・
現場が大事なのは政治も同じである。
何しろ政治とは現場(人間社会)を仕切るのだから。
でも直接現場にタッチはしない。
あくまでも間接的にである。
なので現場をろくに知らない者もいるだろう。
むしろその方が多いかもしれない。
してみれば、政治家がやり玉に上げられるのは仕方ない。
それも仕事の内ということか。
それにしてもこの問題、
どう結末を付けるのか。