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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

日本人の危機管理

2016-01-13 10:00:20 | 日記・エッセイ・コラム
昨今、リスク管理という言葉がよく使われる。
何か事が起これば、リスク管理はどうなっていたのか、
…と必ず言われる。
で、想定外とかむにゃむにゃ。
あらかじめすべてのことが想定できる筈もない。
さりながら結果が問われるのは仕方ない。
それは当然であり、そこから反省も生まれる。
でも、現下は無用の非難が多すぎる。
残念なことである。
・・・・・
人間にとって究極のリスクとは死ぬことだ。
その因として病気や事故さらに戦争やテロなどがある。
農作物の不作やお金がなくて食べ物を得られない、ということも同じだ。
ともかく死ぬことがリスクなら、如何にしてそれを回避するか。
それがリスク管理の要諦である。
でもこれは矛盾だ、絶対的矛盾である。
そもそも死は不可避である。
生ある者は必ず死ぬ。
それを回避することはできない。
死は絶対平等であり、まったき人知の及ばない世界である。
就中、大いなる最後の救いだともいえる。
ならば死はリスクではない。
リスクとは死と隣り合わせの生にこそある。
生きることこそリスクなのだ。
そのことを知って初めてリスク管理ができる。
ほんとうのリスク管理が。
日本人の危機管理はそこにある。
・・・・・
「武士道と謂うは死ぬことと見つけたり」。
武士道を語る象徴的な言葉である。
この武士道こそリスク管理である。
まったきリスク管理である。
死を恐れて、死から逃げ回って、そしてそれでも結局最後は死ぬ。
そこにまことの生はない。
生死は裏表、死を背負ってこそ生である。
そのことが分かっているのだ。
考えれば当たり前のことだが。
これは戦国時代を生きた武士によって大いに培われた。
この思想は武士だけにとどまらない。
広く日本人の思想となっている。
・・・・・
戦前は現今より分かっていたと思う。
戦後は教育の不毛であろうか、
知識人の不実か、
分からなくなってしまった。
むしろ否定的に扱われる。
それでも無くなることはなかったのだ。
阪神淡路大震災もそうだが、
先の東日本大震災がまさにそうだった。
危機に瀕すれば必ず現れる。
自分の生を目一杯使う、命を懸けてとことん使う。
自分の為でもあろうが、なべてすべての人の為に。
そういう魂が現れる。
それが日本人である。