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ことのは

初めに言葉があった。言葉は神とともにあった。言葉は神であった。と、ヨハネは言う。まことに、言葉とは不可思議なものである。

観念と現実

2013-06-18 09:30:31 | 日記・エッセイ・コラム

観念とは言葉遊びである。

現実から遊離し、頭の中で別の現実を作る所作である。

仮想現実あるいは妄想というべきか。

それが自分だけのことなら、あるいは単なるゲームや遊びなら問題はない。

人との関わりのなかで、

実際の現実と混同すれば困ったことになる。

でも、現実というのが厄介である。

何が実際の現実なのか。

・・・・・

現実は現実である。

ありのままの世界である。

人が現実に対すれば、必ず思いが乗る。

思いが乗れば、

現実はその人の現実となる。

人の数だけ現実がある。

それが現実である。

自然界では、まさにそういう現実がある。

無数の生き物の無数の思いがあり、無数の現実がある。

が、彼らはそれを言葉にしない。

ゆえに、観念にならない。

無数の現実も一つの現実に収斂される。

一つの世界なのである。

・・・・・

言葉はもともと中立である。

現実に対する思いが言葉に乗るといえども、

現実に添っている限り問題はない。

その為にも、

言葉は現実に添って使わなければならない。

そのことを徹底させよ。

それが教育の眼目である。

昨今のような観念論の押し付けは、

実に教育の本来に反する。

日本の歴史・伝統・文化は、

既にそのことを知っている。

言葉は最後は嘘になる、ということを。

日本を取り戻そう。