昨今、リスク管理という言葉がよく使われる。
何か事が起これば、リスク管理はどうなっていたのか、
…と必ず言われる。
で、想定外とかむにゃむにゃ。
あらかじめすべてのことが想定できる筈もない。
さりながら結果が問われるのは仕方ない。
それは当然であり、そこから反省も生まれる。
でも、現下は無用の非難が多すぎる。
残念なことである。
・・・・・
人間にとって究極のリスクとは死ぬことだ。
その因として病気や事故さらに戦争やテロなどがある。
農作物の不作やお金がなくて食べ物を得られない、ということも同じだ。
ともかく死ぬことがリスクなら、如何にしてそれを回避するか。
それがリスク管理の要諦である。
でもこれは矛盾だ、絶対的矛盾である。
そもそも死は不可避である。
生ある者は必ず死ぬ。
それを回避することはできない。
死は絶対平等であり、まったき人知の及ばない世界である。
就中、大いなる最後の救いだともいえる。
ならば死はリスクではない。
リスクとは死と隣り合わせの生にこそある。
生きることこそリスクなのだ。
そのことを知って初めてリスク管理ができる。
ほんとうのリスク管理が。
日本人の危機管理はそこにある。
・・・・・
「武士道と謂うは死ぬことと見つけたり」。
武士道を語る象徴的な言葉である。
この武士道こそリスク管理である。
まったきリスク管理である。
死を恐れて、死から逃げ回って、そしてそれでも結局最後は死ぬ。
そこにまことの生はない。
生死は裏表、死を背負ってこそ生である。
そのことが分かっているのだ。
考えれば当たり前のことだが。
これは戦国時代を生きた武士によって大いに培われた。
この思想は武士だけにとどまらない。
広く日本人の思想となっている。
・・・・・
戦前は現今より分かっていたと思う。
戦後は教育の不毛であろうか、
知識人の不実か、
分からなくなってしまった。
むしろ否定的に扱われる。
それでも無くなることはなかったのだ。
阪神淡路大震災もそうだが、
先の東日本大震災がまさにそうだった。
危機に瀕すれば必ず現れる。
自分の生を目一杯使う、命を懸けてとことん使う。
自分の為でもあろうが、なべてすべての人の為に。
そういう魂が現れる。
それが日本人である。
何か事が起これば、リスク管理はどうなっていたのか、
…と必ず言われる。
で、想定外とかむにゃむにゃ。
あらかじめすべてのことが想定できる筈もない。
さりながら結果が問われるのは仕方ない。
それは当然であり、そこから反省も生まれる。
でも、現下は無用の非難が多すぎる。
残念なことである。
・・・・・
人間にとって究極のリスクとは死ぬことだ。
その因として病気や事故さらに戦争やテロなどがある。
農作物の不作やお金がなくて食べ物を得られない、ということも同じだ。
ともかく死ぬことがリスクなら、如何にしてそれを回避するか。
それがリスク管理の要諦である。
でもこれは矛盾だ、絶対的矛盾である。
そもそも死は不可避である。
生ある者は必ず死ぬ。
それを回避することはできない。
死は絶対平等であり、まったき人知の及ばない世界である。
就中、大いなる最後の救いだともいえる。
ならば死はリスクではない。
リスクとは死と隣り合わせの生にこそある。
生きることこそリスクなのだ。
そのことを知って初めてリスク管理ができる。
ほんとうのリスク管理が。
日本人の危機管理はそこにある。
・・・・・
「武士道と謂うは死ぬことと見つけたり」。
武士道を語る象徴的な言葉である。
この武士道こそリスク管理である。
まったきリスク管理である。
死を恐れて、死から逃げ回って、そしてそれでも結局最後は死ぬ。
そこにまことの生はない。
生死は裏表、死を背負ってこそ生である。
そのことが分かっているのだ。
考えれば当たり前のことだが。
これは戦国時代を生きた武士によって大いに培われた。
この思想は武士だけにとどまらない。
広く日本人の思想となっている。
・・・・・
戦前は現今より分かっていたと思う。
戦後は教育の不毛であろうか、
知識人の不実か、
分からなくなってしまった。
むしろ否定的に扱われる。
それでも無くなることはなかったのだ。
阪神淡路大震災もそうだが、
先の東日本大震災がまさにそうだった。
危機に瀕すれば必ず現れる。
自分の生を目一杯使う、命を懸けてとことん使う。
自分の為でもあろうが、なべてすべての人の為に。
そういう魂が現れる。
それが日本人である。