中華に呪縛されている国がある。
言わずとも分かるだろうが、それは韓国である。
朝鮮はもともと小中華を自称していた。
本家のシナは別格で大中華とし、
自らをそれに次ぐ中華とするのである。
結果、
大中華にはどこまでもこびへつらう、
周りの国には居丈高に振る舞う、
のだ。
それで何んとか国を立てる。
虎の威を借りる狐のように。
そんな歴史を刻んできた。
・・・・・
戦後できた国である韓国は小中華を標榜してはいない。
むしろその呪縛を解こうとした。
その結果の一つが漢字の排除である。
志は良しである。
だが中華の呪縛は解けていない。
昨今の対応をみていると明白だ。
長い歴史の呪縛は一朝一夕には無理なのだろう。
シナと朝鮮は宗教的には相似である。
仏教は形骸化しており見る影もない。
一般的には儒教というべきだろうが、
儒教はどうも宗教とは思えない。
祖先崇拝という面だけは宗教的なのだが。
日本でも江戸時代に幕府は儒教を採用していた。
それはあくまで統治思想としてだ。
まったく宗教的ではないのである。
宗教としては明らかに仏教であった。
神仏習合だから神道でもあるのだが。
ならばシナ・朝鮮はどうか。
どうも宗教は無さそうだ。
私には見つけることができない。
宗教の要素はいろいろあるが、
その核心は信仰(祈り)である。
それが無いのである。
・・・・・
韓国は今、キリスト教徒が増えてるらしい。
人口の三分の一に達するほどだという。
でもそれは信用できない。
本当のキリスト者はほとんどいないと思う。
イエスは言った、
汝の隣人を愛せよ、
右の頬を打たれたら左の頬を出せ、
等々…。
キリスト教は愛の宗教だと謂う。
今の韓国にそんな形跡はない。
汝の隣人をまったく愛せない。
右の頬を打たれてもいないのに相手の頬を叩く。
本当のキリスト者がいれば、こんなことにはならない。
偽キリスト者ばかりなのか。
だとすれば、今のシナと一緒である。
つまり信仰(祈り)が無いのである。
相似形という所以である。
・・・・・
ちなみに気になることがある。
北朝鮮である。
やることなすこと不可解で傍若無人なのだが、
中華思想はあまり感じられない。
はて、どうなってるのか。
言わずとも分かるだろうが、それは韓国である。
朝鮮はもともと小中華を自称していた。
本家のシナは別格で大中華とし、
自らをそれに次ぐ中華とするのである。
結果、
大中華にはどこまでもこびへつらう、
周りの国には居丈高に振る舞う、
のだ。
それで何んとか国を立てる。
虎の威を借りる狐のように。
そんな歴史を刻んできた。
・・・・・
戦後できた国である韓国は小中華を標榜してはいない。
むしろその呪縛を解こうとした。
その結果の一つが漢字の排除である。
志は良しである。
だが中華の呪縛は解けていない。
昨今の対応をみていると明白だ。
長い歴史の呪縛は一朝一夕には無理なのだろう。
シナと朝鮮は宗教的には相似である。
仏教は形骸化しており見る影もない。
一般的には儒教というべきだろうが、
儒教はどうも宗教とは思えない。
祖先崇拝という面だけは宗教的なのだが。
日本でも江戸時代に幕府は儒教を採用していた。
それはあくまで統治思想としてだ。
まったく宗教的ではないのである。
宗教としては明らかに仏教であった。
神仏習合だから神道でもあるのだが。
ならばシナ・朝鮮はどうか。
どうも宗教は無さそうだ。
私には見つけることができない。
宗教の要素はいろいろあるが、
その核心は信仰(祈り)である。
それが無いのである。
・・・・・
韓国は今、キリスト教徒が増えてるらしい。
人口の三分の一に達するほどだという。
でもそれは信用できない。
本当のキリスト者はほとんどいないと思う。
イエスは言った、
汝の隣人を愛せよ、
右の頬を打たれたら左の頬を出せ、
等々…。
キリスト教は愛の宗教だと謂う。
今の韓国にそんな形跡はない。
汝の隣人をまったく愛せない。
右の頬を打たれてもいないのに相手の頬を叩く。
本当のキリスト者がいれば、こんなことにはならない。
偽キリスト者ばかりなのか。
だとすれば、今のシナと一緒である。
つまり信仰(祈り)が無いのである。
相似形という所以である。
・・・・・
ちなみに気になることがある。
北朝鮮である。
やることなすこと不可解で傍若無人なのだが、
中華思想はあまり感じられない。
はて、どうなってるのか。