goo blog サービス終了のお知らせ 

ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

道と法

2014-12-02 08:54:12 | 日記・エッセイ・コラム
日本人は道の民である、
と言った。
とはいうものの、
もちろん日本は法治国家である。
それは律令時代から連綿と続いている。
だから何より法の民である。
法の民であるのに、
なぜ道の民と言うか。
・・・・・
日本に来た欧米人は時に怪訝な顔をする。
赤信号なら車が来なくても渡らない人が多いことに。
彼らは車が来なければ平然と渡る。
それは法を無視してるように見える。
欧米こそ近代法治国家の元祖であるのに。
でも法を無視してる訳でもなさそうだ。
そういう感覚ではないのだろう。
思うに、
法はその立法主旨こそ大事なのであり、
それに則った原理原則を大切にすればいい、
ということだろう。
個々の条文はその後にある。
それともう一つ。
法に守られることより自己責任を優先する、
ということもあるだろう。
法は法の為にあるのではなく人(自分)の為にある。
法もまた利便なのである。
よって杓子定規に解釈しない。
自分の都合で解釈する。
分からないでもない。
・・・・・
日本人は杓子定規に解釈する。
そういう人が多い。
なぜだろう。
日本人は道の民だからである。
道には幅がある。
だから本来は細かいことは言わない。
適当なのである。
余りに偏れば「そこはダメだろう」ということになる。
それが道である。
境界は適当・曖昧なのである。
しかしである。
道の核心には「約束を守る」ということがある。
その核心があってこその適当・曖昧なのである。
そして「約束を守る」ことを何より大事にする。
法とは世の中と交わした約束である。
その約束を守ろうとする。
だから杓子定規になる。
これが道の民なのです。