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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

中華の呪縛

2016-09-12 14:24:52 | 日記・エッセイ・コラム
中華に呪縛されている国がある。
言わずとも分かるだろうが、それは韓国である。
朝鮮はもともと小中華を自称していた。
本家のシナは別格で大中華とし、
自らをそれに次ぐ中華とするのである。
結果、
大中華にはどこまでもこびへつらう、
周りの国には居丈高に振る舞う、
のだ。
それで何んとか国を立てる。
虎の威を借りる狐のように。
そんな歴史を刻んできた。
・・・・・
戦後できた国である韓国は小中華を標榜してはいない。
むしろその呪縛を解こうとした。
その結果の一つが漢字の排除である。
志は良しである。
だが中華の呪縛は解けていない。
昨今の対応をみていると明白だ。
長い歴史の呪縛は一朝一夕には無理なのだろう。
シナと朝鮮は宗教的には相似である。
仏教は形骸化しており見る影もない。
一般的には儒教というべきだろうが、
儒教はどうも宗教とは思えない。
祖先崇拝という面だけは宗教的なのだが。
日本でも江戸時代に幕府は儒教を採用していた。
それはあくまで統治思想としてだ。
まったく宗教的ではないのである。
宗教としては明らかに仏教であった。
神仏習合だから神道でもあるのだが。
ならばシナ・朝鮮はどうか。
どうも宗教は無さそうだ。
私には見つけることができない。
宗教の要素はいろいろあるが、
その核心は信仰(祈り)である。
それが無いのである。
・・・・・
韓国は今、キリスト教徒が増えてるらしい。
人口の三分の一に達するほどだという。
でもそれは信用できない。
本当のキリスト者はほとんどいないと思う。
イエスは言った、
汝の隣人を愛せよ、
右の頬を打たれたら左の頬を出せ、
等々…。
キリスト教は愛の宗教だと謂う。
今の韓国にそんな形跡はない。
汝の隣人をまったく愛せない。
右の頬を打たれてもいないのに相手の頬を叩く。
本当のキリスト者がいれば、こんなことにはならない。
偽キリスト者ばかりなのか。
だとすれば、今のシナと一緒である。
つまり信仰(祈り)が無いのである。
相似形という所以である。
・・・・・
ちなみに気になることがある。
北朝鮮である。
やることなすこと不可解で傍若無人なのだが、
中華思想はあまり感じられない。
はて、どうなってるのか。