あなたがあなたであるのは、
何によるのか。
その身体か。
確かにあなたを見れば、あなたであるとは思う。
顔かたち、全体の体型、
身体はあなたを認める指標である。
でも身体だけなら人形でもあなたである。
同じ材質で等身大の人形を造ったとして、
それはあなたではないだろう、
もちろん。
それでは何があなたなのか。
・・・・・
あなたにはあなたの思いがある。
事実として。
しかし思いには形がない。
よく分からない。
でも確かに在る。
その「思い」こそあなたである。
身体は思いを乗せる器である。
器もあなたであるが、
思いの乗った器こそあなたである。
日本人はその「思い」の発現元を、
「たま」(玉、魂、霊)と言う。
「たましい」とも言う。
魂など無いと言う人もいるが、
そんなことはない。
あなたがあなたである限り、間違いなく在る。
しかして、
魂の抜けた身体を遺体という。
文字通り遺された体である。
あなたの財産はあなたのものであるが、
あなたが残した遺産はあなたのものではない。
相続者のものである。
遺体もあなたではない。
あなたであったものである。
・・・・・
魂こそあなたである。
さりながら、
生きてる間は身体と魂は一体である。
だから身体ももちろんあなたである。
そういうことだが、ひとつ疑問がある。
身体から離れた魂がどうなるのか、
どこへ行くのか。
よく分からない。
思うに、
生きてる間は分からないだろう。
だけど、その時が来れば分かる。
厭が上でも。
うん。