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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

テロと空爆、そして特攻

2016-01-10 10:14:46 | 日記・エッセイ・コラム
北朝鮮の演技は見ものだが、
それは横に置いて、
シリアの問題である。
ISのテロとISへの空爆である。
・・・・・
テロはもちろん容認できないが、
命を懸けて抗議するのは「よし」とする。
文字通り命を懸けているのだから。
その覚悟は敬服する。
如何せん、抗議する相手を間違えてはダメだ。
ただの八つ当たりでしかない。
それは決して容認できない。

非道を行なう者を排除するため、
彼らを攻撃するのは理解できる。
空爆というものである。
厳密に非道者だけへの攻撃ならだが。
区別の付けがたい状況もあるだろうし、
誤爆もあるだろう。
民間人の犠牲も少なくないようだ。
それにそこには覚悟がない。
自分を安全な場所に置いて、やみくもに殺傷するのみ。
実に身勝手なご都合主義である。
・・・・・
それにである。
テロと特攻を一緒にするな、
である。
特攻はまったくの別物だ。
守るべき者たち、
すなわち家族や同朋のために命を懸けるのだ。
お国の為とはそれであり、
その何よりの象徴が、
天皇陛下万歳なのである。
しかも相手を間違えない。
攻撃する者のみを攻撃する。
まったき覚悟である。

先の東日本大震災を見ても分かることだ。
自分の命もかえりみず、
逃げて下さいと放送し続けた、
その心と同じだ。
まったく変わらない。
まさに日本人の魂の発露である。

それを狂気だとしか言えない人がいる。
戦後の日本人は未だ洗脳の中にあるのか。
まあ一部の者だけだろうが。
それにしても、いい加減「気が付けよ」。
と、随分前から思っている。