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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

護憲運動の怪

2014-04-15 08:39:58 | 日記・エッセイ・コラム

護憲、護憲とやかましいことである。

そもそも護憲か改憲かという論争そのものが、

発想としておかしい。

二者択一は基本的に嘘である。

その結果は必ず嘘になる。

真理はどちらか一つではない。

真理はいつも藪の中、

どちらにもある。

手段としての二者択一は一つの方途ではあるが、

それはあくまで手段である。

・・・・・

護憲そのものがおかしい。

最初に作るときは、

どちらかと言えば改憲である。

作るという作業が「無い状態」から「有る状態」にする、

という変更である。

一度作れば二度と変えないというのは、

作らないのと同じである。

つまり、

作るということは場合によっては作り直す、

ということである。

精々流転、

この世界は変化の中にある。

在るものはすべて変化している。

それが世界だ。

それが現実だ。

・・・・・

護憲派の嘘はまた別にある。

彼らは自分の都合で護憲と言っている。

都合が悪ければ改憲と言うだろう。

ようするに中身が問題なのである。

ならば議論すべきである、中身を。

議論して、

変えるか、変えないか、何を変えるか、何を変えないか、

それを問うべきである。

そこが肝腎である。

護憲、護憲と言って議論しないのは、

憲法の否定である。

護憲派の嘘は極まっている。