観念とは言葉遊びである。
現実から遊離し、頭の中で別の現実を作る所作である。
仮想現実あるいは妄想というべきか。
それが自分だけのことなら、あるいは単なるゲームや遊びなら問題はない。
人との関わりのなかで、
実際の現実と混同すれば困ったことになる。
でも、現実というのが厄介である。
何が実際の現実なのか。
・・・・・
現実は現実である。
ありのままの世界である。
人が現実に対すれば、必ず思いが乗る。
思いが乗れば、
現実はその人の現実となる。
人の数だけ現実がある。
それが現実である。
自然界では、まさにそういう現実がある。
無数の生き物の無数の思いがあり、無数の現実がある。
が、彼らはそれを言葉にしない。
ゆえに、観念にならない。
無数の現実も一つの現実に収斂される。
一つの世界なのである。
・・・・・
言葉はもともと中立である。
現実に対する思いが言葉に乗るといえども、
現実に添っている限り問題はない。
その為にも、
言葉は現実に添って使わなければならない。
そのことを徹底させよ。
それが教育の眼目である。
昨今のような観念論の押し付けは、
実に教育の本来に反する。
日本の歴史・伝統・文化は、
既にそのことを知っている。
言葉は最後は嘘になる、ということを。
日本を取り戻そう。