会社は株主のものである、
というのは詐欺である。
このことが改まらない限り、
資本主義、市場経済に未来はない。
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私は誰のものか。
この問いに意味はない。
私を生んだ者のものか、育てた者のものか、
はたまた社会のものか。
私は私だ。
誰のものでもない。
しいて言えば、魂の発現者たる神のものである。
会社を会社たらしめているのは何か。
資本(金)か。
金は何も作らない、何も為さない。
土地や設備か。
それらは単なる「もの」であり、
あるだけでは、何も為さない。
会社は人(役職員)である。
その生業を為そうとする思い、
思いの集合体こそ会社である。
もちろん、金も設備も必要ではある。
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会社とはその生業を為そうとする意思そのものである。
その生業を為そうとする人々こそ会社である。
誰かのもの、と言うべきものではない。
とは言うものの、
会社は神ではなく人が作ったものである。
だから、人のものと言えなくもない。
あえて言えば、
会社は会社に関わるすべての人のものであり、
広く社会のものである。
「会社は株主のものである」という発想は、
奴隷社会を根に持つ欧米の、
今に至ってもその根を捨てきれない、
愚かな発想である。